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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「ヒロインとは何か」

「はてな匿名ダイアリー」のコメントというか、スレッドというか、呟きだが、こういう「言語化できない感情や思考」を言語化する試みは「微細思考」マニアとしてはチャレンジングなネタなので、少し考えてみる。
発言者が「(そこは)普通にヒロインでいい」という部分に引っかかったのはなぜか、という問題だ。それにモヤモヤを感じたのは

1:ヒロインというものが存在すること自体へのモヤモヤ
2:ヒロインという存在が軽視されていることへのモヤモヤ
3:ヒロインという存在が重視されていることへのモヤモヤ
4:「男の子同士で付き合う」ことが軽視されていることへのモヤモヤ

のどれかだと思う。「男の子同士で付き合うことが重視されていることへのモヤモヤ」は無いだろう。なぜなら、その問題のドラマではLGBT(性的多様性)への配慮(重視)として「男の子同士で付き合う」話にしたのだからだ。(「友人の発言」は、「男の子同士で付き合うことを軽視した発言」なので、コメント発言者、つまり書き込み者がBLファンの場合、4の可能性は一番高くなる。)
上記の1の場合が一番「モヤモヤ感」の説明が難しそうだ。3は1と似ているが、1はより根源的なモヤモヤで、仮に発言者が女性(おそらくそうだろう)なら、なぜ「ヒロインというものが存在すること」を不快に思うのか、それは、通俗芸術でのヒロインの扱いが「いい加減である」つまり、男性ヒーローの刺身のツマでしかなかったという歴史を考慮する必要があるだろう。
まあ、これ以上の分析はしないが、とりあえず、「思考が困難な問題は、問題を細分化してみる」というデカルト的手法の事例として書いてみた。
(補記)コメント発言者(書き込み者)が男である可能性については考察しない。そういう「ホモ心理」は苦手なのであるwww 私は「友情」は尊重するが、それに性的感情が混じるのは不愉快に思う人間だ。たとえそういう感情があっても、断固として自分で自分の心の中のそういう感情を「切り捨て」ないと友情が汚れる。昔の侍の「衆道」も大嫌いだ。


(以下引用)

結構長い付き合いになった友だちが好きなドラマの話をしてて

多様性忖度したのか男の子同士で付き合うんだよね、そこは普通にヒロインでいいのに」

って言ったのに対して、なんかすごいもやもやしている

めちゃくちゃ言語化しづらい

同性同士の恋愛が~っていうより、「普通にヒロインでいい」のほうに引っかかってる

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