昨日、午後に雨が止んで陽が差してきたので、笠置山に散歩に向かうため、バイクで家を出たら四つ辻交差点を過ぎてパトカーが追いかけてきて「止まれ」という。
 まるで心当たりがないので「何だ?」と言うと「一旦停止違反」だという。

 「四つ辻交差点では、私はちゃんと一旦停止し、左右を確認した。検挙される筋合いはない」
 というと、警官が「バイクの足をついて止まっていない。完全に止まらなければ違反だ」という。

 冗談じゃない、バイクは止まっていても1秒程度なら倒れないし、「一旦停止」交通取締の本旨は、「道路に足をつけて完全に止まること」ではなく、「止まって左右を安全確認して進行すること」のはずだ。
 左右をきちんと確認して進行しない者を事故誘発行為として取り締まるのは正当だと思うが、「完全に止まらないこと」を理由に取り締まるのは明らかに間違っている。
 私は、16歳で自動二輪、後に大型二種免も取得し、すでに50年を超える運転経験があるが、止まって安全確認をきちんとして進行したのに検挙されたのは初めての経験だった。

 もし「完全に止まらない」ことを理由に検挙するなら、世の中の、郵便・新聞などバイク配達員は、数百カ所もの配達をこなすのに、教習所で教えるような「三秒間停止」なんて馬鹿げた停止作法をやってたら「商売にならない」わけで、それこそ全員検挙できることになってしまう。
 ちょうど宅配便の駐車違反と同じだ。

 問題は交通の危険を未然に防止するための「安全確認」なのだ。「完全停止」で事故が防止できるわけではない。完全停止3秒なんてやってたら、後続の運転手はいらつき、円滑な交通が妨げられ、瞬時の変化にも対応できず、むしろ事故を誘発してしまうだろう。

 私は瞬時に、違反承認を拒否し、正式な裁判で争うことを決意した。
 しかし、それから、警官に止められたまま、実に面倒くさい、さまざまな手続きを要求され、結局解放されたのは1時間以上経てからだった。まるで嫌がらせのように感じた。
 おそらく、違反を承認しない者に対する嫌がらせマニュアルでもあるのではないか?

 もちろん違反切符へのサインは拒否したが、「私は止まって左右を確認した」との供述調書にはサインした。あとは、交通裁判所からの召集を待つばかりである。
 私のようなヒマ人でなければ、この面倒くさい時間の圧力に負けて、「不条理を我慢して違反を承認し、罰金を払った方が簡単に済む」と考えるにちがいない。
 実際に前回の一旦停止検挙では、用事があり、この時間の浪費を回避するため、止まったつもりだったが、諦めて違反切符にサインしてしまったのだ。
 このときの遺恨も私を後押しした。

 私は、当地に移住してから20年の間に三回ほど交通違反で検挙されたが、いずれも「一旦停止」違反だった。中津川警察交通課は、現在、一旦停止交差点で隠れて取り締まるのが企画取締の中核である。
 20年前までは、50Km制限の国道19号で、スピード取締をやっていたが、警察庁通達で、スピード違反取締を積極的に行うことが少なくなっている。

 国道のスピード違反は、罰金が高くなるので警察にとっては美味しい畑を手放していることになる。 
  警察の企画交通取締には、よからぬ噂がつきまとってきた。
 それは、交通取締によって反則金を徴収し、それが交通関連企業の安全対策工事や標識設置などに使われることで金儲けニーズを生み出し、警察署長クラスが退職後、業者に天下りできるため、署員を叱咤して取締を行わせるというものだ。
 だから、「交通課署員にはノルマが課され、それが筋の通らない無理な取締を生んでいるというわけだ。

 ノルマが実際にあるか? という問題については、元警察官が「ノルマではなく目標がある」と書いている。
  https://mc-web.jp/life/zatsuneta/65632/

 まあ、どちらでもいい、警察幹部の天下り確保のために、交通課署員に「目標」を設定し、無理な取締を求め、それによって、筋の通らない理不尽な取締が多発しているとすれば、それは大きな社会問題だ。
 今回、私が検挙された理由も、おそらく、検挙数がはかばかしくないので、原付バイクの私に「足が道路についてない」と言いがかりをつけて、無理な検挙を行ったと認識している。

 私は、19歳で、脳挫傷になるようなバイク転倒事故を起こしたので、普通免許取得と引き換えに自動二輪免を放棄して、以来、バイクは原付しか乗らないようにしていた。
 だが、原付バイクでは不条理な憤りを感じる取締に何度も遭っている。
 原付(一種)は、30キロ制限という超時代錯誤な危険速度制限が課されている。

 一般道路で30キロ制限がどれほど危険かは、多くの運転者が実感しているだろう。
幹線道路では、すべての車両が一定の速度で運行し、追い越し、追い抜きなどの機会を減らすことが安全運転につながるのが常識である。
 だから、30キロ制限があろうとも、バイク運転者は、危険を避けるため、できるだけ「交通の流れ」に乗って、障害にならないよう心がけているのだ。
 速度違反したいわけではない。安全運行のため必要なのだ。

 それなのに、国は、原付バイクの性能が向上し、道路環境も整備されたので、70年前の30キロもろくに出ないモペットしかない時代に設定された30キロ制限が、外国人から嘲笑されるほど時代遅れの不合理になっていることを承知で、嫌らしく規制を残している。何のためか?
 それは、原付(一種)バイクが、警察にとって「美味しい鴨ネギ」だからだ。
 ほぼすべての原付運転者が、30キロ制限では危険なので「交通の流れ」に乗ろうとする。だから、いつでもスピード違反で取り締まれる生け贄になっているのだ。
https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/eb88a293fdc922715a4ed5907a167062234e6f82/

私も、東京で、原付バイク運転中に二回、速度違反で検挙された。いずれも、交通の流れに乗って40キロ台で安全運転をしていたときなので、抗議したが、白バイ乗務員に激しく威嚇、恫喝された。
 結局、このときも、交通安全を目的にした取締ではなく「違反検挙数を増やすため」の取締であると実感させられた。

現在、普通免許以上所持者には原付二種まで運転を認めよという流れが出ているが、警察が強硬に反対している。
 理由は、美味しい鴨ネギを残しておきたいという意図だけだろう。バイク運転者の安全を目的にしているわけではない。
 特に白バイが検挙ノルマを達成できないとき「原付バイクを探す」と言われているので、本当の目的が検挙数の確保にあると疑われても仕方がない。

 こうした歴史的な不条理を改善するためには、この検挙を承認せず、裁判所に持ち込むしかないだろう。こちらも相当な手間になるが、有罪判決を出すためには、検挙検察官が出廷して、証言しなければならないので、警察に対する圧力にもなるはずだ。

 もう一つ、昨年末に、私が中津川警察から極めて理不尽で不当な扱いを受けた事件があり、このとき、「警察法79条」による「苦情申立」を行った。
 https://www.pref.saitama.lg.jp/kouaniinkai/kujou.html

 近所に住むAが、私に対して頻繁に嫌がらせを繰り返し、車をパンクさせたり、工具や無線機を盗み出したりしたことで、中津川署に通報したが、彼らは、私が虚偽主張を行っていると決めつけ、逆に私を精神病院に強制連行した。
 この件は、Aの侵入証拠を得次第、弁護士を通じて地検に刑事告発するつもりでいるが、実に卑劣、狡猾な相手なので、現在もまだ解決していない。

 私は、中津川警察の不当性を訴えるため、岐阜県公安委員会に「申立書」を送った。
 だが、公安委員会は二ヶ月も放置した挙げ句、警察は何の問題もないと決めつけた。
 しょせんは権力機関だから、ある程度予想していたが、私の憤りと悔しさは死ぬまで消えることはない。
 こんなことがあったので、私は死ぬまで警察を絶対に信用しないし、安易な妥協も二度とするつもりはない。

 今回も、結論は見え透いているが、79条申立を行うつもりでいる。
 行政機関なので、警察も、タテマエの対応を強いられるので、おそらく、一定の圧力として働くことを期待している。還ってくる結論は分かりきっているが。

 あとは、裁判所から召喚通知が来て、どのような意見を述べるのかは、これから研究するつもりだ。
 今から、最悪の結末を覚悟しているが、余裕のある限り、上訴を続け、不当な交通取締に対する圧力の先例となるような軌跡を残したいと考えている。

 警察官というのは、官僚秩序に組み込まれているので、もっとも効果が高いのは、結局、裁判や行政不服申立ということになる。
 個人的な怒りや、情緒的な対応は、まったく相手にされない。あくまでも正規の行政手続きだけが効果を持っている。
 だから警察法79条は、警察擁護の結論を出すことが分かりきっていても、手続きそのものが大きな圧力になるので、ぜひやるべきだ。

警察の不当な圧力を我慢させられることは、実に心身に有害である。玉砕を覚悟して徹底抗戦することに、明日の生きやすい社会を作りだすことになる。
 先例ができれば、必ず後に続く者たちが、より合理的な正当性と正義の社会をもたらしてくれることを信じよう。