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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

風呂吹き大根の価値

海外を渡り歩いた料理人の体験談で、一般人にはどうでもいい話題だろうが、アンテナの範囲の広い人はこうした談話にカネ儲けのネタが拾えるかもしれない。
つまり、或る物の、或る土地での価値と別の土地での価値は違うという単純な事実だ。
これは自明のことに思えるが、「価値の絶対性」を信じている人は多いと思う。
美味いコーヒーを安い値段で出せば店に来る客はどんどん増えていくと思って脱サラして喫茶店を開く人が昔は多かった。そしてその大半は失敗した。そもそも、味覚など十人十色であり、さらに、下の記事のように、国が違えば味覚も違う。国どころか、県が違えば味覚も違う。よその県の人はわが県ご自慢の郷土料理を知らないから、他県でその店を出せば儲かるだろうと思って出した店はだいたい失敗するわけだ。味覚は長い年月で身に付いた「癖」だから容易に変わらないのである。

一般論で言おう。
たとえば、地面自体が黄金でできている土地での黄金の価値は土くれの価値でしかないのである。
空気の少ない世界での空気の価値は黄金よりはるかに大きい。
これは稀少価値の話だが、価値基準はそれだけではない。
いずれにせよ、物の価値は場所や時代や状況次第なのである。


(以下「ハーバービジネスオンライン」記事より抜粋)



そんなインドで日本の和食と、外国での日本料理は違うものだと知った。 「海外では和食人気とはいえ、本物の和食は見向きもされないんです。ふろふき大根を丁寧に作れば味がないと言われる。味覚の違いや、そもそも料理が洗練されていくプロセスが違うことを学びました」  和食は素材の味を活かすために削ぎ落としていく経過がある一方、外国の料理は調味料などを足していく傾向にあるという。そんな本物の和食や日本のことをまったく知らない外国の日本料理調理師と働くことの難しさとおもしろさも体験し、見崎氏は日本の和食板前が職業柄の閉鎖的であることに気がつく。




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