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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

癌血統と高血圧血統

前にも書いたが、私の父方の親戚はほとんど高血圧だが、癌になった人はおそらく一人もいない。高血圧と癌は体質として相剋関係ではないかと思う。つまり、高血圧血統は癌にならない。癌血統は高血圧にならない。
もちろん、これはただの仮説だ。




さんがリツイート

・食事に気をつければ癌になりにくい
・適度に運動すれば病気になりにくい
・タバコを吸わなければ肺癌になりにくい

これらは全て真実であるにも関わらず

・食事に気をつければ癌にならない
・適度に運動すれば病気にならない
・タバコを吸わなければ肺癌にならない

は全て間違いです。残酷ですね。



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老年という「リライフ」

これは、人生の残り時間を想定した時の私の考えたこととほぼ同じである。
基本的に、「やりたいこと以外はできるかぎりやらない」ということで、その「やりたいこと」というのは、これまでの人生で選んできた「自分にとっての優良品」をさらに良く味わう、ということである。つまり、急ぎ足で通過してきた「優良品」との付き合いを深めることだ。
要するに、自分の感覚や趣味に適合した芸術作品をじっくり味わいたい、ということである。
まあ、それだけだと飽きるから、多少は「未知との遭遇」も必要だろうが、基本的に、古典、あるいは現代の古典の中にこそ優良品はある、というのが私の考えだ。そして、新しいものの90パーセントはクズである。そんなものと真面目に付き合う時間など無い。その価値が確認されてから付き合えばいい。つまり、新しいものの中から世間と時間がクズを振るい落とし、価値あるものを古典として残してくれるわけだ。黒澤明も宮崎駿もそのようにして選別された現代の古典である。もちろん、手塚治虫など漫画の古典もたくさんある。
たとえば、手塚治虫の「W3」など、子供のころにはさほどいい作品とは思わなかったが、少し前に再読した時には、実にレベルの高い作品だと感じた。つまり、子供では分からないものもあるから、「過去の出会い」は再検討してみるべきなのである。
幸い、古典文学や古典的芸術を味わえる程度の教養は(もちろん、本物の教養人の足下にも及ばないが)蓄積されているから、死ぬまで古典が味わえるだろう。つまり、いつ死んでも、何かを楽しみ、満足した状態で死んでいけるということだ。
老年という時間において、これ以上の幸福は無いと私は思う。過去の人生はそのための準備期間であったとすら思う。そして、この幸福のためには必要以上のカネも地位も女も何も要らないのである。




小田嶋隆 @tako_ashi 5時間前

要するに、残り時間を考える時「何をするのか」よりも「何をしないのか」のほうが重要であることに気づかされるというお話なんだけど、本当のことを言えば、残り時間とは関係なく、「何を拒むべきか」は、常に一貫して「何を為すべきか」より重要だったわけだよね。

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  • 6時間前

    義理人情を踏みにじる決意さえかためれば、人生はわりとシンプルになる。 どこまで踏みにじるのかが大切なポイントではあるのだが、個人的には全面的に踏みにじるのがわかりやすいプリンシプルだと思っている。

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  • 6時間前

    病気をすると色々なものの優先順位が変わる。で、現在は 1.不必要な仕事をしない 2.つまらない人間とは会わない 3.無駄な争いには加わらない ことを念頭に置きつつ、身辺を整理している。なかなか快適だ。もっと以前からこうしていればよかったと思う。でもまあ、できっこなかったかな。

昼寝に失敗して全治数か月

こういう事故は誰にでも起こりうることだから、多くの人が知っていたほうがいい。親ならば、子供が「セルフ腕枕」で寝ているのを見たら教えてやるべきだろう。
もっとも、セルフ腕枕というのが具体的にどんな状態か知らないが、二の腕を圧迫するような寝方というのはどんなやり方なのか。片肘をついて頭を支える「寝釈迦」の寝方なら二の腕を圧迫することにはならないだろうし、腕を曲げて頭の下に敷くなら、二の腕、つまり肩と肘の間である上腕部は頭の下には敷けない。左手首から先が動かないというのだから、敷いていたのは腕ではなく手ではないかと思う。あるいは、左手全体を体の下にして圧迫するように左横向きで寝ていたか。いずれにしても、災難は思いがけないところに転がっている。
ところで、「二の腕」に対応する語は何か。聞いたことが無いような気がする。つまり、肘から手までの腕の部分を何と言うのか。「一の腕」という言葉も「下腕部」という言葉も聞いたことが無い。

(追記)「前腕」もしくは「前膊」と言うらしい。

世界大百科事典内の前腕の言及

【腕】より

…人体解剖学でいう腕とは,肩と手首との間の部分で,自由上肢からを差し引いた残りに相当する。腕はひじ(肘)で折れ曲がりうるので,これを2部に分け,上半を上腕upper arm,下半を前腕forearmという。腕は本来は手首のあたりを意味し,肩と手首との間に対しては〈膊(はく)〉を用いていたが,字がむずかしいので〈腕〉の字を用いるようになった。…

【手】より

…手首から先が手である。
[腕arm]
 ひじで折れ曲がるので,これを2部に分け,上半を上腕upper arm,下半を前腕forearmといい,上腕は俗に〈二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが,人間では脚より小さく,運動の自由度は大きい。…

※「前腕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。






医者「全治数か月です」 自分「えっ」 → すこし寝ただけなのに手がまったく動かなくなった…

 
衝撃的体験
797 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 20:28:13.88 ID:TVIa3D91
2時間ほどうたた寝して起きたら左手首から先がピクリとも動かなくなった。
一時的に痺れてるだけだろうとか思ってたら数時間たっても全く動かず、医者に行った。

セルフ腕枕で二の腕の神経を圧迫してたのが原因らしく、橈骨(とうこつ)神経麻痺、と言う病名で、全治数か月。
固定のために添え木して包帯ぐるぐる巻き。

そしてこれ、英語じゃ「ハネムーン症候群」や「サタデーナイト症候群」とかも言うらしい。
ベッドでイチャイチャした後に腕枕で寝るという場面で起きやすいからそんな名前なんだと。

うたた寝してただけでこんな大事になるとは思ってなかった。
左手だからマシ(実際まだマシなんだろうけど)と考えてたらとんでもなく不自由だった。
808 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 21:42:17.94 ID:q3b0pzhq
こええええええ
811 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 22:03:31.61 ID:pAIqbrX2
あなたほどじゃないけど
寝違えたら右手の握力が左手の半分になってたことがあります
箸が使えなくなった
812 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 22:06:50.42 ID:oM6wTjMp
>>811
治ったの?
813 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 22:13:39.58 ID:pAIqbrX2
一番酷いときにはラーメンをフォークで食べた
今は箸で食べられる
でも箸の持ち方が変

気にかけてくれて嬉しいよ
832 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/13(水) 23:09:42.18 ID:VY0lqoXi
おお!俺もまったく同じ経験した!
俺はダイニングテーブルで飲んでてそのままベンチチェアーに横になって寝てしまってて夜中起きたら左手が痺れてた。
俺も最初一時的に痺れてるだけだと思い、気にせずにベッドに入って寝直した。
朝になっても左手の感覚がなく、そのまま会社に行ったんだが全く動かないので昼から病院にいった。
俺のオヤジが脳梗塞で死んでるから俺も脳血管に異常が来たのかと思って怖かった。
橈骨(とうこつ)神経麻痺と診断されて、どんな治療されるかと思ったけどビタミン剤処方されただけ。ひたすら治るのを待つしかないんだって。
俺は一週間で元に戻った。
854 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/14(木) 01:42:54.85 ID:qxNaRiU1
一応聞くが、彼女や伴侶はいないんだよな?

居ないのにその病名はイヤだなw
856 : 797 2013/11/14(木) 02:24:48.10 ID:RbecJkmt
いないよw
だから別称を言われると余計にやりきれない思いがする。

初め町の整形外科にかかって橈骨神経麻痺の診断が下って、それから別の病気でお世話になってる総合病院に転院したんだけど(こんな状態なんであんまりうろうろしたくないし、一つで済ませたかったので)そのどちらでも外科医からはニヤニヤされながら“別称”を言われたわw
冗談じゃない、こっちゃ片手動かないし色気もへったくれもねえってのw

でもそんだけ言われるってことはカップルの腕枕での発症ってかなり多いんだろうねぇ
ハネムーン中にこんな事になったら衝撃どころじゃなくぶち壊しだわな
860 : おさかなくわえた名無しさん 2013/11/14(木) 07:42:07.37 ID:hNXJgGcw
同じ事して同じ症状になった事ある。
しかも、病院に行ったら彼氏とイチャイチャしてたか?とか言われたw(喪女なので彼氏なんていない)
右手だったから、字は書けないし、仕事にならなくて大変だったw
























散歩と思索

昔から、漢詩の詩作には「馬上枕上厠上」と言われていたが、散歩も思索(詩作もそのひとつ)にいいことも知られていて、アルキメデス学派は「逍遥学派」とも言われていたと思う。
散歩の場合と自転車騎乗(と言っておく)の違いは、自転車の場合はいくら慣れていても、周囲に注意を払わないと大事故になる可能性が高く、思考に集中できないのだと思う。歩行の場合は、いくら思考に沈潜していても、危険が近づくと咄嗟に反応できる。



椎名高志@絶対可憐チルドレン @Takashi_Shiina 11月3日

あー自転車に関してはたぶんそれではないかと思います。トレッドミルがなぜ考え事に向かないのかはまだよくわからんのですが。道を歩くのとそんなに違うのかなあ。

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  • 11月3日

    ハイキングは負荷が高めなうえ、「こんな低山でも油断すると死ぬんだよね・・うへへ」というスリルを味わっているので、考え事どころでない。下山後の風呂が最高に気持ち良くて、そのあと爆睡して昼夜逆転をリセットできるのがメリット。

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  • 11月3日

    自転車でダラーッと走るのも、処理する情報量が多すぎるらしく、あまり考え事には向かないようだ。ローラー台ではなぜか考え事はほぼ不可能。頭を空っぽにして、音楽に合わせてペダルを回すしかない。

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  • 11月3日

    夜道をブラブラ散歩すると、割とよくネームがまとまる。一方、ジムのトレッドミルではどういうわけかまったく考え事モードにならないのだが、だんだんペースを上げたくなってきて、気付いたらスロージョグがはかどっている。

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動物が悩みを持たない理由

私は理屈がすべてだとは思わないし、むしろ理屈は単に説明手段だとしか思わない人間だが、下のようなセンチメンタルな考え方には少し嫌悪を感じる。「猫(あるいは動物)は生きることをあきらめない」というのは、猫(動物)の心理が自分には分かる、という非常に図々しいと言うか、僭越そのものの思想だと思う。
私の考えでは、動物には死という概念は無い。あるのは、目の前の危険な存在(敵)と戦う、あるいは逃げるという本能だろう。つまり、未来を考えることは無い。したがって、老衰や病気への恐怖は無い。何かに対して不平や不満の感情があったとしても、それも一瞬のことだ。つまり、動物は現在のみに生きている。それを見て「猫は生きることをあきらめない」と言うのは、自分の主観を勝手に動物に投影しているだけであり、この種の発言や発想は「自分の主観を勝手に他者に投影し、自分の考えの証拠にする」という、非常に危険なものだと思う。
まあ、こういう人は童話などを書くのに向いた人だろうと思うが、危険な洗脳者になる可能性も高いタイプだと思う。

動物は死を知らないのだから、死と戦いもしない。だから死ぬまで平和だ。それは「生きることをあきらめない」という人間的な俗情とはまったく別のものだろう。

現在のみに生き、つまらぬ悩みを持たない動物のこのような生き方は、人間の高僧にも似ている。特に、死ぬ際の姿は、たいていの人間より崇高な感じすらする。
ということで、この記事は「現代倫理学」の項目に入れておく。



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15才のターボ、突然歩けなくなり末期の脊髄腫瘍で余命1ヶ月と宣告されました。最初は戸惑っていたターボも直ぐに障害を受け入れ、食欲も落ちず、最後は寝たきりになりましたが、同居の猫たちに囲まれ眠るように3ヶ月後に亡くなりました。猫は最期まで生きることを諦めません。