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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

山本弘の脳梗塞体験記

うちの父方の家系は高血圧というか、脳梗塞脳卒中家系で、私の父も叔父もそれでやられている。父は脳溢血でその夜のうちに死に、叔父は脳梗塞で倒れた後、半身不随になったが、それからしばらく生きており、自立歩行もできるまで回復したが、体が半分不自由なままだった。
どちらが幸福だったかは分からないが、私としては、即死できるなら、そう願いたい。半身不随で長々と生きるのは嫌だが、実際にその身の上になったら生にしがみついて生きるかもしれない。
下の引用文は脳梗塞にかかった作家の実体験記で、なかなか参考になる。うちのような脳梗塞脳卒中家系の人は、読んでおいても無駄ではないだろう。
なお、低血圧でも脳梗塞や脳卒中になる人もいるようなので、自分は低血圧だから大丈夫、とはならないようだ。最近は脳卒中は少なく、脳梗塞が多いように思うが、これは単なる印象かもしれない。脳卒中は血管の柔軟性の問題、脳梗塞は血液の成分の問題かと私は思っている。だが、何をどう注意すればこれらの病気にならずに済むか、医者たちはあまり有益なアドバイスをしてくれない。せいぜいが、高血圧の治療をしろ、という程度だが、低血圧でも脳溢血や脳梗塞になるのなら、どの程度の意味があるのか。実際に、有意な統計が取られているとも私には思えない。

山本弘の闘病日記

山本弘

第1話 第一日の出来事

 5月10日、問題の日。

 僕は自分の家から徒歩5分のマンションを仕事場にしている。そこに執筆に必要な書籍を溜めこんでいるのだ。『BISビブリオバトル部』や、『神は沈黙せず』『MM9』『プロジェクトぴあの』などの参考文献リストを見れば分かる通り、常に大量の本に囲まれて執筆している。

 その日は朝から何かがおかしかった。いろんな打ち間違いをしていて、ちっとも原稿が進まない。そのうち、異変がさらに進行しているのに気付いた。

 使い慣れているはずの、WORDの使い方がよく分からなくなっているのだ。

 その時になっても、僕は事態の深刻さに気づいていなかった。身体のちょっとした変調で、ひと休みすれば治るといった程度に軽く考えていた。

 あとから思えば、脳の正常な判断力が失われていたのだ。

 尿意を催し、トイレに行きたくなった。その時にようやく、肉体にも異常が起きているのに気づいた。身体のバランスが取れない。ドアのノブを回すといったありふれた行為がひどく難しい。ズボンのチャックを下ろすことさえ大仕事だ。

 どうにかズボンとパンツを脱いだ。なぜって? 自分でもズボンのチャックをまた上げられるかどうか分からなくなっていたいたのだ。とりあえず今はトイレで用を足すのが緊急の用件なのだ。

 無事に用は足せた。失敗はしなかった。だがそこで僕は次の行動に詰まった。

 トイレから立てなくなったのだ。

 そのまま一時間以上もトイレに座っていたと思う。下半身すっぽんぽんのみっともない格好で。いったい何が起きたのか分からない。でも何か行動を起こさないと。

 どうやってトイレから出て、どうやってパンツとズボンを履いたのか覚えていない。当時の僕にとってかなりの難業だったはずなのだが。

 帰らなくては――その思いに突き動かされていた。愛する妻と娘の待つ家に戻らなくては。

 靴を履き、どうにかマンションの通路に出た。鍵はかけなかった。どうやって鍵をかけるのかさえ分からなくなっていたのだ。

 帰らなくては。帰らなくては。そのことしか頭になかった。

 すでにあたりは真っ暗だった。どうやって歩いたのかよく覚えていない。ふらふらで周囲のことなど認識できない状況だった。よく車に跳ねられなかったものだと、後になってぞっとしてる。

 ようやく家の前までたどり着いた。そこで緊張の糸が途切れたのか、僕は玄関のドアの前でへなへなと崩れおちた。

 そんな状況になってもまだ、僕はまだ「世間体」を気にしていた。ドアの前で倒れているみっともない姿を見られるわけにいかない。なんとか下半身をひきずって、玄関の門扉の内側に身体を押しこめた。近所の人のバイクが通り過ぎる音がしたが、僕には気がつかないようだった。

 さてこれからどうする。

 妻と娘に家から出てきてほしい。僕の窮状に気づいてほしい。

 だが、家族が暮らす部屋は。ドアからかなり離れたところにある。大きな声は出ない。どんどんとドアをノックしようにも、とてもそんな力はない。チャイムはとても手が届かない。知らせる方法がない……。

 このまま死ぬのかな……と、ぼんやり思った。

 玄関先に僕が倒れていることを、妻や娘は気づかないままなのか。僕の帰りが遅いことに不信感を抱きつつも、今夜は眠りにつくのではないか。もしかしたら、夜明け前に冷たくなった僕が、新聞配達の人にでも発見されるのではないか。新聞に死亡記事は乗るだろうか。いや僕の知名度じゃ無理かな……とか、どうでもいいことばかり考えていた。

 そうして玄関先で一時間ほど倒れていたと思う。その時、ふと名案を思いついた。僕のポケットにはスマホがある。これで自宅に電話をかければいいではないか。

(もっと早く思いつけ、と言いたくなるが、当時の僕はそれほどまでに知能が低下していたのだ)

 何とかスマホを取り出した。しかし使い方が分からない。あれこれいじり回しているうち、偶然にも電話帳のページが開いた。しめた! 僕はさらに試行錯誤を繰り返し、どうにか自宅に電話をかけることに成功した。

 何を言った覚えていない。おそらく僕の混乱した口調から、妻は異常事態に気づいたのだろう。ほどなく玄関のドアが開いた。

 ドアの前で倒れていた僕に驚き、妻はすぐに救急車を呼んだ。危機は去ったと知り、僕はほっとした。そう、ちょっとした病気に違いない。病院で治療を受ければ、明日か、悪くても数日後には元通りになれるに違いない。

 娘の美月も外に出てきた。今は大学生。卒論や就職活動で大変な時期だ。ああ、お前にも迷惑をかけてしまったな……。

 救急車が到着するまでの間、美月は僕を抱き起して、玄関先に座らせ、肩を抱いて支えてくれた。

「お父さん、だいじょうぶ」

「もうじき救急車が来るからね」

 と優しくはげましてくれた。ああ、なんていい娘なんだろう。僕は愛おしくなって、おもわず感謝の言葉を口にしたくなった。

 その時、僕の心に戦慄が走った。

「LdV&3#jW$n0」

 自分が何を言ってるのか分からない!

 言葉が通じない! 娘に感謝の言葉を口することさえできないのだ!

 やがて救急車のサイレンが近づいてきた。




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