写真を撮ることと文章を書くこと
写真家というのは、常に「世界のどこをどう切り取るか」を考えながら生きている人間なのだろう。ただ、それが「客観的に」切り取る行為だとは私は思わない。自分の主観(直感)によって「あっ、この切り取り方は意義がある」と思う部分を切り取るのだと思う。
下の言葉の「普段の主観的視点から離れる」のは、その「切り取る」行為の後で切り取ったものを眺めることから生じる客観性なのではないか。
まあ、要するに、文章を書く人間が、書くことによって自分の漠然とした思考が明確になるようなものだと私には思える。
(以下引用)
下の言葉の「普段の主観的視点から離れる」のは、その「切り取る」行為の後で切り取ったものを眺めることから生じる客観性なのではないか。
まあ、要するに、文章を書く人間が、書くことによって自分の漠然とした思考が明確になるようなものだと私には思える。
(以下引用)
写真を撮るってのは、そこにあるものを客観的に切り取る行為で、普段の主観的視点から離脱できる効果がある。
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