『記・紀』の加上的構成
富永仲基の「加上説」は古典思想書や古代文学を読み解く際の基本的な考え方だが、日本書紀と古事記とにもこの加上があることを知らない人は多いかと思う。つまり、現実の天皇家の祖である初代天皇の先祖としてさらにその前々から天皇が存在していたかのように書かれており、それらは天の神々との区別がつきにくく描かれているということだ。
現実に存在した「日本統一(中央政権確立)の中心的存在」としての天皇は(神武天皇などではなく)崇神天皇かと言われている。これはその和名が「ハツクニシラススメラミコト」つまり、「初めて国をお治めになった天皇」であることからそう推定されている。
ちなみに、松本清張は、皇室の祖は朝鮮からの渡来人だっただろう、と考えているが、私もその意見に賛成する。さらに、皇室以前から中国近畿一帯に力を持っていた先輩的渡来人(これも朝鮮からの来訪者だろう。)が「出雲族」であった。つまり、出雲族はべつに現実の出雲の住人ではなく、大和地方などに先住していた「先輩的渡来人」だったということだ。
「記・紀」はそういう政治資料(皇室のプロパガンダ書籍)として読むのが一番面白く有益である。
なお、私は皇室と天皇は日本文化の歴史的中心と考えているので、政治的なその有効活用を図るべきだと思っている。天皇の存在を廃滅せよとの意見には与さない。
余談になるが、邪馬台国時代から日本は中国政権の属国であったり朝貢国であったりした事実を思えば、属国的政治体制は日本の伝統であり、現在の米国属国体制は日本の官僚や支配層の体質に合っているわけであるwww
(以下「松本清張全集33」付論から転載)
『記・紀』が事実上の初代天皇(崇神・応神・継体のいずれにしても)よりはるか以前に国王始祖として神武をつくり、ニニギ命を地界と天上界とのつなぎ役とした。(中略)
ニニギによってつながれた天上界に始祖の祖先アマテラスをつくり、さらにその祖別天三神までつくったのは、天皇の存在が新しいものではなく、はるか悠久の昔から系統がこの国土につづいていたことを語りたいからで、その誇張的叙述はかえって当時からみて天皇発生の新しさを示す。さらには天皇家の祖がこの国土の人でなかったことを逆に暗示している。それを隠蔽粉飾するために『記・紀』の神代巻がつくられたようなものである。
現実に存在した「日本統一(中央政権確立)の中心的存在」としての天皇は(神武天皇などではなく)崇神天皇かと言われている。これはその和名が「ハツクニシラススメラミコト」つまり、「初めて国をお治めになった天皇」であることからそう推定されている。
ちなみに、松本清張は、皇室の祖は朝鮮からの渡来人だっただろう、と考えているが、私もその意見に賛成する。さらに、皇室以前から中国近畿一帯に力を持っていた先輩的渡来人(これも朝鮮からの来訪者だろう。)が「出雲族」であった。つまり、出雲族はべつに現実の出雲の住人ではなく、大和地方などに先住していた「先輩的渡来人」だったということだ。
「記・紀」はそういう政治資料(皇室のプロパガンダ書籍)として読むのが一番面白く有益である。
なお、私は皇室と天皇は日本文化の歴史的中心と考えているので、政治的なその有効活用を図るべきだと思っている。天皇の存在を廃滅せよとの意見には与さない。
余談になるが、邪馬台国時代から日本は中国政権の属国であったり朝貢国であったりした事実を思えば、属国的政治体制は日本の伝統であり、現在の米国属国体制は日本の官僚や支配層の体質に合っているわけであるwww
(以下「松本清張全集33」付論から転載)
『記・紀』が事実上の初代天皇(崇神・応神・継体のいずれにしても)よりはるか以前に国王始祖として神武をつくり、ニニギ命を地界と天上界とのつなぎ役とした。(中略)
ニニギによってつながれた天上界に始祖の祖先アマテラスをつくり、さらにその祖別天三神までつくったのは、天皇の存在が新しいものではなく、はるか悠久の昔から系統がこの国土につづいていたことを語りたいからで、その誇張的叙述はかえって当時からみて天皇発生の新しさを示す。さらには天皇家の祖がこの国土の人でなかったことを逆に暗示している。それを隠蔽粉飾するために『記・紀』の神代巻がつくられたようなものである。
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