ナショナリズムとパトリオッティズムの違い
藤原正彦が、英語圏ではナショナリズムとパトリオッティズムは厳然と区別されていると書きながら、両者の明確な定義は書いていなかったので、両者が厳然と違うという言葉だけが独り歩きしているようである。これは、語の成分から言って下の解説が正しいだろう。patriotismの語根であるpatriから派生しているpatriarchyは族長制や家長制の意味で、範囲が狭い。つまり、一家や同族を範囲とする概念だ。とすると、patriotは、生まれを同じくする集団への忠誠心を持つ者と見るべきだろう。nationaristはその範囲が国家や民族まで拡大されたもの、と見るのがいい。英語圏でもナショナリズムという語の頻度に対し、パトリオッティズムという語の使用頻度は著しく低いと思う。そして、愛国心と言うなら、ナショナリズムのほうが適切だろう。ただし、国家ではなく民族への愛を意味することも多いだろうし、世界的にはひとつの国に多民族がいるのがむしろ普通だろう。そうなると、国家愛と民族愛を厳密に区別する語が必要だと思われる。もちろん、後者をパトリオッティズムとしてもいい。
(以下引用)
(以下引用)
程度の差というのは間違っていないと思いますが解釈は少し違っています。 ナショナリズムは国家や民族に焦点を当てた場合に使いますが、パトリオティズムとはもう少し原始的な、共同体や郷土(土地)に焦点が当てられますので、国家が存在しなくても使えるのが本来の意味です。 パトリオティズムは国家や民族といった大きな概念より、もう少し幅が狭いのですが、これをどこまでと定義する事はできませんし、その集団(共同体)が大きくなるほど差異は曖昧になります。 言えるのはナショナリズムよりパトリオティズムの方が範囲が狭いという事だけです。 そういう意味で人によってはパトリオティズムをナショナリズムの素地と捉える方もいます。 ですが実際は前後の文脈でかなり意味が違ってきますので、場合によってはほぼ同義語になってしまう場合もあるはずです。 なので本来の意味においても両者は「厳然と峻別される現象」とまでは言えません。 やはりwikipediaは参考程度にしておいた方が良いですね。
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