1行で分かる「論語(儒教)」の真髄
論語(儒教)の真髄は「仁」と「忠恕」で済む。
後は、漢和辞書を引いて、この2語の意味を理解すればいいだけだ。
一応、解説する。
「仁」とは「博愛(を衆に及ぼすこと)」である。
「忠恕」とは、「忠」が「まごころ」の意味、「恕」が「まごころに従って行動すること」である。厳密には「恕」単独だと「心に従うこと(心の如し)」だが、上の「忠」が真心(中正なこころ)を意味するので、「忠恕」で真心に従う生き方を意味する。だから「論語」では「夫子(孔子)の道は忠恕のみ」と言っているのである。その真心の具体的内容が「仁」である。漢字の成り立ちは「人が二人いること」であり、いわば社会の最小単位だ。その二人がいさかえば、この世は地獄になり、愛しあえば天国になる。後者を「仁」と言う。つまり、社会全体で言えば「博愛」である。
(追記)フロイトの「幻想の未来」の中にこういう一節がある。
「知性の優位が実現するのは、はるか遠い未来のことかもしれないが、無限に遠い先のことではないだろう。そしてこの知性の優位が目的とするのは、キリスト教の神に期待するものと異なるものではないのであるーーもちろん宗教的にではなく、人間にふさわしい形で、外的な現実が、運命が許すかぎりにおいてということだが、その目的とは、隣人愛であり、苦悩の軽減である。」
後は、漢和辞書を引いて、この2語の意味を理解すればいいだけだ。
一応、解説する。
「仁」とは「博愛(を衆に及ぼすこと)」である。
「忠恕」とは、「忠」が「まごころ」の意味、「恕」が「まごころに従って行動すること」である。厳密には「恕」単独だと「心に従うこと(心の如し)」だが、上の「忠」が真心(中正なこころ)を意味するので、「忠恕」で真心に従う生き方を意味する。だから「論語」では「夫子(孔子)の道は忠恕のみ」と言っているのである。その真心の具体的内容が「仁」である。漢字の成り立ちは「人が二人いること」であり、いわば社会の最小単位だ。その二人がいさかえば、この世は地獄になり、愛しあえば天国になる。後者を「仁」と言う。つまり、社会全体で言えば「博愛」である。
(追記)フロイトの「幻想の未来」の中にこういう一節がある。
「知性の優位が実現するのは、はるか遠い未来のことかもしれないが、無限に遠い先のことではないだろう。そしてこの知性の優位が目的とするのは、キリスト教の神に期待するものと異なるものではないのであるーーもちろん宗教的にではなく、人間にふさわしい形で、外的な現実が、運命が許すかぎりにおいてということだが、その目的とは、隣人愛であり、苦悩の軽減である。」
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