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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

犯罪者の更生可能性

私は、犯罪者は更生可能か、ということについて否定的な考えだが、犯罪者資質の人間がその正体を隠して社会の表舞台を歩いていることは多いと思う。つまり、いざとなればその本性を現わすわけだ。人間というのは「三つ子の魂百まで」であり、その性格は基本的には一生変わらないと思っている。

(以下引用)


登山家の野口健が空気銃で子猫の頭を撃ち飛ばし、それを咎めた友人の足も撃ったという内容の書き込みがネット上にあり、よくあるデマだろうと思いつつ調べてみたところ、本当の事だったのでビックリした。本人が自伝で語っているので間違いない。野口は子供の頃かなりの不良で、その頃のエピソードの一つとして出てくる。

野口著『100万回のコンチクショー』にその記述があるが、より詳しく書かれている、一志治夫『僕の名前は。アルピニスト野口健の青春』から引用すると*1
(野口健がエジプトに住んでいた子供時代のこと)
エジプト製の空気銃を手に入れたのもちょうどそんなときだった。(中略)ついには鉛の弾を込めて撃つライフル型の空気銃「ラムセス」を手に入れる。価格は38ポンド。エジプト人が食用に雀や鳩を撃ったりするための空気銃で、それなりに殺傷能力があるのだが、健や(友人の)岡本のような小学生でも買えた。
↓ エジプト製の空気銃「ラムセス」
空気銃ラムセス
健は最初、身の周りの物を撃っていた。たとえば、内装工事をしている家が向かいにあれば、その部屋にぶらさがっている電球を撃った。走行中のクルマの窓を撃った。電球は割れたが、クルマの窓にはうっすらと傷がつくかひびが入る程度の能力の空気銃だった。
銃に慣れるにつれ、健の狙いは、物から次第に生き物へと移っていく。
(中略)
最初に狙った生き物は、鳩だった。撃ち落とした鳩は、肉屋に売りさばいた。その金で鉛の弾をまた買うのだ。
勝手に動物を殺しだすというエピソードは、どうしても「少年A」を連想してしまう。エジプトでは鳩を食べるというのは事実のようだ。

野口と、日本人学校の友人の板垣、田中の3人は、カイロの中州の街に繰り出す。(友人の名前は仮名だと思うが、特に説明はない)
丁字路の道には大きな車輪付きのゴミ箱が置かれていて、それに向かって銃を発射する。鉛の弾が鉄のゴミ箱に当たると、カーンという音が響き渡る。近くにいる数匹の猫を音で脅かしているのだ。そのたびに猫たちは驚き、騒ぐ。
次に、健はゴミ箱ではなく、猫に標準を合わせる。それはちょっとした遊びのつもりだった。(中略)
次の瞬間気が付くと人差し指が動いていた。鉛の弾は、親子でいた子猫の方の頭に当たり、骨を砕く。子猫はその場に倒れ、痙攣し、頭からは脳漿が飛び散った。健は、親猫がミャーミャーとなきながら子猫の頭をながめているのを呆然とただ見ている。
板垣は、その猫がのたうち回る姿を正視できない。断末魔の泣き声が耳にこびりつく。一方、一年上の田中は、「なんで撃ったんだ、なんで殺したんだよう」と、健のことを責め始める。動揺し、混乱している健は、田中に、「うるせー、お前、撃つからな」と言い返す。板垣は二人のやりとりがだんだん険悪になっていくのを聞いている。「撃つぞ」「撃ってみろよ」といったやりとりが繰り返される。
そして再び鉛の弾は発射される。(中略)銃声のあと、一瞬の間があってから田中の叫ぶ声が丁字路に響き渡る。田中は、「熱い、熱い」と訴える。
その後、3人でタクシーに乗る。
タクシーの中では、わめく田中に健が「うるせー、うるせー」と怒鳴り続けている。
田中の母と合流し、病院で手術が行われた。弾は足の骨で止まっていた。
野口と板垣は、2人で歩き出す。
家に帰るのがいやで途中公園に寄ったりもした。けれども、板垣が驚いたのは、そんなしょげている健が、その失意の道すがら、また鳩に向かって空気銃を発射したことだった。なんでまた撃つんだ、と思ったが、それは言葉にはしなかった。
もともと野口健には不良の評判が立っていたが、その後、触れてはいけない人扱いとなり、ほとんどのクラスメートが相手をしてくれなくなった。

外交官である父親もおかしな人で、これだけの事件を起こした息子を叱らず、銃を没収すらしない。後に大学教授となっているが、大丈夫なんだろうか。

野口健は今では更生したようで、タレントとしてバラエティ番組にも出ている。

しかし、こんなことをしでかしたうえ、子供時代の武勇伝の一つとしてこのエピソードを自伝に大っぴらに載せている人物を、テレビに映すのは問題だろう…特にバラエティ番組では。野口健の顔を見ても子猫殺しが浮かんできて笑えないよ。

当時、母親が家を出ており、家庭が崩壊しかけていたという同情できる要素もあるけど、さすがにこれはない。

その他の犯罪告白

野口はこれ以外にも著書で未成年時の犯罪をたくさん告白している。

小学校低学年(日本)
・ハーフのため虐められていたが、カッとなり植木鉢のかけらで相手を殴打し、頭を割った
・その後も複数人に対して暴力をふるう
・女児のパンツの中に手をいれてまさぐった

小学校5~6年頃(エジプト)
・かんしゃく玉を多数使った手製爆弾を使い、通行人にやけどを負わせた
・ホテルに停めてあった各国大使館の車を注射針を使って何台もパンクさせた
・家の近くの駐車場に停めてあった車のガソリンタンクに砂糖を入れ、エンジンを破壊した
・ティッシュに火をつけて風に飛ばすという遊びをして火事を起こした
・自動車のライトを割って中の電球を集めた
・ベンツのエンブレムを引き抜いて盗んだ
・子猫射殺

ベンツのエンブレム窃盗とか、まるで漫画「カイジ」のようだ…

高校(イギリスの全寮制日本人学校)
・寮で女子同級生の洗濯前の下着を見つけ、しめた!とばかりに盗む。のちに焼却炉で燃やして証拠隠滅。
・友人3人で先輩1人に暴行を働き、停学処分
・学校の近くの森で勝手にキジ狩りを繰り返す。キジに石を投げて飛び掛かり、首を切って絞めた。

(高校では、春休みに帰国したときに右翼の街宣車に乗ってスピーチしたというエピソードもある)

成人後
・ネパールで貧困層の少女に対し、経済力を背景にして、人身売買まがいの行為を行う → 詳細はこちら

参考文献、動画

野口健はたくさんの著書を出しているが、過去の犯罪行為についての記述は、初期の本に集中している。犯罪告白の三部作とも言える作品は、

・ 『落ちこぼれてエベレスト』(1999)
作家としてのデビュー作。鳩を殺したことは書いているが、猫を殺したことは隠しているなど、下2冊に比べるとマイルド。ただしネパールでの人身売買まがいの「結婚」を扱っているのはこの本のみ。

・ 『僕の名前は。アルピニスト野口健の青春』(2001)
登山以外の生い立ちについて最も詳しい。よって犯罪行為についても最も詳しい内容になっている*2

・ 『100万回のコンチクショー』(2002)
『僕の名前は』と同じような内容だが野口自身が著者になっている。下着泥棒についても書いてある。


そのほか、『確かに生きる―10代へのメッセージ』(2007)でも過去の犯罪行為に軽く触れている。

動画
吉田豪が野口健の黒い過去について語っている動画があり、簡潔にまとまっていて面白い。

この動画によると、野口健は小中学校の講演会でも様々な犯罪エピソードを披露しているらしい。
テレビだけでなく学校からも排除しないとマズイと思う…
環境保護活動を続けるのは良いことだけどさ…


*1:2001年発行の初版より

*2:「その他の犯罪告白」節にある行為は、ほとんどこの本に載っている(下着ドロ、成人後の「結婚」 のエピソードは無い)。








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風呂吹き大根の価値

海外を渡り歩いた料理人の体験談で、一般人にはどうでもいい話題だろうが、アンテナの範囲の広い人はこうした談話にカネ儲けのネタが拾えるかもしれない。
つまり、或る物の、或る土地での価値と別の土地での価値は違うという単純な事実だ。
これは自明のことに思えるが、「価値の絶対性」を信じている人は多いと思う。
美味いコーヒーを安い値段で出せば店に来る客はどんどん増えていくと思って脱サラして喫茶店を開く人が昔は多かった。そしてその大半は失敗した。そもそも、味覚など十人十色であり、さらに、下の記事のように、国が違えば味覚も違う。国どころか、県が違えば味覚も違う。よその県の人はわが県ご自慢の郷土料理を知らないから、他県でその店を出せば儲かるだろうと思って出した店はだいたい失敗するわけだ。味覚は長い年月で身に付いた「癖」だから容易に変わらないのである。

一般論で言おう。
たとえば、地面自体が黄金でできている土地での黄金の価値は土くれの価値でしかないのである。
空気の少ない世界での空気の価値は黄金よりはるかに大きい。
これは稀少価値の話だが、価値基準はそれだけではない。
いずれにせよ、物の価値は場所や時代や状況次第なのである。


(以下「ハーバービジネスオンライン」記事より抜粋)



そんなインドで日本の和食と、外国での日本料理は違うものだと知った。 「海外では和食人気とはいえ、本物の和食は見向きもされないんです。ふろふき大根を丁寧に作れば味がないと言われる。味覚の違いや、そもそも料理が洗練されていくプロセスが違うことを学びました」  和食は素材の味を活かすために削ぎ落としていく経過がある一方、外国の料理は調味料などを足していく傾向にあるという。そんな本物の和食や日本のことをまったく知らない外国の日本料理調理師と働くことの難しさとおもしろさも体験し、見崎氏は日本の和食板前が職業柄の閉鎖的であることに気がつく。




医学の不足部分を隠蔽するのがパターナリズム(父権的権威主義)

大阪府立急性期総合医療センター(かな?)のホームページから転載。
東海アマ氏の幼少期の腎臓病(尿蛋白)への氏の対応が必ずしも間違っていなかったようだというのが、ここから分かる。ある病気の療法が確立していない、というのを医学側が正直に書いており、むしろ信頼に値する態度だろう。
この態度の逆の態度が多くの医者に見られるパターナリズムである。これは、自分(医者側)の弱味を患者に知られないようにする「コケ脅かし」であり、医者が嫌われる理由だが、また多くの善良で無知な患者はこれに容易に騙されるのも事実である。かつては教育界でもこのパターナリズムが横行していた(一例が、体罰容認)現代ではそれが通用しなくなり、教師は生徒になめられる辛い仕事になっている。だが、事実が知られれば詐欺的行為が通用しなくなるのは当然であり、この流れ自体はいい事だろう。


(以下引用)赤字部分は当ブログ筆者による強調。

腎臓病の治療法は確立している?

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同じ患者さんでも、別の医療施設を受診すると、非常に異なった投薬や治療法を指導される場合があります。これは一部の腎臓病は治療法が確立されていないためです。また、一般に経過が非常に長いために、効果が実証されていない治療法もあることも事実です

例えば慢性糸球体腎炎の患者さんの安静度に関しても、よくわかっていないことも多く、我々医師からすれば、安静にした方が無難であると言う観点から、いたずらにきつい安静が指導されることも多いのです。

蛋白尿のある高校生が、腎生検も受けずに厳重な安静を指導され、両親が自家用車で学校の送り迎えをし、体育はおろか、階段を登ることすら禁止され、教師がおぶって登る、というようなことが行われていた実例もあります。このように厳密な安静を指導された患者さんの側から考えると、大変な問題です。精神的にも大きな苦痛を伴うのはもちろんですが、体育にも参加できなければ内申書にも影響し、進学もままならないという事態に遭遇します。

患者さんは出来るだけ自分の病状を軽く診断し、生活制限の軽い指導を求めます。このため、病院や診療所を転々と変わられる方がいます。最も軽い制限を指導された所に通院される場合も多いのです。先に述べたように、いたずらに安静を強いるような指導も問題ですが、このような場合も問題です。

腎臓病の治療方針は専門医の間でも意見が分かれている現状です。とにかく納得の行くまで専門医の意見を聞くことをお奨めします。




東海アマ氏の病歴と医学不信

東海アマブログの一記事で、書かれた内容に独断と偏見は多いと思うが、当人の体験談自体は確かだろうし、それは現在の医学の陥っている「学問絶対主義」「科学信仰」「患者そのものの軽視」という欠陥を鋭く指摘していると思う。つまり、役に立つ情報が含まれているのだが、経験から来る結論(特に個々の症例の自己診断)自体の幾つかが独断である可能性が高いのは注意すべきだろう。

(以下引用)


専門家の学識を信用するな。信用できるとすれば、その人間性と哲学だ。

カテゴリ : 未分類

 私は、幼い頃から尿に蛋白が出ていた。
 今から半世紀以上も前のことではあるが、当時の基準で3プラスはいつでも出ていた。今でも、試験紙に尿を垂らすと3~4プラスになって濃い緑に染まる。
 当時の医者は、私について、成人すると腎不全を起こして長生きできないと言っていた。だから、激しい運動はするなと固く指示されていた。
 今でも尿蛋白試験紙には、3プラスでは数年以内に透析に進行する可能性があると書かれている。

 だが、私は医者の指示を守らなかった。子供の頃は、自転車に乗って、どこまでも遠く駆けていった。
 成人しても、時間のある限り山に出かけて歩き続けたのだ。

 結局、医者の予言は、大きく外れて、還暦を大きく超えても、ボロボロながら一応生きている。
 ときどき、魚や肉を大量に食べると、急性腎不全を起こして尿量が極めて少なくなり、足が膨れてきて眠れなくなり、慌てて五苓散を服用して、尿量の回復に一喜一憂することがある程度だ。

 しかし、最近の医療では、蛋白尿について以前のような深刻な見解は持たず、腎臓の繊維化などの病変が見られても、運動療法で治せると考える医師が増えた。
 腎不全に対する意識が、医学会全体で大きく変わり、これまでの蛋白尿=運動制限という発想は、今では完全に否定されるようになった。
 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shippei/ckd/exercise.html

 2012年頃から、浄化槽や池に湧いたユスリカの死骸によって間質性肺炎を患った。一時は、数メートルの歩行でさえ激しく息切れがして、寝ていても息苦しく、横になると、辛うじてウトウトできた。
 相当にひどいベルクロラ音があって、息切れが収まる気配はなかった。
 ネットで調べると、完全に間質性肺炎の条件を満たしていて、余命は、最長で6年と書かれていた。
 しかし、その6年は、とおに過ぎたが、まだ死んでない。
 確かに、病状は悪化したかのように見えるときもあるが、毎日、必死になって蒸気機関車のように呼吸しながら歩いているうちに、不思議に呼吸能力が回復してくるのだ。

 私が病院に行かなかったのは、検査治療のなかに、肺穿刺検査と書かれていたからで、これは太い針を背中から肺に突き刺して、細胞を採取して診断を確定するものだが、治療には何の貢献もしない。
 ただ、担当医が論文を書いて評価されるためのデータとして役立つだけなのだが、患者に対する負荷は、背中からナイフを突き刺されたと同じくらい激烈なもので、これが原因で、肺炎を悪化させたり、傷害が原因で死んでしまったりの例が少なくない。

 どうせ確実に死ぬならば、なんで医者の名誉のためだけの苛酷な検査をさせられるのか? 間質性肺炎は、ベルクロラ音や呼吸不全、MRIだけでも十分に確定できるはずで、逆効果にしかならない細胞診をやりたがる医者が、どうしても信用できなかった。
 実は、細胞穿刺という検査は、日本では、肝臓・腎臓・肺などに広く行われているが、そのすべてで、治療目的ではなく、診断確定目的であり、患者の病変回復に逆効果しかない。西洋医学の穿刺は藤枝梅安のようなものらしい。

 日本では「病変を確定しなければ正しい治療ができない」などと屁理屈をこいて、患者をモルモットにしたがる医者が多いが、アメリカでは、検査のためだけの穿刺細胞診はほとんど行われない。他にいくらでも診断方法があるからで、無理にやった場合、患者から巨額の賠償請求訴訟を起こされるのが普通である。

 こんなふざけた検査を医療のつもりでカネをふんだくってまで患者に強要している日本の医療界を、私は、どうしても信用できず。交通事故などの外傷は別として、過去20年、内科疾患は一切、病院に行っていない。
 それでも、ちゃんと生きているし、もし医療を受けていたら、とっくに死亡していたと思うしかない。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881040030/episodes/1177354054886012993

 なぜ、医療が信用できないかというと、医者の養成行程に極めて大きな欠陥があると昔から考えていたからで、まだインターン制度があった1968年くらいまでの医療は、現場主義で、患者と直接相対して、知識との齟齬を自分の感性で克服できる制度だったから、良い医者が育つことができた。

 それ以降の医学カリキュラムは、医者の特権意識=プライドを育てるばかりで、知識偏重(頭でっかち)の医者ばかり育てているように思われる。
 それを自分の身で痛感させられたのは、1990年前後に、相当に深刻な痛風発作を起こしたときだ。
 
 私は40歳までに日本百名山を完登するほどの山好きで、いつも下りで駆け下りるクセがあったので、膝関節に大きな負荷が蓄積していた。
 このため、腎臓障害=高尿酸症から、いきなり原因不明で膝が腫れ上がり歩けなくなった。最初は、変形膝関節症を疑ったのだが、あちこち病院を回っても誰も診断をできなかった。

 なかには膝に直接ステロイドを注射する医者もいたりして、散々な目に遭った。
 ところが、山仲間の当時、守山区にあった石川外科の院長だけが、一目で「こりゃ痛風だ」と指摘し、ようやく治療にこぎ着けることができた。
 大半の医師が、教育された固定観念で、「痛風は足の親指から始まる」と思い込んでいて、膝から始まる痛風を理解できなかったのだ。

 アロプリノールを頂いて、毎日服用するようになって痛風発作は起きなくなった。
 後に、交通事故で入院した瑞浪厚生病院の整形外科医師も、すでに確定して、足の親指骨変形が見えているにもかかわらず、どうしても痛風を理解できず、薬の支給も拒否された。

 結局、たくさんの経験則を持たない、頭でっかちの知識偏重医師は、教科書と勝手な自分の思い込みだけで患者の苦痛と、まともに向き合おうとしないことを思い知らされた。患者の訴えに対し、自分の思い込みだけで耳を傾けようとしないのだ。
 このときは、尿路結石を引き起こして苦痛を訴えたら、鎖骨骨折の手術まで拒否されて強制退院させられた。結果、私の鎖骨は、今でも偽関節になり、激痛に苦しめられている。
 このときの経験は、医療と医師の人間性に対する極度の不信を私に植え付けた。

 他にも、医療に対する不信は無数にあるのだが、全部も書けないので、大雑把に振り返れば、医療に対する不信感は、医療システム全体に対してのものであり、医師個人が主観的感性でどうにかなるものではない。
 いってみれば、西洋医学の方法論そのものに本質的な間違いがあると思うしかなかった。

 それは、定型的な論理学的=形而上学の問題ではあるが、我々が生身の人間として日常生活を送るうえで、どんなに欠陥があろうとも、医療を拒否ばかりはしていられない。
 現実に、私は2011年2月に、運転中、ブラックアイスバーンの上でスピンして左肩を複雑骨折して、救急車で病院に連れて行かれた。
 結局、この病院では、尿路結石の苦痛を訴えたら磯部という医者に「文句が多い」といわれて強制退院させられ、手術をしなかったので、ひどい偽関節になってしまった。

 それでも、本人が嫌でも、路上で卒倒すれば強制的に病院送りされるので、医療と向き合わねばならない。
 そこで、イヤイヤながらも付き合う医療では、医療体制の本質的な問題点を指摘するより、「この医者は信用できるのか」という視点で、医者個人の人間性と、その哲学を信用して身を任せるしかないのだ。

 医師の知識など、全体にろくなものじゃない。大学の医学部で勉強してきたと自負していても、冒頭に書いたように、腎臓病だって、これほど長い、膨大な経験を重ねても、未だに真実には完全に手が届いていない。
 今では、透析患者だって「歩くことで」回復に成功した例まであって、それなら、これまで何百万人の人々が、透析によって腎機能を失い死んでいったことに対して、どうやって責任をとるのかと言いたい。

 しかし、所詮、学問なんて中途半端なものであり、医学は失敗の経験の上に築かれるのだから、必ずしも間違いや失敗が悪いばかりではない。
 こんなとき、我々が、医療に納得するとすれば、それは医者個人の人間性と哲学に対する信頼感だろう。

 学問は信用できないが、医者個人の「患者を病気の苦しみから救ってあげたい」という明確な意思と、人生や自然に対する哲学を信頼し、連帯して一緒に病気に立ち向かうという発想でゆくしかない。
 こんなとき、山仲間だった石川医師は本当に信用できた。それは、自然が大好きであり、自然とともに歩むという哲学が明確に見えたからだ。

 しかし、その石川医師も311後の放射能汚染に対しては、自分の長年の放射線医療経験から、「被曝はたいしたことない」という発想を私に示すことで、大きな齟齬ができて、縁が失われてしまった。
 放射能汚染は、エックス線やガンマ線の外部被曝とは本質的に異なるものであり、外部被曝の経験しか持たない医師には内部被曝が理解できない。
 その影響は、数十年も人々を苦しめ、あるいは200年にわたって遺伝子障害をもたらす。
 このことを理解できている医師が極めて少ないのは、本当に残念だった。
 
 それでも、人間を愛している医師は、例え間違った認識、知識があったとしても、一緒に生きてゆくしかなく、その誤りを共有するしかないのかもしれない。

 私は、ずいぶんたくさんの病気になって、全身がボロボロなのだが、こんな状態でも、生き続けていける理由として、若い頃からの山歩きの習慣をあげたい。
 十数年前、5月に島根県の三瓶山を訪れ、下山後、周辺の散策路を歩いた。
 美しい萌えるような若葉に覆われた散策路は、体から登山の疲れを抜いてくれて、もの凄く元気を回復させてくれた。

 このとき、「萌える若葉の森の気」という概念を強烈に理解することができた。
 歩いているのに、ウソのように疲れが抜けて元気になったのだ。それからというもの、自分の病気は「森を歩いて治す」という発想が、私の生涯のテーゼとなった。
 それからというもの、二年にわたる血尿も、肝臓障害も、そして間質性肺炎も、毎日、苦しみながらも森を歩くことで治せるという確信を抱いて実行している。

 よほどの豪雨を除けば、小雨程度も含めて、毎日1時間半程度ではあるが、累積標高差200mの道を年間350日程度は歩いている。
 印象としては、やはり萌える若葉のなかを歩くのが一番大きな効果があるように思える。
 医学が正しければ、本来ならば私は去年、死んでいたはずだ。しかし、苦痛ながら歩き続けることで、急性増悪でトイレにも行けないほど悪化していても歩けるようになった。
 もし、医療にかかっていたなら、肺穿刺を受けて、ニンテダニブを服用し、今頃は悪化して死んでいたように思える。
 今ほど、若い頃からの登山経験に感謝するときはない。


























男性と女性の自己認識の傾向

まあ、この相談自体が釣りである可能性もあると思うが、女性の恋愛幻想をなかなか浮き彫りにしているとは思うので載せておく。
恋愛幻想だけでなく、この女性は自分自身にもかなり幻想を抱いているように思える。女性にはけっこういるタイプなのではないか。自己評価と他者による評価がまったく違うタイプではないかと思う。そして、他者による評価が低いと怒りだすタイプ。いわゆるお局様などになるタイプである。成功は自分のおかげで失敗は他人のせいにするタイプ。こういう女性が同性からはモテモテだというのは信じがたいわけで、それこそ幻想だろう。陰ではどれほど悪口を言われているか想像がつく。そこが、竹原が「男に嫌われる要素満載」と評価したところであり、非常に鋭い意見である。
こうしたタイプは男にいないわけではないが、女性に較べるとはるかに少ない。自己評価については男はわりと客観的なのである。悪人になる場合もその自覚はあることが多い。稀に安倍総理のようなのもいるが。


(以下引用)


元WBA世界ミドルチャンピオン竹原慎二さん、恋に悩む女性に強烈カウンターを見舞ってしまう

引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1575956287/

1: 風吹けば名無し 2019/12/10(火) 14:38:07.18 ID:9/ufU1r3a
no title
no title

5: 風吹けば名無し 2019/12/10(火) 14:41:02.47 ID:ZcUP+zbV0
困らすな

8: 風吹けば名無し 2019/12/10(火) 14:42:09.37 ID:dr3dVOlt0
竹原をKOした女

14: 風吹けば名無し 2019/12/10(火) 14:43:37.65 ID:kvdvgCOKd
相談者かて軽くいろんな男性にアタックしてるしな