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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「褒める」と「励ます」の違い

私は他人と一緒にいて楽しいと思った経験がほとんど無い人間なので、「独楽帳」などというブログを書いたりしているわけだが、生きることは楽しいと思っている。文学や音楽や漫画やゲームがあれば、人間の友人はさほど必要としないわけである。
人間の友人というのは、社会生活を「有利に進める」上では大事な要素だが、友人がいるから人生が豊かになるとも思えないわけだ。と言うのは、自分に似た感性を持った人間が身近にいる確率というのは非常に少ないわけで、そうすると、友人との会話は、「徒然草」に言う、「他人が自分の言葉をどう聞くかを気にして」の発言になり、本心からの言葉ではなくなる。まあ、学生時代に遠慮会釈の無い、気の置けない友人関係を持つこともあるだろうが、社会に出たらそうはいかない。同僚であっても、気を許せる人間がいるのは希だろう。

さて、ここで書こうとしたのは、実は教育の話である。その前置きに、自分が教育を語る資格のほとんど無い人間であることを書いたわけだ。

最近の教育は「褒めて伸ばす」のが主流だが、「褒めて伸ばす」という言葉には問題があるような気がする。「励まして、あるいは勇気づけて伸ばす」と言うべきなのではないだろうか。
何が違うのか、と言われるかもしれないが、私は、「褒められると人間はそこで満足し、成長しなくなるものではないか」と思っているのである。
私自身は子供の頃は他人に悪く言われたことがほとんど無い人間だが、その分、打撃に非常に弱い人間になったように思う。良く言う「豆腐メンタル」だ。小さいころから他人に悪口を言われてばかりいた人間のほうが「わたモテ」のもこっちの言う「人間強度」は高いのではないか。
「励ます」のは褒めるのとは別である。褒めるのは、その対象が何かの点で優れている、ということが前提だが、「励ます」は「今は悪くても気にすることはない。必ず良くなる」という趣旨の言葉をかけ、勇気を与えることだ。もちろん、それを信じるだけの「精神的幼さ」を対象が持っていることが前提だが、教育とは基本的に「精神的幼さ」を持った人間が対象なのだからそれでいいのである。
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