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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

生活の質を高める医療と延命医療

「神戸大好き」から一部転載。
今の時代、うまく死ねないから長生きしているだけ、というのはいいところを突いていると思う。
私は、医業というのは「生活の質を高めるため」には必要な大事な仕事だと思うが、延命医療はまったく不要だと考えている。たとえば、癌患者を治すよりも、歯痛を治すほうが大事だ、と言えば極論になるが、歯痛があると何も手に付かなくなるわけで、これほど生活の質を落とすものはない。癌の場合は、「あんたはそろそろ死ぬ時が来た」というお告げのようなものだ、と私は思っている。いくら抵抗したところで、(若年性の胃癌などは切除手術などで完治することもあるようだが)ほとんど完治せず、苦痛と不快の中で送る数か月か数年の命を伸ばすだけだ。
まあ、その間にいろいろ考えて人間的な進化と深化がある人もいるだろうが、そういう人はもともと人格が高かった人だろう。


(以下引用)



最近の長生きの一番の原因は「死ねない」ことだよね。
昔は、盲腸炎でも死ねた。
最近は、盲腸炎でも破傷風でも、なかなか死ねない。

そのために、ゴールを過ぎても生き残っている。

このことが、親子の間の濃密な情愛を消滅させた。
早くに亡くなった母に憧れて生きることもないし、

知人で関西から東京の大学へ息子二人を進学させたと、自慢していた人がいたけど、
ご主人が72歳で、ある日突然心臓まひで亡くなった。

驚きうろたえて、葬儀に戻ってきた息子たちに
「お父さんに死なれて、お母さんは、これから、一人で、どうしたらいいの?」と、泣いたら
「おかあさん?後は、死ぬだけやんか。」と、言われたんだって。

全体的に、おかしい!

絶対おかしい。

生きるばかりが能じゃない。
だからと言って、目の前で、一生懸命生きている人に、死ねとは、よういわんけどね。

まあ、最近は「寿命」が、実際長くなっている。
かえって若い世代の方が、不健康な食事と生活で危ないかもしれない。

主人の父は88歳で、「孫もそれぞれ、立派に成人した。もう、わしがいなくても、大丈夫や。いつ死んでもいい」と話してから、3か月後に亡くなった。
6日の患いだった。

義理の従兄弟が、涙を浮かべて羨ましがった。
「おじさんは子供孝行や。俺かて、なにも両親を、施設から施設にたらいまわしになんか、したくなかった。
でも、女房の方が先に死んで、どうすることもできなかった。」

ほんまに、真ちゃんは、かわいそうやった。

下手な長生きが、どれぐらい子供を悲しませるかと思ったわ。

血圧降下剤は、考え直してほしいね。
あっさり亡くなるものを、じわじわ生き延ばして、
一瞬の死を、何年もの「人間以外のいきざま」にさせてしまうと思うよ。

どう生きるか、どう死ぬか、本人の自由だろうが?
薬屋の算盤じゃないだろ?


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