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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

二項対立思考でしか考えられない人々

私は、当たり前のことを事々しく言う癖があるが、それは世間の多くの人間は、当たり前のことも理解していないのが普通だと思っているからだ。かつての自分自身を振り返れば、そう思う。で、べつに今が昔の自分より進歩している保証は無い。とすれば、常に、「当たり前」を大事にして生きていくのは当たり前だろう。
たとえば、「敵の敵は味方」という言葉がある。これが大嘘であり、数学的に成り立たないことは少し考えれば誰でも分かる。敵の敵は自分にも敵かもしれない、というのは「三項対立」の図式を考えれば「当たり前」である。それを、「敵の敵は味方」と信じるのは、「そうであってほしい」という願望が事実の認識を歪めるのである。これは、「敵と味方」という二元論で考えてしまうからだろう。
現実は直線でも平面でもなく三次元なのである。右と左で全部がくくれるわけではなく、上と下もある。左だ右だと争っている構図を「上」はせせら笑って眺めているわけだ。もちろん、「上と下」という構図も二項対立思考であり、上の中にもまた上と下がいるし、下の中にも上と下がいる。そうすると、上の中の下は下の味方になる可能性があり、下の中の上は下の敵になる可能性がある。さらには、上でも下でも右でも左でもないという立場もある。世の中はそういうものだが、いったん党派で区切られると思考が単純化されてしまうのである。
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