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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

由美かおるの健康法

由美かおるはさほど好きな芸能人ではないが、その驚異的な不老性は彼女自身が実証しているので、その健康法を、まあ、信じる必要はないが、参考にできる部分もあるだろうから転載する。
今読んでみると、常人には理解できないことも書いてあるので、単なるイメージの部分は(そこが肝心なのだ、というかもしれないが)見え消しにしておく。まあ、そうすると、単なる柔軟体操と深呼吸を一緒にしただけだ、となるが、私が見え消しにしたイメージ部分にこそ意味があるのだ、と言われたら、そうですか、と言うしかない。
むしろ、「肉が好き」という部分に不老の秘訣があるかもしれない。老化で一番問題になるのが血管の老化で、それが多くの肉体の不調の原因になる可能性があるのではないか、と私は思っており、日本人に脳梗塞や脳出血が昔から多かったのは、肉食をあまりせず、脳血管がタンパク質不足で劣化が早かったからだと思っている。そして、植物性タンパク質では動物性タンパク質の完全な置き換えにはならないのではないか。豆腐やオカラばかり食っていて筋肉がついたという話は聞いたことがない。ただし、現代のように畜産物にホルモン剤やワクチンを打っている時代には、その肉こそが病気の原因になる可能性も高いかもしれない。

(以下引用)

先祖が十代以上続いた宮大工だった血筋もあるのでしょうが、何かをコツコツと積み重ねていくことは好きです。難しいことに挑戦してうまくできた時の達成感はとても気持ちがいいものです。

頑張った結果、いまではアコーディオンで、シャンソンなどの弾き語りを入れたライブをやれるまでになりました。何でもそうですが、挑戦したいことがあるならやってみるべき。伸び悩んでイライラする時期もありますが、夢中になれるものがあると人生が豊かになりますし、心の健康にもいいとしみじみ思います。

『水戸黄門』を25年間やらせていただいていたこともあり、ちょっと間があいてしまいましたが、以前はよく、ミュージカルの舞台で歌って踊り、お芝居もするのは、私の人生の一部だったことに、ハッと気づいたのです。全身の細胞が「また歌って踊りたい!」とザワザワするのを感じ、ボイストレーニングを再開することにしました。

現在、出る声の音域は2オクターブと少し。先生は「まだまだ上も下も伸びますよ」と言ってくださいます。好きなシャンソンやジャズをライブで披露できるよう、今後もレッスンを続けていくつもりです。

「何でもそうですが、挑戦したいことがあるならやってみるべき。伸び悩んでイライラする時期もありますが、夢中になれるものがあると人生が豊かになりますし、心の健康にもいいとしみじみ思います。」(撮影:西田幸樹)© 婦人公論.jp

自分の足でしっかり立ち、歩くことが基本

年齢を重ねてくるとどうしても足腰が弱ってくるものですが、私はいまもY字バランスができます。70歳でもこれができることに、皆さん驚かれます。まだまだ柔軟性やバランス感覚を失わないでいるのです。

テレビや舞台の仕事で寝る暇もないハードな時期が続いても、病気もせずに過ごしてきました。心身をしなやかに保てている理由のひとつは、35年ほど前から続けている西野流呼吸法が生活のベースにあることだと思っています。

この呼吸法は、西野バレエ団の主宰である西野皓三先生が創始されたもの。先生は、大阪市立大学医学部で医学を学んだ後、バレエの世界へ。そして合気道・中国拳法の師範になられました。これら西洋医学、バレエ、東洋の武道から新たなインスピレーションを得た呼吸法なのです。

《呼吸》という、樹木が根から水を吸い上げるイメージで行う呼吸が基本になっています。西野流呼吸法には、写真でご紹介している「天遊」の他にも、さまざまな動きがあります。

この呼吸法を実践すると、全身にエネルギーが巡り、細胞が活性化するのを感じますし、代謝が良くなって、食べても太らない身体になるのです。15歳からスリーサイズは変わらず、冷えや不眠の悩みもありません。何歳になっても、自分の足でしっかり立ち、歩くことは人間の基本ですし、さらに心の中にストレスをためないためにも、私にとってはこの呼吸法が欠かせない毎日の習慣なのです。

由美かおるさんの習慣!足芯呼吸(天遊)のポイント

呼吸法のポイントを簡略化して紹介します

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母の味、新鮮な素材、大好きなものをペロリ

健康な身体を作るためには、バランスのいい食事も欠かせません。私はていねいに出汁をとり、新鮮な野菜をたっぷり使った母の手料理で育ったため、大人になってからもその延長線上にある和食を好んで食べる生活を送っています。

まず朝食は具だくさんのお味噌汁に始まり、卵焼き、野菜の煮物、焼き鮭、ご飯、フルーツ、ヨーグルト、チーズ。お味噌汁の具は、ブロッコリー、玉ねぎ、大根、ワカメ、青物の野菜やお揚げなどなんでも。旬の食材をたくさん入れるのが私流です。好きなものは焼き魚。なかでも鮭のカマが大好きです。

よく「朝からこんなに食べるのですか?」と驚かれますが、これくらいの量でしたらペロリと完食してしまいます(笑)。日によってはパンを食べる日もありますが、その時はパンの上にとろけるチーズとちりめんじゃこ、焼き海苔などをのせ、和風ピザのようにしていただきます。

一方、お昼は仕事の合間に、ヨーグルトの中にナッツ類を入れたものやチーズ、りんご、みかん、バナナなどのフルーツで軽めに。そして夜はまた、朝のような和食を食べます。ワインもグラス1杯程度飲みますし、お肉も好きなのでステーキも。仕事柄、コロナが流行する前は外食が多かったのですが、その際も最後のデザートまでしっかりいただいていました。

湯舟でじっとしているのが苦手

お風呂は好きですが、お湯に浸かるのは、歌を1曲歌うくらいのごく短い時間。寒い時期でも5分くらいでしょうか。湯舟でじっとしているのが苦手で、どうしても早くあがって、別のことに時間を使いたい。朝晩のスキンケアもいたってシンプルで、洗顔クリームで顔を洗ったら、あとは化粧水と乳液だけ。エステにも行ったことがありません。

身体が出すシグナルには敏感です。風邪をひくことはめったにないのですが、それでも首の前や背中の筋肉が硬く感じて、「もしかして風邪かしら?」と思うことがあります。そんな時は硬くなった箇所をゆるめるために西野流呼吸法を実践。血液が巡り内側からポカポカと温かくなるため、少々の不調ならそれだけでよくなってしまいます。

私は日頃から、あまり落ち込むことがありません。困ったことが起きた時は、私自身の言動に問題がなかったか考え、悪いところは反省し、気持ちを切り替えるようにしています。精神的に疲れた時は友人に電話して、話を聞いてもらうこともあります。

長い人生、いろいろありますが、若い頃、父から「周囲に流されず、時が来たら自分の魅力を出せるよう頑張りなさい。そして皆を引っ張っていく存在になりなさい」と励まされたことがあります。

あとからわかったことですが、それは長野県・善光寺のお上人様が書かれた本に登場する「随流而制流(ずいりゅうじせいりゅう/時代の風潮に左右されず自然体で受け流しながら、いつか自分がその流れの主体となり流れを導く者になれ、の意)」という言葉と同じことを意味していたのですね。以来、「随流而制流」は私の大好きな言葉になりました。

まだまだ私も人生の途中。これからは上を目指すというより、自分がやってきたことを学び直し、初心を忘れずに進んでいきたいと思います。

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笑いのメカニズム

笑いのメカニズム

 

1 笑いは優越性に基づく。この優越性は「主観的」なもので良い。下僕は主人より社会的には下位だが、主人の失敗を見て笑う時、彼は心理的に主人に優越しているのである。

 

2 笑いは心理的攻撃である。笑うことによって、彼は自分の優越性を確認する。これはまたナルシズム(自己愛)の満足である。自己の優越を確認することで、彼の自己愛が満足させられるのである。

 

3 したがって、笑いは自然が人間に与えた「生きる武器・防具」の一つである。ナルシズムそのものが人間を外界や境遇の攻撃から彼を守るように、笑いも彼を守る。

 

4 笑いの共有は、「犠牲者」を要する。その犠牲者が権威ある者、上位者であるほどその笑いの効果は大きいが、また笑うことの危険性もある。こうして「オブラートにくるんだ笑い」が生まれる。比喩や寓話による笑いなどはその原初的なものであり、風刺はその発展的なものである。

 

5「攻撃としての笑い」は、知られざる相手の弱点を表にさらけ出すことで作られる。相手の肉体的欠点を笑うのはその初歩的なものである。それが事実であるだけに、この攻撃は避けようが無く、これは初歩的だがもっとも残酷な笑いでもある。それに続いて、相手の性癖、仕草、言葉癖なども、少しの誇張によって笑いの攻撃対象となる。

 

6 笑いの気持ち良さは、笑う自分が笑われる相手より上にいることからも来るが、それ以前に、笑い自体が生理的に気持ちいいのである。それは3で述べた、自然のプレゼントだろう。満足した赤ん坊が笑うように、最初、笑いは気持ち良さの無意識の表現であったが、それが「笑うから気持ちよい」という自動的連結になっていったのである。

 

7 レナード・ファインバーグの『ユーモアの秘密』に、「単純な虐待は子供にも未開人にも面白い」という言葉があるが、この事実の持つ意味が、上記の1~5に述べたことなのである。「ユーモア」の定義にもよるが、「笑い」そのものは相手を引き下げる行為以外の何物でもないのである。したがって、笑われる当人にはその事が相当の苦痛であることも当然である。

 

8 ビート・たけし曰く、「俺は笑わせるのは好きだが、笑われるのは嫌いだ」~この言葉も、上記の事実からは当然である。しかし、演技によって自分自身を笑いの対象とすることは、けっして本人が笑われているのではなく、「架空の自分」が笑われているのであるから、この「笑われる苦痛」からは免れることになる。

 

9 セックスや糞尿の話などのいわゆる「下ネタ」は、どのような気取った人間でも免れられない「人間の動物性」を明るみに出すがために、もっとも確実に笑いを生む。しかしこれは特定の人間への攻撃ではなく、「人間」そのものが攻撃対象となるために、こうしたジョークに笑う当人たちもその攻撃から免れてはいない。したがって、こうした下卑たジョークに苦い顔をする人々が多いのも当然である。

 

10 下ネタと同様に確実に笑いを生むのが「ずっこけ」、つまり思いがけない転倒である。これは「人間の物体性」を顕在化することから生じる笑いである。同様に「死体を物として粗雑に扱うことから生じる笑い」(映画『毒薬と老嬢』、落語の『らくだ』『黄金餅』など)も「人間の尊厳」を踏みにじる面白さなのである。人間の尊厳についての偽善的弁舌に飽き飽きしている我々は、そうした偽善への攻撃を楽しんでいるわけだ。

 

11 リチャード・シェリダン曰く、「ウィットが面白くあるためには悪意に満ちていなければならぬ」 (上記『ユーモアの秘密』より)

 

12 笑いには、我々の潜在的不満の解消という積極的効果もある。我々は事実上自分に優越する人々を笑う(あるいは主観的に見下すことで)ことで、毎日の惨めな生活への不満を一時的に忘れるのである。そして、あるいはこれは社会全体を破滅から救っているかもしれない。

 

13 ウィル・ロジャース曰く、「何事であれ面白い。ただしそれが他人に起こることであれば」(『ユーモアの秘密』より)

 

15 ユーモア(笑い)の原則=1.意外さ 2.価値低下(見下し)

 

14 ユーモアの方法その1「誇張と歪曲」

 

15 ユーモアの方法その2「意外な連想・結びつけ」

 

16 ユーモアの方法その3「論理的逆襲」つまり、相手の論理を利用して逆に相手への攻撃とすること。抜群の機転が必要。

 

17 ユーモアの方法その4 「ナンセンス・意味への反逆」

ドア(用板)を机にすること

私は世界的大富豪というのをすべてDSグループの一員だと思っているので、こうした大富豪(大企業経営者)礼賛記事は眉に唾をつけて読むのだが、ここに書かれたことの一部は確かにライフハック(生活の知恵)にもなるだろうから転載する。特に印象的なのは、ドア用の板をデスクにするということで、これは庶民でも(小さなアパート住まいだと無理だが)即座に真似できるし、有益だと思う。
つまり、クリエイティヴな仕事の人間にとってデスクというのは、いろいろな資料が同時に載せられるというのが最大のポイントだと私は思うからだ。
今はパソコンで調べられると言っても、目の前にすべてが同時に開示されたデスクには及ばない。
そして、この「デスク」は「袖無しデスク」つまり、収納場所が無い、というのも、意味がある。収納された資料や道具は「探すのに時間を要する」のであり、また中には引き出しに埋もれたままの資料も発生するわけだ。

目の前のデスクに利用できるすべてが開示された状態、というのはクリエーターの理想ではないか。

(以下引用)


Image: lev radin(Shutterstock)© ライフハッカー・ジャパン 提供

2004年夏のこと。当時Amazonの最高経営責任者(CEO)を務めていたジェフ・ベゾス氏は、ある決断を下して、自身の配下にある同社の幹部たちを驚かせました。それは、プレゼンテーションツール「PowerPoint」の使用を禁止するという決断です。

これにより、Amazon経営チームのメンバーは、自身のアイデアを売り込む際に、メモや、ストーリーのあるセールストークなどの手段を使わなければならなくなりました。

ベゾス氏によれば、「明快な文章とは、その裏にある明確な思考の反映であり、より良い意思決定につながる」とのことです。

けれどもこれは、ベゾス氏の数ある戦術のうちの1つにすぎません。

以下では、同氏が提唱してきた4つのアプローチを詳しく見ていきましょう。

1. 難しい事柄こそ、簡単な単語でわかりやすく説明する

ベゾス氏は1997年から2021年までの毎年、Amazonの株主に宛てて書簡を書いていました。この25年間に送られた書簡の全文、総計5万ワードにわたるテキストを、私は「読みやすさ」を測定するソフトウェアにかけて分析しました。

すると驚くべきことに、Amazonが大きく成長し、複雑な組織になるにつれて、ベゾス氏の書簡は読みやすく、わかりやすくなっていたのです。

ベゾス氏の書簡のうち75%は、読みやすさで高いスコアを記録していました。これは、中学2年から中学3年(13~15歳)までの教育を受けた人のほとんどが容易に理解できる内容だったということです。

たとえば、Amazonが電子書籍リーダー「Kindle」を発売した2007年に、ベゾス氏は書簡の中で、その主な機能をこのように説明しています。

意味がわからない単語を目にした時は、簡単に調べることができます。本の内容を検索できます。本に書き込んだメモや、ハイライトを引いた場所は、サーバー側の『クラウド』に保存されるので、消えてしまうことはありません。

Kindleは、読んでいるそれぞれの本について、今開いている場所を自動的に覚えてくれます。

目が疲れた時は、フォントサイズを変えることもできます(中略)。私たちはKindleに関して、これまでに活字になったあらゆる言語のすべての本を、60秒以内に手に入れられるようにするというビジョンを掲げています。

Kindleに関するこの説明で使われている英単語のうち92%は、1つないし2つの音節からなるものでした。このように、複雑な理屈をシンプルに表現すれば、内容のレベルを下げることなく、知恵によって競争に勝つことができるのです。

2. ミッションをスローガンとして繰り返し唱える

Amazon株主に宛てた最初の書簡で、ベゾス氏は「顧客(customer)」という単語を実に25回も使っていました。これは、Amazonの成功の秘訣となった、顧客配慮への飽くなきこだわりを示唆しています。

この書簡の中でベゾス氏は、Amazonは「世界で最も、顧客中心の企業(The world's most customer-centric company)」だと宣言しています。

それから約四半世紀の間に、ベゾス氏は、Amazonのミッションを率先して伝えるエバンジェリスト(伝道師)となり、この言葉はAmazon社員が今でも唱えるスローガンになっています。

DNAが生物の青写真であるのと同様に、企業のミッションは、スタートアップ段階から、成功した大企業へと成長する際の青写真となります。共有されたミッションには、社員全員の目的意識を統一する効果があるのです。

しかしミッションは、企業が大きくなるとともに、自動的に定着し拡大していくわけではありません。社員全員が大きなビジョンからブないようにするためには、ミッションをしつこいほどに連呼する旗振り役が必要です。

3. シンボルを使って、大きな概念を伝える

ベゾス氏は、一見些細な物事に象徴的な意味を持たせることを得意としてきました。

創業から間もない時期のAmazonを訪れた人たちは、ベゾス氏を含む従業員が、ホームセンターの「ホームデポ(Home Depot)」で売っているドア用木材を転用したデスクを使っていることに驚いたものです。

こうした訪問者の1人に、Netflixの共同創業者で初代CEOだったマーク・ランドルフ氏がいました。ランドルフ氏は、ドアを転用したデスクをちらりと見て微笑み、ベゾス氏にこう問いかけたそうです。

「ところでジェフ、これらのドアには一体どんな意味があるんですか?」

「これは意図的なメッセージです」とベゾス氏は説明しました。

社員全員がこれを使っています。我々は、顧客と関係のあるものにカネを使い、そうでないものには使わないということを伝える手段です。

ベゾス氏は、「シンボルは、非常に強いメッセージを伝えることができる」と述べています。

「不可能と思われていることが可能だ」と納得してもらうには、手持ちのコミュニケーションツールをフル活用する必要があります。ですから、使えそうなシンボルは、すべてテーブルに載せておきましょう。

4. 複雑なトピックを単純化するのにメタファーを活用する

ベゾス氏は、Amazonという社名を、世界最大の川にちなんで名付けました。これは意図的なもので、考え抜かれたメタファーです。

というのもアマゾン川は、ほかの川より多少大きいというレベルではなく、その流量は2位から7位のすべての川の合計を上回っています。ベゾス氏によれば、「ほかを大きく引き離している」川なのです。

メタファー(2つの無関係なものを比較し、結びつける表現方法)を、ベゾス氏ほど巧みに使いこなすビジネスリーダーは、ほとんどいません。

同氏は、Amazonの成長エネルギーとなるビジネスモデル「フライホイール(弾み車)効果」を編みだし、同社を巨大企業へと成長させる種をまきました。

さらに、ツー・ピザ・チーム(5~10人で構成される、2枚のピザで足りるくらいの小規模なチーム)という概念をつくり出し、「カネではなくミッションによって動く人材」を雇いました。しかも、いま挙げたメタファーは、氷山の一角にすぎません。

メタファーは、私たちの会話の中に浸透します。人は、新しいアイデアを耳にすると、脳にスイッチが入ります。

オンライン書店としてスタートしたAmazonは、今では全世界で3億5000万点の商品を販売する巨大なインターネット小売サイトに成長しました。

けれども、ベゾス氏が「世界最高のセールスマン」であるのは、Amazonが、あらゆる人に、あらゆるものを売っているからではありません。

同氏が世界最高のセールスマンであるのは、商品ではなく夢を売っているからです。それこそが、すべての違いを生み出しているポイントなのです。

この記事は、カーマイン・ガロ氏が著した『The Bezos Blueprint Communication Secrets of the World's Greatest Salesman(原題)』(ベゾスの青写真:世界最高のセールスマンが明かすコミュニケーションの秘訣)からの抜粋です。

St. Martin's Publishing Group.の許可を得て、ここに転載します。

──2023年1月16日の記事を再編集のうえ、再掲しています。

訳: 長谷睦(ガリレオ)

Originally published by Inc. [原文]

Copyright © 2022 Mansueto Ventures LLC.

利己主義は利他主義と融合できる(モラルとしての社会主義)1

(引用1)は、私自身の別ブログに書いた記事の一部で、ここから「神や仏を前提としない道徳」を考察していくつもりだが、その道徳の具体的内容は、この「独楽帳」に既に書いた江戸時代の町人道徳とほぼ同じなので、ここではその道徳の基本部分、土台となる思想について書く。で、それは、昨日再読したマーク・トゥエインの「人間とは何か」に、私が漠然と予定していた考えがあったので、それを(引用2)としておく。(私の基本思想は「利己主義と利他主義は融合可能であり、それでこそ社会は向上する」である。)
先に言っておけば、「引用1」では私は「偽善」を否定的ニュアンスで使っているが、これは世間一般のニュアンスそのままで使っている。で、私がこれから書こうとしている道徳・モラルではこの「偽善」が、肯定的意味でその中心になると予測している。
つまり、我々は「自分の心からではない善行」を不快に思い、それを「偽善」とするのだが、実は善行はほとんど常に実行に抵抗感(自分が何かに「譲歩」しているという不快感)があるのである。(失策をした下女を許すという道徳的善より、怒鳴りつけるという快感をほとんど無意識に選ぶ行為が、「引用2」の「癇癪」である。)その抵抗感から来る不快感が、「偽善」という言葉になっているわけだ。ここには「善行は心の底からの善意で行われ、気持ちいいものであるべきだ」という誤解が存在するのである。
だが、実は善行と偽善行為には実体的な価値の差はない。行われたこと自体はどちらも善なのである。「偽善」について世間が問題としていることは単に「それが心のままの行為ではない」ということにあるのであり、それ(その思想の誤り)を確か荀子は明確に「偽とは『人為』である」と説明し、「人為的善行(偽善)を否定する思想」を否定していたと思う。
道徳とは、たとえば「怒りを抑える」のように「不自然で(人為的で)」「努力を要する」のであり、若者や子供はそれを毛嫌いするのが常なのだ。「なぜ、人を殺してはいけないのですか」という、或る青年の質問は、そうした「道徳の不自然さへの軽蔑と反感」があったはずだ。

(引用1)

「我が身可愛さ」がなぜ悪とされるのか

「混沌堂主人雑記」の最新の記事のタイトルが、私には非常に示唆的なもので、「自己防衛本能が人間およびすべての動物の根源的本能だ」という私の思想に完全に対立する言葉で、そこから私が長い間考えている究極的な道徳、モラルの大きな柱になる思想に発展しそうなので、メモ的にそのタイトルを引用しておく。
そのモラルは「自己防衛が人間の本能である以上、もっとも崇高な行為は自己犠牲であり、もっとも醜悪な行為は他者に自己犠牲を要求することだ」という言葉にすることができるだろう。そして、多くの他者批判は、自分は安全な場所にいながら他者に自己犠牲を要求するものではないか?
さらに言えば、「利己主義自体は人間の本能であり、批判されるべきものではなく、それが他者を犠牲にする場合に批判される」と言ってもいい。あらゆる行為は自分の利益を求めてのものだと言うこともできるだろう。それを悪だとすること自体が、まさに「偽善」であり、問題は、自己の利益と他者の利益をどちらも達成する道を探すことではないか。なぜ、利己主義と利他主義を機械的に対立させる必要があるのか。利他行為は自分の利益でもある、というのが善行(特に公徳)を推進する意義ではないのか。
少し酒が入っているので、下の言葉への考察は先送りしておく。それは次のような言葉(注:「昭和天皇は我が身可愛さに国を売った」という趣旨)だ。先に言っておくと、「我が身可愛さに国を売る」ことを私はまったく批判できない。そうしないと殺すと脅迫されれば誰でもそうするはずだからだ。それを批判する人間は、「自分(家族含む)は殺されても国民全体の幸福のために自分を犠牲にする」と断言できるか?

(引用2)中野好夫訳「人間とは何か」より

青年「それじゃ、またお伺いしますが、すると、人間、すべからく善行を積むべし、ってことを教育する、その意味はどこにあるんです? どんな益があるんです?」
老人「なに、それはまず当人自身が、それによって大変な利益をえる。これがまず第一だなーーー当人自身にとってだよ。次には、そうなれば、もう隣人たちにとって危険人物だなんてことはなくなる。誰にも危害を及ぼすことはないーーーだから、こんどはその隣人たちが、彼の徳行によって利益を受けることになる。彼等にとっちゃ、これがまた大変なことだ。そうなれば、この人生ってもんが、関係者すべてにとって、まずまず結構ってことになるわけだからな。ところが、それに反して、この教育を怠ってみろ、どうなる? この人生って奴が、関係者すべてにとって、のべつ幕なしの危険、災厄ってことにも十分なりうるわけだからな。」

(中略) 

老人「つまり、人間すべての行動について、その内なる主人って奴はだな、つねに決って君自身まず利益を受けるってことを期待してるんだ。でなきゃ、一切行動なんてものはありえない。」
青年「なるほど、じゃ、かりに僕は懸命になって、その利益をえることだけを考えたとしますよ。ところが、その同じ僕が癇癪などを起こして、それをフイにしちまったってのは、いったいどういうわけなんです?」
老人「なに、そりゃもう一つ別の利益をえたいと思っただけの話だよ。その気持が突然に出て、価値の上で先のものを凌いだってだけの話だな。」



(引用ここまで。以下考察。)

「引用2」での「内なる主人」は、フロイト的な「潜在意識」あるいは「イド」を思わせる。我我を無意識裡に操作(支配)している深層心理である。






「300万円で社長になる」?

まあ、話自体が、「こういう方向に進んでいる」というだけのことで、この話を鵜呑みにして即断するのは馬鹿かもしれないが、将来、法的部分で話が確定した場合には「格安で企業を買い取って社長になる」というのもひとつの人生展望かもしれない。

(以下引用)

サラリーマンが後継者を見つけられない中小企業を買い取って経営する――。夢物語のように聞こえるかもしれないが、国がそれを後押ししているのをご存じだろうか。日本の99.7%を占める中小企業がバタバタと潰れてしまえば、日本の産業そのものが崩壊するからである。そのために少しでもサラリーマンが会社を買いやすいように様々な制度が整いつつある。

刊行から1ヵ月で3刷となった『いますぐサラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』(講談社+α新書)の著者で日本創生投資社長の三戸政和氏が、いかに会社が買いやすくなったかを語る。

『いますぐサラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』(講談社+α新書)© 現代ビジネス

前編記事【「中小企業」の後継者不足で日本産業が崩壊する…「サラリーマンが会社を買うなんて夢物語」、そう考えている人が知らない話】より続きます。

「会社の連帯保証人になる」と思っていませんか

なぜサラリーマンが会社を買うなら「いま」なのか。企業買収のための条件が整ったということを示す話をしましょう。

最大の理由の一つは、経営者保証が明確に外せるようになったことです。

経営者保証とは、中小企業が金融機関から融資を受ける際に、経営者個人が会社の連帯保証人になることを言います。会社の返済が滞ったり、倒産してしまったりした場合に、経営者が個人の土地や家などを処分して返済に充てなくてはならないというものです。この経営者保証はいま、つけなくてよいものになっています。

photo by gettyimages© 現代ビジネス

そもそも中小企業の借り入れは、株主であるオーナー社長の私的な資金利用があっても見分けがつきにくい性質があります。そのため、銀行としては貸し付けたお金が社長に個人的に流用されることを懸念し、会社だけでなく、オーナー社長個人にも保証を要求してきました。

しかし、私的な資金利用がないのであれば、個人が連帯保証をする理由はなくなります。

実際、オーナー企業を除く大企業では経営陣が雇われている立場で、株主と切り離されており、企業として借り入れた資金を経営陣が私的に流用することは難しいので、個人保証をすることはありません。

借金することは「悪」ではない

ちなみに、会社経営をしたことがない人のなかには、借り入れをあまりよくないことだと思う人も多くいますが、企業が設備投資や原材料を買うために借り入れをするのは、いたって正常な経済活動です。企業は手持ちの資金だけでやりくりして事業をしていても、なかなか会社を大きくすることはできず、新たな雇用を生むこともできないので、社会的に見てプラスになりません。無借金経営が美徳などとは私は思いません。

  

経営者保証は日本経済にとっても大きなマイナスです。企業は借り入れ金を使って投資をしなければなかなか大きくならないし、事業から出る利益だけを投資に回して大きくなっていくには長い時間がかかります。投資のための積極的な借り入れは、むしろ社会にとっては善なのです。

日本に存在する会社のうち、99%以上が中小企業です。そして、中小企業の多くが後継者問題に悩まされてきました。後継者問題のもっとも大きな原因の一つは、経営者保証だと断言します。子どもや従業員が会社を継ぎたがらない理由は、経営者保証を引き継ぎたくない、引き継がせたくなかったからです。

私の投資ファンドがお手伝いしたケースでも、社長である父親が過剰な債務を抱えていて、息子がその債務に個人保証をするなら引き継がないと言っていた最中に、父親が亡くなってしまった会社がありました。1億円くらいの黒字なのにこれでは廃業するしかありません。そこで我々がスキームを作り、債権を適正サイズにすることで息子が事業承継を了承したのですが、このような会社は日本にたくさんあります。

個人で借金を背負う必要なし

もちろん、読者の皆さんも会社を買う際に、経営者保証を引き継ぎたくはないでしょう。

しかし、経営者保証は廃止される方向に進み、2022年12月には、金融庁が経済産業省・財務省と連携し、「経営者保証改革プログラム」というものを策定しました。

これによると、経営者保証を完全に禁止したわけではないのですが、金融機関が経営者保証を求める場合には、かなり厳しい条件が課されることになりました。 

金融機関から経営者保証を要求された場合には、その明確な理由を求めることができ、その理由が正当だと思えない場合には、金融庁に2023年4月に新設された経営者保証専用相談窓口に相談することができるようになったのです。

これはすなわち、前社長が経営者保証をしてお金を借り入れていた状態で会社を買収する場合には、その経営者保証を外すことができるということです。

photo by gettyimages© 現代ビジネス

金融機関が理由を付けて、どうしても経営者保証を外すことができない場合は、よほど財務状態がよくない会社である可能性が高いので、その会社を買うのをやめればいいだけです。

これからのスモールM&Aにおいて経営者保証は不要。それが基本です。サラリーマンが会社経営に乗り出したら借金まみれになるというのは、経営者保証をそのまま引き継ぐことを前提とした古い考えで、万一経営に失敗したとしても、自分が出したお金以上に損をすることはないと言えます。