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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「ロリータ」を読まずにロリコンを語ることの愚


mk氏の思想もcdb氏の思想もとんでもなく的外れな気がするが、改めて考えるほどのテーマでもないとは言え、思考欲求を刺激される問題ではある。
中学高校の恋愛が性欲をきっかけにした恋愛じゃない、などというのが男からしたら勘違いも甚だしいのは言っておく必要があるが、十代の恋愛(あるいは10代の人間を恋愛対象にすること)をロリコンと結びつける考えも異常だろう。
もともと性的対象としての女性は10代がピーク(ただし出産年齢はそれより高いほうが母体は安全)であったからこそ、世界史的に10代から結婚年齢となる社会が多かったはずだ。それをロリコンと呼ぶのはウラジミール・ナボコフの「ロリータ」が、低年齢の少女への性欲や恋愛を描いて、その「性的興奮度」の高さを先進国人士に認識させたからだろう。
ちなみに、「ロリータ」は、「十代の恋愛だけが純粋な本物の恋愛だ」という思想に呪縛された主人公ハンバートハンバートが、ロリビッチの少女に振り回される話であり、むしろ「十代を聖像化する」思想の破綻を描いている。

ついでに言えば、十代、あるいはローティーンの少女の精神年齢の低さからして、そうした少女は成人男性の恋愛の対象にはなりえない。単に性欲の対象になりうるだけである。それを「ロリコン」と一般には言うのであり、それは「十代を聖像化する」思想の対極だろう。「聖像化」するとは神聖なものとするということであり、性欲の対象とみなすことではない。




さんがリツイート

なんていうの、この「十代の恋愛だけが純粋な本物の恋愛で大人の恋愛は性欲と打算にまみれたニセモノ」っていう考え、典型的な「ロリコン」と呼ばれる十代を聖像化する強迫観念の最も中心的な考え方なんだけど、女性が発言すると1万6千いいねされてしまうのかと呆然としています。

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