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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

大気の大循環

ネットの、たぶん高校地学学習用サイトだと思うが、最近の気象状況を考察するための基本確認のために転載しておく。



1.大気の大循環と地球の自転

 地球のエネルギー収支をみると、赤道付近で熱の供給過剰、極地方で放出過剰となっている。そこで、熱が余っている赤道付近から、熱が足りない極地方へと熱が移動する。それを担う一つが大気である。もし地球が自転していないとすれば、それは単純に赤道で上昇して極で下降する大気の対流となる。地上では極地方から赤道に向かって吹く風、すなわち北半球では北風、南半球では南風となる。

 しかし実際には地球は自転しているのでコリオリの力が生ずる。このために対流は3つのセルに別れてしまう。

 まずコリオリの力の弱い程度では、赤道で上昇し、中緯度で下降する比較的単純な対流になっている。これをハドレー循環という。この対流により下降気流が降りてくる場所が亜熱帯高圧帯であり、雲が発生しにくいので、そこに陸があると砂漠地帯になっている。両半球の亜熱帯高圧帯から赤道に向かって地上を吹く風は、コリオリの力によって北半球では北東の風(北東貿易風)、南半球では南東の風(南東貿易風)となる。貿易風は太平洋の東側、大西洋でははっきりしているが、太平洋の西側、インド洋では季節風により乱されている。

 両半球の貿易風が衝突するところが熱帯収束帯である。熱帯収束帯は夏には北半球より、冬には南半球よりになる。この熱帯収束帯のとくに海上では大規模な積乱雲が発達しやすい。また、台風が生まれる場所でもある。下の衛星画像では熱帯収束帯上に並ぶ積乱雲を見ることができる(夏なので赤道より少し北側。小笠原近海には台風も見える)。

 帆船時代には、この安定した貿易風を利用して大洋を横断していた。なお、貿易風(tradewind)の“trade”は貿易ではなく、「ネットで百科@home」(日立システムアンドサービス)によると、「trade の本来の意味は〈道〉 〈通り道〉 であることから,繰り返し往復しよく知られている航路のことになり,転じて,このようなことが可能になるほど,一定の方向に吹く風のことを trade wind と呼ぶようになったものである。」とある。


2005年6月28日03時(世界標準時)の気象衛星ひまわり6号の画像
気象庁:http://mscweb.kishou.go.jp/panfu/general/outline/image/gms6.htm

 

 中緯度ではコリオリの力が強くなり、上図のようなはっきりとした対流(フレネル循環)というよりは、大きな蛇行した西よりの風(偏西風)として動いている。これをロスビー波という。高緯度側から低緯度側に向かって吹くときは冷たい風として、低緯度側から高緯度側に吹くときには暖かい風となっている。中緯度ではこのロスビー波、さらにそれに付随する渦である低気圧や高気圧によって、低緯度から高緯度へと熱が運ばれている。

 中緯度の偏西風と、極から吹いてくる冷たい東よりの風(極偏東風)が衝突するところには前線が生じて、低気圧が発生しやすい。とくに大陸が少ない南半球では、南緯40°から60°あたりはいつも天気が悪く暴風圏ともいわれる。

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2.ジェット気流

 ハドレー循環の中緯度側の上空では強い西風が吹いていて、これを亜熱帯ジェット気流という。

 これは低緯度では小さい風速でも、緯度が高くなると地球の自転が遅くなるので、その差の分だけ対地球(地面)の速さが速くなるのである。例えば赤道での地球の自転の速さは40000kmを24時間で1周=1700km・h-1(460m・s-1)、北緯30°では35000kmを24時間で1周=1400km・h-1(400m・s-1、北緯30度では赤道での速さのcos30°=0.87倍)である。赤道上空で(の対地速度が)1m・s-1の弱い西風でも、その空気塊はもともと地球と一緒に動いているので、北緯30°にまで北上すると地球の自転の速さの差(この場合は60m・s-1)だけ速くなる。つまり、61m・s-1の猛烈な風となってしまう。

 もう一つ、中緯度上空のロスビー波の圏界面付近でも強い西風が吹いている。これを寒帯前線ジェット気流という。寒帯前線ジェット気流は偏西風の蛇行に従って大きく蛇行している。また、冬に強く、夏にはやや弱くなる傾向がある。

  亜熱帯ジェット気流と寒帯前線ジェット気流が合流して一本のジェット気流になることもある。また季節によって大きく南北に移動する(北半球では夏に北よりに、冬に南よりになる)。また、ジェット気流は低気圧・高気圧梅雨などとも関係が深い。

 亜熱帯ジェット気流も寒帯前線ジェット気流も、ちょうど長距離の航空機がとる高さに近い。すなわ西から東に飛ぶときはできるだけジェット気流を利用するように、逆に東から西の飛ぶときはできるだけジェット気流を避けるようにした方がよい。このジェット気流のため東京-福岡便は20分程度、東京-ハワイ便は行きと帰りで2時間程度の差ができる。




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恋愛と性愛

「紙屋研究所」から転載。
例によって論旨明快で、その内容にまったく異論は無い。この文章から派生した浮遊思考を少し捉えてみたい。
まず、性愛とは何か、ということである。
「恋愛」と「性愛」は違うのだろうか。「性愛」の定義を見たことは無いが、おそらく恋愛とは違うのだろう。そしてそれは、「性愛」とは「性行為を前提とした愛」というものかと思う。つまり、「プラトニックラブ」の反対語だ。ただし、実際のプラトン時代の「少年愛」は「稚児趣味」であり、セックスを伴っていたらしいが、それを精神性の強い「師弟愛」としたのがプラトンだろう。
で、実際に、男女の間で性行為を伴わないが深い恋愛感情を持つということはあるかと言えば、あるだろう。むしろ、恋愛感情がもっとも激しい時というのは、恋愛の初期、まだ性行為をしていない時だと思う。性愛とは性行為の悦楽であって、それは恋愛とは別のものではないか。恋愛感情を持たない相手でも性行為の快楽はあるだろう。つまり、性行為は恋愛の絶対条件ではない。むしろ時によっては恋愛感情を終わらせるものだ、というのが私の考えである。
いや、これは思いつくままに極論を書いているのであり、性行為によって恋愛感情がさらに高まることもあるだろうし、結婚してもなお恋愛状態が続くという羨ましい夫婦もいるとは思う。
だが、性愛はそれとは別だろう。性愛に関しては、結婚して数年も経てば新鮮味は無くなり、配偶者への性欲もほとんど無くなるのではないか。それは、夫や妻への愛情自体が無くなるということではない。単に、性交相手として飽きるというだけのことだ。
性欲というのは不思議なもので、インモラルな条件でこそ性欲は極度に高まることが昔から知られている。「一盗二婢三妾」というのがそれだ。他人の妻、下女、妾の順に興奮度が高いということである。女性の場合はどうか知らないが、浮気や不倫の場合にいっそう興奮度が高まるのは同じなのではないか。
話が長くなったので、性愛以外の問題はまた別に考察したい。







LGBTを「趣味」「嗜好」としてはいけないか

 さて、LGBTを「趣味」とする表現について最後に一言だけ。

 LGBは「性的嗜好」だと言われることがある。そして「嗜好」を辞書で見ると、「たしなみ、好むこと。趣味。特に、飲食物についての好み」(大辞林)とある。つまり「嗜好=好み=趣味」だということになる。

 「私はAさんが好きです」と言ったとき、「えー、あんなのが趣味なんだー」と言われたりする。「趣味」を辞書で引けば「2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向」(大辞泉)とあり、そういう意味で「趣味」なのである。


 この部分に関して、ことさら「LGBは性的嗜好preferenceではなく性的指向orientationである」として反論する向きがある。反論しようとするあまり、LGBは生来的なもので、変えようがないものだという側面だけが強調されてしまうこともある。


 性的指向といった場合、性愛の方向がそういう性に向いているか、という大きな方向性の意味であるのに対して、性的嗜好といった場合、誰の、どんな特徴を好むのか、というまさに対象そのものの意味であるといった違いがある。言い方を変えれば、「指向」は性別について方向を示すのみで、分類のためのニュートラルな表現であるのに対して、「嗜好」は「Aさんは好きだけどBさんは好きではない」といった具合に個別性が強くなる。そのような意味で「指向」を使ったほうが、ニュアンスを交えずに中立的に表現ができるように思える。

 しかし、LGBの人の性愛のありようを「Aさんは好きだけどBさんは好きではない」という「嗜好」の一つだといって何も問題はないのではないか?

 「Aさんという個人をかけがえのない人として好きになったが、それがたまたま同性だった」という場合、方向付けを表す「性的指向orientation」よりも「性的嗜好preference」で表現した方がむしろしっくりくる。

 LGBが生来的なものか、変えようがないものかどうかに至っては、二の次の問題ではないのか。自分の同性愛が生来的なものだと決めつけることもできないし、逆に後天的なものだと決めつけることはできないだろう。将来のこともわからないから、変わるかどうかなんて誰にも変わらない。杉田水脈の言うように、同性愛は人生上の一過性のものであるかもしれないが、他方で、一過性であるとは決めつけられないのもまた事実である。


 「嗜好」「趣味」という言い方は、「特に、飲食物についての好み」と辞書にあったように、例えば今日はカレイにするか、サンマにするか、というほどのニュアンスに聞こえる。自分の気持ち一つで変えられるのだ、と。

 そういう恋愛もないとは思わない。

 他方で、「Aさんをやめて代わりにBさんを愛しなよ」と言われて、「はいそうですか」と代替できない場合があることもまた事実である(というか、統計的にはおそらくその方が多い)。趣味として、好みとしてAさんが好きだったとしても、Bさんに替えられるわけではない……という人が事実として存在する以上、その恋路は邪魔できないし、結婚することも妨げられない。

 「嗜好」や「趣味」だから軽いというわけではなく、「嗜好」や「趣味」に基づく感情・性愛であっても個別の、代替不可能な、かけがえのなさを含んでいることはあるのだ。

 だから、「性的嗜好」と表現することや「趣味」と表現すること自体に、ぼくはあまりかみつく必要はないと思っている。


 タイトルの問い(LGBTを「趣味」「生産性」で論じることはいけないか)の(ぼくなりの)答えをまとめて言えば、「趣味」「生産性」で論じることはありうるのだ。

 言いかえると、

(1)LGBTは「趣味」である人も、「趣味」でない人もいる。しかし「趣味」であるからといって法律婚が認められないのはおかしい。LGBT法律婚から排除するかどうかの問題は、少なくとも「趣味」の領域ではない。

(2)生産性がない人というものは存在するけど、生産性がないからといって尊厳が奪われていいわけがない。生産性の有無で尊厳を論じるのは間違いだ。他方で、性的少数者の多くは経済的な生産性があるのに「ない」と言われているのはおかしいのではないか――

となる。

男女の知性と社会的環境

まあ、「男はああだ」「女はこうだ」という議論そのものが間違っている気はするが、「女に学問はいらぬ」というのは、女は家庭で子供を産み育て、家族の食事など生活全般の面倒を見るのが当然という考えであっただけで、「平等に学問をやらせたら、男はバカだということが分かってしまうのを恐れた」というのは無いだろう。実際、バカは男にも女にも必ず大量にいるのであり、男が女より馬鹿ということはない。
最近の男が女より学業成績が悪いのは、男には思春期に性欲が最高度に高まるという弱点があり、また、あらゆる遊び事が容易に手に入りやすくなっているので勉強になかなか専念できないのだと思う。女は「人生のピークが短い」ことを知っているから、若いころに真面目に勉強などして一生の足掛かりをつかもうとするから成績のいい子も多くなるのではないか。
男が若いころに思慮が足りないのは確かだが、それは知性が低いということではなく、それが許容される環境がある、つまり、年を取っても逆転はできるという安心感があるからだろう。






さんがリツイート

今考えたら、明治・大正時代に「女に学問はいらぬ」と言って女性に勉強させなかった男どもは、実は平等に学問をやらせたら、男はバカだということが分かってしまうことを恐れていたのかも知れない、と真面目に思いました。



東京タワーの上で眠る怪獣

「ガメラ」シリーズは、亀が火を噴いて空を飛ぶという設定があまりに馬鹿馬鹿しくて一度も見なかったが、下のスチル写真は名シーンだと思う。ギャオスが東京タワーの上で眠りに就く場面のようだが、怪獣が眠る(生き物である以上、眠りを必要とする)ということの圧倒的なリアリティに、夕暮れの背景が幻想性を加えて絶妙である。
「モスラ」が繭を作る場面といい、怪獣映画と東京タワーは実に親和性が高い。










粘着テープの性能と気温

粘着テープは色々あるが、それらには「〇〇度以上になると使えません」という注意書きはあるのだろうか。下のツィートだと、おそらく40度近くなると粘着能力が無くなるのだろう。(車内気温と同様に、エアコン無しの室内気温は外気温より高くなるとしたら、45度以上か。)





仕事場に人がいない日は当然エアコンを止めているわけだが、その間に暑さで粘着テープが溶けて、アニメ関係のポスターが落下しまくる。