人間の自然治癒力と西洋医学
まあ、西洋医学のすべてが否定されるべきものだとは思わないが、人間の自然治癒力を疎かにする、あるいは阻害する「対症療法」が人間を弱くし、慢性病的体質を作っているとは言えるのではないか。
(以下引用)
ところが、野口晴哉さんやシュタイナー、あるいはナイチンゲールさんなどに至っては、「病気は回復の証」だとしていたのですね。健康も病気もそのプロセスは同じだと。
なので、そのような多くの人たちに共通していることは、
「無理に治してはいけない」
ということでした。
自然経過のうちに回復することを手伝う程度にするべきだと。
ナイチンゲールさんは、今でも医学での看護思想の中枢として続いている看護の理念が書かれている『看護覚え書』(1860年)に以下のように書いています。
ナイチンゲール『看護覚え書』より
およそ病気というものは、その経過のいずれの期間においても、多かれ少なかれ回復過程であり、それは必ずしも苦しみを伴わない。
つまり病気とは、何週間、何ヶ月、時には何年も前から起こっていながら気づかれなかった病変あるいは、衰弱の過程を修復しようとする自然の努力のあらわれであり、その病気の結末は、病気に先行する過程が進行している間にすでに決定されている。
自然によってすすめられる病気という回復過程は、「新鮮な空気、陽光、暖かさ、静けさ、 清潔さ、食事を与える際の規則正しさや世話」が欠けることによって、「妨害され」、その結果「痛みや苦痛、あるいは過程そのものの中断」 がおこる。
看護としてなすべきことは、自然によってすすめられる回復過程を邪魔している要素を取り除くことである。
自然による回復過程の「邪魔をしないこと」、それは回復を促す自然のはたらきに従うということを意味する。自然のはたらきに従うということは、自然法則、われわれの身体と、 神がそれをおかれたこの世界との関係について神が定めた法則に従うことを意味する。
ここに、
> 自然によってすすめられる病気という回復過程
とありますが、これに関してはノグッチも(友だちかよ)…野口晴哉さんもシュタイナーも同じことを述べています。
野口晴哉さんは『風邪の効用』の中で、以下のように述べています。
野口晴哉『風邪の効用』より
病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。
生命を保つためには自然のはたらきを活かすことの方が、人智をつくすより以上のことであるということを考えてみるべきでしょう。
シュタイナーは、1928年のイギリスでの講演「病気と治療」の中で以下のように述べています。
シュタイナーの講演『病気と治療』より
病気のとき、肝臓、腎臓、頭、心臓で生じるプロセスはどのようなものでしょうか。自然のプロセスです。
健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです。
野口さんの
「病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です」
というのと、シュタイナーの
「健康なプロセスは自然のプロセスです。病気のプロセスも自然のプロセスです」
は、まったく同じことを言っていることに気づきます。
ナイチンゲールの言う「自然のはたらきに従うこと」という看護の掟を考えますと、現在、病院にいる方々がチューブや数値を示す機械たちに囲まれる様子というのは、あれはどうなんだろう、とかも思いますけれど、まあ、それはここでは置いておきます。
このあたりは、 2015年の「病気の本質…」という過去記事などでふれています。
そして、最先端の医学研究は、昔の人々が言っていたことをある程度、証明し続けてもいます。
たとえば、野口さんとシュタイナー、あるいは江戸時代の名医であった後藤艮山さんなんかかが、やはり寸分違わないことを言っていたこととして、
「熱を下げてはいけない」
ということがあります。
シュタイナーなどは「病気において、熱は最も慈善的で、最も治療的です」(1908年の講演)とまで言っています。なお、この講演は
『人間の四つの気質』
https://amzn.to/3i7vQaQ
という著作におさめられています。
この世に今に至る「解熱鎮痛剤」というものが初めて一般的に登場したのが、シュタイナーの時代だったそうですが、それが発売された時、シュタイナーは大変に悲嘆したそうです。また、野口さんも、当時日本で流行していた解熱鎮痛剤を批判していました。
紀元前 400年頃の古代ギリシャの医師ヒポクラテスも「患者に発熱するチャンスを与えよ。そうすればどんな病気でも治してみせる」という格言を残しています。
しかし、この「熱を下げてはいけない」ということに対しての理論的支柱は、医学ではわかっていないままで、判明したのは、2019年になってからでした。
以下の記事で取りあげていますが、
「感染症を治癒するための体内のメカニズムは体温が 38.5 ℃以上でないと発動しない」
ことが中国科学院の研究で判明したのです。
熱を下げてはいけない : 感染症の治癒メカニズムが人体で発動するのは「体温が《38.5℃以上》に上がったときのみ」であることが中国科学院の研究で判明
投稿日:2019年1月19日
細胞がウイルスなどに感染した際に、その排除に働く一種のリンパ球は、「熱ショックタンパク質 90(Hsp 90)」というものが発現しなければならないそうなのですが、この Hsp 90 という重要な物質は「 38.5℃以上で多く発現する」ようになることがわかったのでした。
つまり、38.5℃以上の発熱の際に、人間の細胞は「感染菌と戦うための最終メカニズムを発動させる」ということのようなのです。
そして病気は治っていく。
この「発熱の過程」で、解熱剤などで無理やり熱を下げてしまうと、感染症の根本的な要因であるウイルスなどの病原体を体から排除するメカニズムが完全には機能しないようなのです。
いずれにしましても、今回のイェール大学の研究もまた「風邪の効用」というものの本質が、医学的研究により明らかとされたということになりそうです。
まあ・・・今は、コロナウイルスへの対策の中で、これらのような健康に対しての「自然のプロセス」というものを阻害し続けている社会となっています。
このような中で、「自然良能のメカニズム」が発動されるのは難しいはずで、社会全体の健康の行方に関しては、私個人としては、いまだにあまり希望的ではないですが、ひとりでもふたりでも、本当の「人間の健康の仕組」というものに興味を持つ方が増えればいいなあとは思います。
ちなみに、数カ月前までは、私は、新型コロナウイルスのこともあり、サプリを飲んだり、いろいろしていたのですが、「ふと気づき」今は、以前からご紹介している酪酸菌(ミヤリサン)とアーユルヴェーダのトリファラを 2日に 1度くらい飲むだけで、あとは薬やサプリのたぐいは口にしていません。ミヤリサンはちょっとやめにくい感じで。
他に関しては、なんだか急に「もう健康のために何かをしたり、何かを避けたりするのはやめよう」とふと思ったのです。
そんなに長い人生でもないし、好きなようにやろうと。
そういえば、そのように思った後、最近ふと知った野口晴哉さんの『躾(しつけ)の時期』という 1970年の本に以下のようにありました。
人間の健康の理想は、何もしないで、好きなことを好きな通りやって無事なことである。こうしなければならないということに縛られていることは、もうそれ自体健康ではない。
護り庇わなければ無事ではないと考えたら、もうその考え方自体に不健康なものがある。
ところが実際には、連想の中で人間を不健康に方向づけることが医学常識や衛生知識の普及のように思われている。 (野口晴哉『躾の時期』)
これが発行されたのが、今から 50年前の 1970年。
この中に、
> 連想の中で人間を不健康に方向づけることが医学常識
とありますが、その頃から、現代に続くような「自然良能の観念と相容れない医学的観念」が拡大していたようです。考えれば、この 50年前というような時期、子どもだった私は、病院で「薬漬け」にされていたのですから、何となくわかります。
そして、過去 50年ほど、日本をふくめて、世界中で、ガンや生活習病を含めた、あらゆる病気が爆発的に増加してきました。
その理由が今にしてわかります。
それは書きませんが、今回の記事の中にすべて書かれています。
特にノグッチの言葉にそれが集約されています。