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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

人生終盤の中仕切り

「普通の人間」として、完全な自由を与えられたら、何がしたいか。
これがたとえば年金生活に入った老人の前にある、気楽な問題だ。しかし、海外旅行に行くとかいう「高価な遊び」は除外しての話だし、たとえば自由になるカネが月に1万円から2万円といったレベルの話である。条件として、健康体で特に高額な医療費の心配は無い、とする。
大きく分類するなら、
A:受動的な娯楽(音楽鑑賞、映画鑑賞、美術鑑賞など)
B:能動的な娯楽(小説創作、絵を描く、書道をするなど)
の2種類があり、また
C:ボランティアなど社会奉仕活動をする
のが趣味になる人もいて、これは新聞などで取り上げられ褒められる可能性があるが、そういう気疲れするのは娯楽にならない、という私のような人間がほとんどだろう。
で、私の場合はAもBも好んでいるが、どれも少しやると「飽きる」のである。
Aの場合には「ほとんどの優れた作品は既に見たり読んだりしていて、新作はその焼き直しでレベルが低く、かえって不愉快になる」からだ。
Bの場合には、創作の根気が続かないことが多いし、これも少し満足な作品ができると「自分の能力では、これがほぼ限界で、これ以上やってもムダかな」という気になる。もちろん、商業ベースに乗るほどの作品の量産はできないから、創作物は自己満足のためのもので終わる。
かと言って、日がな一日、窓外の風景を茫然と眺め、お茶やコーヒーを飲んで過ごすだけで余生を送るのも「もったいない」気がして焦るので、庭仕事や家事(炊事洗濯)などはかえっていい気晴らしになるのである。
まあ、これが現在の私の生活だ。
いくつかの「思索課題」があるにはあるが、たとえば「地球から永久に戦争と貧困を無くす方法」を考察して余生を送るのが最善かなあ、と思っている。
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