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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

畑に転がった捨て野菜を拾っても窃盗罪

プロの文章だが、SNSに載り、コピー可能ならコピー可だと見做して転載する。
警察に捕まった経験のある人は少ないだろうから、「常識でない常識」のひとつだ。「野あらし」という罪名を知っている人も少ないだろう。
山上たつひこのこのコラムが掲載されているのは「GQ」とかいう正体不明のウェブ雑誌で、やたらに気取った記事が多いが、そこに山上たつひこというのは異色の取り合わせだ。

(以下引用)

漫画家と夜食──インスタントラーメン──は切っても切れない関係にある。

「ごん」(一九六八年八月号~十一月号 日の丸文庫)に短編を発表していた頃、ぼくは夜食が楽しみで原稿を描いていたようなところがある。

具のキャベツとダマになった卵が麵と絡み合って「旨味、旨味」と口中を回るあの幸福感は神様が徹夜する漫画家のために用意してくれた贈り物だったような気がする。

その夜はラーメンの具材がなかった。

「畑にキャベツがあるやないか」

ぼくは気がついた。練馬区南大泉はキャベツ畑だらけだった。このときは収穫期で畑にキャベツは残っていなかったが、売り物にならない傷もののキャベツがいくつか黒土の上に転がっていた。腐っているわけでもない。ちょっとばかり見栄えが悪いだけだ。中身は普通に食べられる。

「あれを取りに行こう」

どうせ腐らせて畑の肥料にするキャベツだ。その前に人間の口に入れたところで非難されるいわれはあるまい。ぼくは谷内力男を連れてアパートを出た。手に提げたバケツには菜切り包丁と懐中電灯が入っている。

黒土の畑には収穫から残されたキャベツが放置されている。誰もそれを取りに行かないことがぼくには不思議でしょうがなかった。

懐中電灯を照らしながら畑に入った。放置されたキャベツはぼくの目には完全な野菜に見えた。これのどこが悪いのか。包丁でキャベツの底部を切り取りバケツに入れた。

ライトが光った。巡回中のパトカーだった。

パトカーはぼくと谷内に気づいたようだった。ライトが接近し、ぼく達のいる畑の前に停まった。映画の「夜の大捜査線」みたいだな、とぼくは思った。《夜の熱気の中で》──シドニー・ポワチエとロッド・スタイガー共演のアメリカ南部を舞台にしたミステリだ。

警官が二人降りて来た。

「何をしてるんだ」

警官の一人が畑に入って来てぼくの前に立ちふさがった。ここは日本だし、練馬だし、キャベツ畑だから銃は突きつけられなかった。

「ちょっと、ラーメンに入れるキャベツを取りに……」

しどろもどろの口調でぼくは弁解したと思う。

ぼくの手の菜切り包丁に気づいた警官の顔が緊張した。

「おう、こりゃまずいね」

警官はぼくの手から包丁を取り上げ、ぼくの腰のベルトを摑んだ。慣れた素早い動作だった。

「署まで行こうか」

谷内力男も片方の警官にベルトをつかまれていた。

石神井警察署に着くと警官がどやどやと集まって来た。六人ほどいたのではないか。深夜の警察署にこんなに警官がいるのかとびっくりした。ぼくと谷内は緊迫した雰囲気の中で警官に取り囲まれた。

畑に捨てられたキャベツ一個を持ち帰ろうとしただけでこれほど物々しい取調べを受けるのか。パトカーの中ではわりあいと気楽に構えていたぼくは急に心細くなった。あとで事情を聞いて合点がいった。

この日、武蔵小金井で強盗殺人があり、ぼく達はその容疑者に間違われたのである。連絡の手違いで強盗殺人犯を二人確保したらしいと思い込んだ夜勤の連中が駆け寄って来たというわけだ。ぼく達がただのキャベツ泥棒だと知ったときの彼等の落胆した表情といったらなかったな。最初、ぼくを畏怖の眼差しで見ていた警官が急に見下した視線を送ってきた。深夜の警察署で一目置かれるには強盗殺人ぐらいでないと迫力が足りないのだ。

ぼくは指紋を取られ、住所やら本籍地を問われた。罪名は「野荒し」であった。警官が書類に書き込んだ下手糞な文字を憶えている。

「お前らなあ、お百姓さんがキャベツひとつをつくるのにどれだけ汗を流してるのか知ってるか?」

書類を書き終えた警官がぼくの方へ向き直り説教を始めた。マニュアルでもあるのだろうか。野荒し相手にはこう、かっぱらい相手にはこう、無銭飲食にはこう、警官は慣れた口調だった。

「お前らどう見ても重大犯罪を犯せるような顔じゃないよな」

警官は薄笑いを浮かべていた。

屈辱だったな。いや、だから強盗殺人でもやらかしたろかい、と考えたわけではありませんけれど。

ぼくと谷内は犯罪者よりも下級の人間として扱われたのである。

ぼく達は警察署を出た。明け方近くだったと思う。石神井から保谷まで歩いて帰ったのか、タクシーを拾ったのか、よく憶えていない。財布を持っていなかったからたぶん徒歩で帰ったのだろう。

警察は、連行するときは車に乗せてくれるのだけれど、帰りは送り届けてくれないのだということを初めて知った一夜でもあった。

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