忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

医学の不足部分を隠蔽するのがパターナリズム(父権的権威主義)

大阪府立急性期総合医療センター(かな?)のホームページから転載。
東海アマ氏の幼少期の腎臓病(尿蛋白)への氏の対応が必ずしも間違っていなかったようだというのが、ここから分かる。ある病気の療法が確立していない、というのを医学側が正直に書いており、むしろ信頼に値する態度だろう。
この態度の逆の態度が多くの医者に見られるパターナリズムである。これは、自分(医者側)の弱味を患者に知られないようにする「コケ脅かし」であり、医者が嫌われる理由だが、また多くの善良で無知な患者はこれに容易に騙されるのも事実である。かつては教育界でもこのパターナリズムが横行していた(一例が、体罰容認)現代ではそれが通用しなくなり、教師は生徒になめられる辛い仕事になっている。だが、事実が知られれば詐欺的行為が通用しなくなるのは当然であり、この流れ自体はいい事だろう。


(以下引用)赤字部分は当ブログ筆者による強調。

腎臓病の治療法は確立している?

ブックマーク: はてなブックマークに登録 このエントリーを含むはてなブックマーク Yahoo!ブックマークに登録

同じ患者さんでも、別の医療施設を受診すると、非常に異なった投薬や治療法を指導される場合があります。これは一部の腎臓病は治療法が確立されていないためです。また、一般に経過が非常に長いために、効果が実証されていない治療法もあることも事実です

例えば慢性糸球体腎炎の患者さんの安静度に関しても、よくわかっていないことも多く、我々医師からすれば、安静にした方が無難であると言う観点から、いたずらにきつい安静が指導されることも多いのです。

蛋白尿のある高校生が、腎生検も受けずに厳重な安静を指導され、両親が自家用車で学校の送り迎えをし、体育はおろか、階段を登ることすら禁止され、教師がおぶって登る、というようなことが行われていた実例もあります。このように厳密な安静を指導された患者さんの側から考えると、大変な問題です。精神的にも大きな苦痛を伴うのはもちろんですが、体育にも参加できなければ内申書にも影響し、進学もままならないという事態に遭遇します。

患者さんは出来るだけ自分の病状を軽く診断し、生活制限の軽い指導を求めます。このため、病院や診療所を転々と変わられる方がいます。最も軽い制限を指導された所に通院される場合も多いのです。先に述べたように、いたずらに安静を強いるような指導も問題ですが、このような場合も問題です。

腎臓病の治療方針は専門医の間でも意見が分かれている現状です。とにかく納得の行くまで専門医の意見を聞くことをお奨めします。




PR