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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

無料だと人は有難がらない

或る意味、カネの価値というのは、こういう「強制力」にあるのだろう。
教える側は、カネを貰っていないから教え方がいい加減に(優しく)なるだろうし、教えられる側(たいていは子供か)は、別にピアノが好きではないから、無料(つまり、価値が無いと感じる)ものだと行きたがらない。親も、元々無料なのだから、子供が行かなくなっても気にしない。

まあ、サラリーマンが社長に頭を下げるのもカネを貰っているからだから、会社をやめたら頭を下げる必要は無くなる。だが、自分が社内(所属集団)で偉いというだけで、他の場所でも偉いと思う馬鹿はたくさんいる。

世の中には空気や土のように「無料で役に立っている」人もいるが、そういう人はたいして評価されないのではないか。

無料というわけではないが、都内のあるところが、清掃員が新コロ感染したのでゴミ収集が一部できなくなったらしい。家の中にゴミが山積みになって初めて、ゴミ収集員の仕事の価値が分かるという人が多いだろう。私にとっては竹中平蔵の何億倍もゴミ収集員のほうが価値がある。もっとも、竹中平蔵に価値が少しでもあるというのは、新コロウィルスにも価値がある、というようなものだが。


(以下引用)



大学を退官された先生が「ピアノのおかげで幸せな人生だったから恩返しのために月謝は無料」にされたら生徒がだんだん減って一人も居なくなった話 月謝逸話の中では最高に寓話的だと思う


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