オリンピック選手と特攻隊の自己同一化
彼女はおそらく、直接的には百田尚樹あたりの特攻隊小説にかぶれたのだと思うが、深層心理的には、スポーツ選手、特にオリンピック選手は、多くの人の援助を受けて選手生活を送るので、「自分は多くの人の援助を受けているが、国(や多くの人々)のために戦っているのだから、それは正当である」という自己正当化の欲望があり、それが「お国のために戦った」とされる特攻隊員と自分の同一化になるのだろう。
(以下引用)
早田選手の知覧発言について
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-86ba7d.html
2024年8月15日 植草一秀の『知られざる真実』
パリ五輪で卓球女子団体銀メダル、シングルス銅メダルを獲得した早田ひな選手が、帰国会見で「特攻資料館に行きたい」と発言して話題になっている。
早田選手は
「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、そして、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたいと思う」
と述べたが、深い真意は不明である。
このことについてさまざまな論評がなされているが、日本が突き進んだ戦争について正しい認識を持つことが重要だ。
敗戦間際の特攻は究極の人権蹂躙である。
日本は戦争に突き進むべきではなかった。
戦争に突き進んでしまったあとも、早期に敗戦の決断を示すべきだった。
国家の誤りによって多数の国民が犠牲になった。
国民が犠牲になっただけでなく、他国の人々に多大な犠牲を強いた。
この過去を直視して見解を示したのが村山富市首相。
1995年8月15日、「村山談話」が発表された。
村山首相は次のように述べた。
「平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。」
さらに、こう述べた。
「われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。」
早田選手がこの思いで知覧に行きたいと述べているなら正当だ。
村山談話の核心は以下の部分にある。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
日本は、遠くない過去の一時期、
「国策を誤り、戦争への道を歩んで」
「国民を存亡の危機に陥れ」、
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」
たのである。
このことについて、村山首相は、
「疑うべくもないこの歴史の事実」を謙虚に受け止め、
「ここにあらためて痛切な反省の意」を表し、
「心からのお詫びの気持ち」を表明いたします
と述べた。
過去の過ち=疑うべくもない歴史の事実を直視し、
「痛切な反省の意」を表し「心からのお詫びの気持ち」を表明した。
このことを私たち日本国民は忘れてはならない。
この上で、村山首相は、
「この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」
と述べた。
「植民地支配と侵略」によって近隣諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えたことについて、「痛切な反省の意」を表し「心からのお詫びの気持ち」を表明したことが重要だ。
しかし、談話の意味はそれだけではない。
村山首相は「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ」たと述べた。
「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ」た象徴のひとつが特攻である。
国家が国策を誤り、国民の人権を奪い、国民のかけがえのない命を奪った。
国家による犯罪行為=殺人行為である。
その犠牲者を追悼し、哀悼の意を捧げることが重要だ。
未来ある若者が国家によって犠牲にされた。
このような過ちを二度と繰り返してはならない。
この思いを確認する場として特攻記念館があるなら意味はある。