「認知症患者は可哀そう」ではなく、「認知症患者の家族が可哀そう」なのである。経済的に、高齢認知症患者を施設や病院に入れられない家庭はたくさんある。毎日がその介護である人の生活は「可哀そう」と筆者は思わないのだろうか。
認知症の実態とは(写真:polkadot/PIXTA)
「人生100年時代」と言われるようになり、シニア世代に入ってからの人生を心配する人が少なくありません。高齢者がなりうる認知症に対してはどのように向き合えばいいのでしょうか。高齢者専門の精神科医として6000人以上の患者を診てきた和田秀樹さんの著書『60歳からはやりたい放題』から一部抜粋してお届けします。 ■「認知症=かわいそう」は間違い 多くの日本人が抱える老後不安の最大のものの1つ。それは「認知症」ではないかと思います。
長年、高齢者に特化した精神科医として働いてきて、私自身が感じるのは、世の中には「認知症=何もできなくなる悲惨な存在」だと思っている人が、あまりにも多いことです。個人的には認知症患者に対して、必要以上に悲惨なものだと考えるのは、間違いだと感じています。 たしかに、認知症になった場合、最終的には人の顔もわからなくなります。でも、病気になってから、最初の5年くらいについては、以前とほとんど人格は変わりませんし、知能もあまり落ちません。それまでと大して変わらない生活を送る人のほうが多数派です。
言い換えれば、初期の認知症はまったく怖くない。それを、過剰に怖がり、人生を悲観するのは非常にもったいないことです。 寝たきりの状態についても、「死んだほうがましだ」と考えている人は決して少なくないようです。これも、「寝たきりの状態=何もできない」というイメージが先行しているせいでしょう。 たしかに元気なときと比べたら、もちろんできることは限られるでしょうが、人によっては「毎日大好きな詩を1編ずつ暗記する」など目標を持って生きている人はたくさんいます。こうした人々を見ていると、決して生きることに悲観しているわけではなく、残りの日々をどうやって楽しもうかと試行錯誤している人が多いように思います。
延命ばかりがすべてではないですが、「認知症になったら安楽死させてほしい」「寝たきりになったら死んでしまいたい」というのは、あまりにも高齢者を差別する発言だといえるでしょう。 また、周囲が「生かすほうがかわいそうだ」「治療を控えたほうがいいのではないか」などと勝手に決めつけるのは、少し暴力的ではないかとすら感じます。ご自身の行く末はもちろん、親御さんの介護などで迷ったときは、ぜひ「認知症や寝たきりは決してかわいそうではない」ということを、忘れないでほしいと思います。