忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「うるま」の語源と意味

沖縄の人間のほとんどは「うるま」の語源も意味も知らず、一部の「沖縄知識人」の立てた妄説を信じ込んでいると思う。
私は沖縄生まれの沖縄県民だが、沖縄人のこうした「自画自賛主義」、過度な「郷土誇り」は欠点だと思っている。自惚れは自足となり、発展の障害となるからである。
ウィキペディアの下の記述は大略は正しいと思うが「ウルルンド」が「ウルマ」になったというのは音韻変化的に無理があると思う。「ルンド」が「マ」になるはずはない。

文献上は宗碩連歌用語辞典『藻塩草』(1513年頃)に「宇留間島(非日本か一説をきなふを云と)」とあるのが最古である

というのが、「うるま」だけでなく「沖縄(をきなふ)」の語源としても信頼性が高いのではないか。もちろん、「りうきう(琉球)」のほうが一般的だったと思う。むしろ「りうきう」の語源が何かが気になる。私としては「龍宮(りゅうぐう)」の漢字を「りゅうきゅう」と呼んだという説を立てたい。海のかなたの神秘の国、ということだ。それが「琉球」という漢字だとまったく意味不明で魅力もない。「をきなふ」に「沖縄」の漢字を当てるのも愚劣である。「なふ(発音は「のう」)」が「縄」にはならないだろう。もっとも「のう」と読める漢字にはロクなのが無いから「沖のふ」として、「ふ」に何かの漢字を当てるのはどうか。「府」はどうか。あるいは「浮」でも「布」でもいいが「縄」よりはマシかと思う。「沖之布県」は、語呂が悪いか。まあ、「龍宮県」が一番だろう。おっと、「自画自賛主義」になってしまったww

(以下引用)

うるまの島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

うるまの島(うるまのしま、うるま)は、沖縄県雅称宇流麻とも当て字される。

概要

[編集]

「島の名」としての用語の初出は、平安時代の歌人藤原公任千載集に載せられた歌、「おぼつかなうるまの島の人なれやわが言の葉を知らず顔なる(心もとないことだ。うるまの島の人だからだろうか、わたしの贈った和歌に知らぬ顔をしているのは)」とされる。

この場合「うるまの島の人のここに放たれて来てここの人の物言ふを聞きも知らでなんあるといふ頃返事せぬ女に遣はしける(うるまの島の人が日本に漂流してきて、日本人の言葉を聞いてもわからないでいるという評判の頃に、返歌をしない女に送った歌)」と前書されてあり、ここでの「うるま」が朝鮮半島鬱陵島(ウルルンド)であることは、すでに明治時代中期には佐々木弘綱佐佐木信綱父子が朝鮮半島の属島と明記し[1]、後述の古典籍の記述からも、古典文学、和歌研究者の間での定説となっている。

大日本史』(巻234)[2]によれば、【藤原行成の『権記』に寛弘元年(1004年高麗人の因幡漂着が記述され、『本朝麗藻』によれば食料を与え帰国させたとあり、この漂流者は『大納言公任集』によれば新羅宇流麻島人で、『東国通鑑』では芋陵島人である(本朝麗藻では「迂陵島」)】と記述されている。日本語の通用しない相手としての「うるま」としては、同じく平安時代の『狭衣物語』にも「こはいかにとよ うるまの島の人とも覚え侍るかな(どうしたものか、言葉の通じないうるまの島の人のようにこちらの心が通じない)」と使われている。

『千載集』(1188年)に採択される前に編纂された私家版の『公任集』(1041年頃)の詞書(前書)には「しらぎのうるまの島の人」とあるものが、千載集では国名が省略されてしまったため、これが後に何処とも知れぬ辺境の異邦人の島の代名詞となり、異郷の島の呼び名となった。

なお、「うるま」の言葉自体は藤原仲文の歌、「ゆきかよひ定めがたさは旅人の心うるまのわたりなりけり」が初めとされるが[3]、こちらは美濃の宇留間(岐阜県各務原市鵜沼)のことである[4] 。

室町時代には、当時の琉球国室町幕府に遣使し本土との交易を行ったころから、辺境の島としての「うるま」が沖縄を指すようになった。文献上は宗碩連歌用語辞典『藻塩草』(1513年頃)に「宇留間島(非日本か一説をきなふを云と)」とあるのが最古である[5]安土桃山時代里村紹巴が『狭衣物語』の注釈書『下紐』に「琉球をうるまの島と云と也」と書いてこれが定着したものと考えられ、江戸時代前期に成立した和歌用語辞典『和歌呉竹集』には「うるまのしま国 又うるまの国ともいふ 琉球国の事也」と明記されている。連歌用語辞書『匠材集』(1597年)では「うるまの國 りうきうなり」、「うるまのしま えそか嶋也」と沖縄と北海道が並べられ、「言葉の通じない異郷の地」の意味合いで「うるま」という名は認識されていた。

琉球側文献では、古語も多く含まれる古歌謡集『おもろさうし』(1623年)にも「うるま」の記述はない。17世紀末に識名盛命(唐名は毛起龍)が和文体の紀行文『思出草』(1700年)に薩摩と日本本土での琉球の別称として記したことから、琉球人の間でも知られるようになったが、知識人以外の一般への定着はならなかった。

もっとも、江戸時代中から「うるま」と琉球国の関係については疑問が呈されており、『古事類苑』に引用される嘉永3年(1850年)の山崎美成『琉球入貢紀略』では、『下紐』の記述からそう言われているが「うるまは新羅(今の朝鮮なり)の属島にして琉球にはあらず」「うるまは迂陵の韓音なりといへり」と断言されている。

海外においては李氏朝鮮の『海東諸国紀』(1501年)や、中国明朝清朝冊封使が遺した『使琉球録』各書などに当時の単語・会話文が収集されているが、それらの中でも「うるま」に該当する言及は無い。ようやく『琉球説略』(1877年)に「琉球古云宇留間島 起於日本西海道薩摩国之南百四十里海中」とあるが、すでに明治政府により日清修好条規が結ばれ、日本国内の情報も広まった段階であった。

20世紀に入り、大正時代以降に本土の文人が沖縄の美称として「うるま」と呼ぶようになったことから、沖縄県民の間にも広がるようになる。昭和10年(1935年)には明仁親王の乗馬として宮古馬が選定され、右流間(うるま)と名付けられた。戦後は煙草の銘柄としてうるまが販売され、逆に本土でも沖縄の雅称として有名となり、県民の間にも名称が定着して、ついには地方自治体としてうるま市が誕生する次第となった。

近年は「うるま」の語源は沖縄方言で「珊瑚の島」(「ウル(珊瑚)」「マ(島)」)とされるが、民間語源に過ぎない。

沖縄方言語源説は波照間島の名の由来としての「ハテウルマ」説から始まっている。笹森儀助の『南嶋探験』に「極南端ニアル波照間島ノ義ハ「ハテウルマ」の転語ニシテ古ヨリ我カ国境タルコト其名称ニ依テ明也云々右西氏ノ物語ナリ」とあり、明治26年(1893年)に西常央長崎県出身、明治中期に八重山役所長や首里役所長)が提唱したのが端緒とされる[6]

「ハテウルマ」が沖縄古語であるとの前提でそのままこの説が取り入れられ、柳田国男は『海南小記』で「波照間の島はすなわちハテウルマで、うるまの島々の南の果て、の意味であろうということだ」とし、宮良當壯は『南島叢考』で「『ウル』は海石(珊瑚石)或いはその砕けた砂礫をいい『マ』は島の『マ』と同じく場所を表すのであろうと思われるから、ハテウルマは日本の端の砂礫からなる島と云う意味であろう」としていた。

現状の語源説では「ウル」は珊瑚の意味ということが独り歩きしているが、宮良が指摘するように沖縄方言での「ウル」は本来(珊瑚の砕けた)粗砂を意味し、「シマ」が「マ」に変化したという点も言語学上の変遷の根拠に欠ける。また、この「うるま沖縄方言説」は戦前より、伊波普猷東恩納寛惇らによる本土・沖縄の古典記述を元にした論考で批判を受けていた。

現在「うるま」は沖縄の歴史と文化の独自性を表す言葉として多用されているが、結果として本土の文化との強いつながりを示すこととなった。

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 佐々木弘綱佐佐木信綱『日本歌学全書 第三編』博文館1890年「志らきは新羅にて三韓の一つの国なり そこにあるうるまの島人の物いひの聞知かたきをたとへにいへるなり 此歌千載集恋一に入て四の句わがことの葉をとあり」
  2. ^ 訳文大日本史5(後楽書院、明治45年)P.674, NDLJP:771746.
  3. ^ 『仲文集』(992年頃)藤原仲文「(前書)美濃国のうるまのわたりにて ゆきかよいさだめがたきは~」、『後拾遺集』(1087年源重之「あづまじにここをうるまということはゆきかふ人のあればなりけり」。仲文と重之は同時代の人であるが、私家集の公開時期から先になる。
  4. ^ 鵜沼宿鵜沼の渡し(うぬまのわたし、うるまのわたり)は木曽川渡し船。後世、歌枕の一つのような扱いがなされている。
  5. ^ 島村幸一, 小此木敏明, 屋良健一郎, 綱川恵美「「琉球文学」資料注釈4『浮縄雅文集』上 蕉雨亭」『立正大学人文科学研究所年報』第55号、立正大学人文科学研究所、2018年3月、45-76頁、CRID 1050011550986875264hdl:11266/00011328ISSN 03899535
  6. ^ 末次智「沖縄の西常央:近代的沖縄研究への架け橋として」(PDF)『京都精華大学紀要』第36号、京都精華大学、2010年、87-108頁、CRID 1520853833737107072ISSN 09173986。「含 英語文要旨」
PR

「足底部」の重要性

70年以上生きてきて、今日初めて私は「歩き方(歩行のメカニズム)」を知ったのだが、それを書いておく。

最初に、あなたたちは足指の付け根の部分を何と言うか知っているだろうか。
それを実は「足底部」と言うのである。
つまり、足の底は踵ではなく、足指の付け根、あるいは足の中で足指と踵を除いた部分なのである。そのうち、「土踏まず」は実質的には地面に触れないから、「足の底」は「足の指の付け根」部分だ、と言えるだろう。
これが「歩き方」の最大の秘密である。この足底部(足底部前面)が、歩く時の中心であるということだ。決して踵でもつま先でもない。

歩いていると、これが分かるはずで、踵は平地を歩く時「最初に地面に触れる」から歩く時の中心部分だと錯覚する人が多いと思う。しかし、それはほんの一瞬で、次の瞬間には体重は足底部に移り、次の脚の踵が地面に触れるまで、体重を足底部が支えるのである。そして、次の脚に運動部位が移る瞬間に足指が少し地面に触れる。一瞬触れるだけで体重を支えることはない。

足底部(前面)が歩く時の重心移動の中心だということは、上り坂を上るときに明白になる。この時、踵はほとんど地面に触れないのであり、上っている間中、足底部(前面)が体重を支えているのである。つま先は靴底に触れるが体重を受けることはない。
下り坂もほぼ同じで、下るときには踵が最初に地面に軽く触れるが、それは「地面の存在場所の確認」程度で、次の瞬間には体重は足底部(前面)に完全に乗り、次の脚の踵が地面に触れる時まで体重はそこで支えられる。

以上を頭に入れれば、正しい歩き方とは「足底部」を意識して歩くことだとわかるだろう。これができていないと、長期的には足や脚の変形や故障につながる可能性もある、かもしれない、と少し脅しておく。

妄想的に言えば、格闘技でも足底部に重心を置くのが大事で、踵に重心を置けば、後ろに倒れそうになった時の支えがないし、足指に重心を置けば、前に倒れそうになった時の支えがない。足底部に重心を置けば、後ろに倒れそうだと踵が支えるし、前に倒れそうだと足指が支える。このことを言った格闘技の先生はいないのではないか。



タイヤの空気圧

まあ、常識と言えば常識だが、私のようにほとんど忘れている人間も多いだろうから、載せておく。

(以下引用)

クルマの空気圧とは?適正ではないと何が起こるの?

 クルマのタイヤの空気圧は、適正にすることで乗り心地を良くし、走行性能を発揮してくれます。

 一方で、空気圧は引きすぎても高すぎてもいけないとされ、適正ではないと様々なトラブルが発生する可能性が高まります。

【画像】「これはアウトー!!」 これが今すぐ交換すべき「危険なタイヤ」です(17枚)

 では、トラブルとは一体どのようなものなのでしょうか。

クルマの空気圧とは?適正ではないと何が起こるの?(画像はイメージ)
クルマの空気圧とは?適正ではないと何が起こるの?(画像はイメージ)

 まず空気圧が低すぎると、タイヤのショルダー部分の「偏摩耗」が起こりやすくなります。

 偏摩耗とはタイヤの寿命が短くなってしまうだけでなく、騒音や振動の原因になります。

 また、ヒートセパレーションという発熱による損傷や、自動車が水の上を滑ってハンドルやブレーキが利かなくなるハイドロプレーニングという現象が発生します。

 他にも燃費や操縦安定性が悪化してしまうので、デメリットしかありません。

 逆に空気圧が高すぎても、タイヤのセンター部分の偏摩耗が起こりやすく、空気圧が低い時と同様のデメリットがあります。

 さらに、乗り心地も悪くなり、跳ねるような感じにつながり、車内が揺れるように感じてしまうことも。

<cs-card "="" class="card-outer card-full-size " card-fill-color="#FFFFFF" card-secondary-color="#E1E1E1" gradient-angle="112.05deg" id="native_ad_inarticle-1-8c40df2a-8bbd-4c38-9aca-e21ad6fcd94f" size="_2x_1y" part="" style="--gradient-white-fill: linear-gradient(160deg, rgba(255,255,255,0.8), rgba(255,255,255,1)),#ffffff; --gradient-background-fill: linear-gradient(160deg, rgba(255,255,255,0), rgba(255,255,255,1)); --neutral-fill-bubble-on-rest: #ffffff; --neutral-foreground-hint-on-bubble-on-rest: #767676; --neutral-layer-card: #ffffff; --neutral-layer-1: #ffffff; --fill-color: #ffffff; --neutral-fill-layer-rest: #ffffff; --neutral-foreground-rest: #2b2b2b; --focus-stroke-outer: #888888; --neutral-foreground-hint: #767676; --accent-foreground-rest: #0078d4; --accent-foreground-hover: #0066b4; --accent-foreground-active: #1181d7; --accent-foreground-focus: #0078d4; --accent-fill-rest: #0078d4; --accent-fill-hover: #006cbe; --accent-fill-active: #1683d8; --accent-fill-focus: #0078d4; --neutral-fill-rest: #ffffff; --neutral-fill-hover: #fcfcfc; --neutral-fill-active: #ffffff; --neutral-fill-focus: #ffffff; --neutral-stroke-rest: #bfbfbf; --neutral-stroke-hover: #989898; --neutral-stroke-active: #d6d6d6; --neutral-stroke-focus: #bfbfbf; --neutral-stroke-divider-rest: #eaeaea; --foreground-on-accent-rest: #ffffff; --foreground-on-accent-hover: #ffffff; --foreground-on-accent-active: #000000; --foreground-on-accent-focus: #ffffff; --focus-stroke-inner: #ffffff; --neutral-fill-stealth-rest: #ffffff; --neutral-fill-stealth-hover: #f2f2f2; --neutral-fill-stealth-active: #f7f7f7; --neutral-fill-stealth-focus: #ffffff; --neutral-layer-floating: #ffffff; --tree-item-expand-collapse-hover: #e5e5e5; --tree-item-expand-collapse-selected-hover: #f2f2f2; --neutral-stroke-strong-rest: #939393; --neutral-stroke-strong-hover: #2b2b2b; --neutral-stroke-strong-active: #696969; --neutral-stroke-strong-focus: #525252; --neutral-fill-input-rest: #ffffff; --neutral-fill-input-hover: #ffffff; --neutral-fill-input-active: #ffffff; --neutral-fill-input-focus: #ffffff; --neutral-fill-strong-rest: #767676; --neutral-fill-strong-hover: #626262; --neutral-fill-strong-active: #838383; --neutral-fill-strong-focus: #767676; --neutral-layer-card-container: #f7f7f7; --neutral-fill-inverse-rest: #242424; --neutral-fill-inverse-hover: #2b2b2b; --neutral-fill-inverse-active: #101010; --neutral-fill-inverse-focus: #242424; --card-stroke-color: rgba(0,0,0,0.0578); --neutral-fill-bubble-rest: #f0f0f0; --neutral-fill-bubble-hover: #e8e8e8; --neutral-fill-secondary-rest: #f7f7f7; --neutral-fill-secondary-hover: #fafafa; --neutral-fill-secondary-active: #fcfcfc; --neutral-fill-secondary-focus: #f7f7f7; display: flex; background-image: initial; background-position: initial; background-size: initial; background-repeat: initial; background-attachment: initial; background-origin: initial; background-clip: initial; outline: none; border-radius: 12px; box-shadow: 0 0 0 calc(var(--stroke-width) * 1px) var(--card-stroke-color),0px 2px 4px rgba(0,0,0,0.04); box-sizing: border-box; color: var(--neutral-foreground-rest); contain: content; content-visibility: auto; --gradient-angle: 112.05deg; --gradient-start-color: #FFFFFF; --gradient-end-color: #E1E1E1; width: unset; height: unset;">

 また、タイヤが傷つきやすくなるため、衝撃や空気圧に耐えてくれている部品が擦れて露呈してしまう「コード切れ」が起こり、最悪の場合走行中に突然バーストするかもしれません。

 

 空気圧が適正ではないと、タイヤが損傷し、走行に支障が出るため、大きな事故につながりやすくなってしまいます。

 そのため、定期的にタイヤの空気圧を調べ、適正な数値にしておくことが大切です。

 それでは、タイヤの空気圧はどのように管理するのが良いのでしょうか。

 適正な空気圧は車種によって異なります。

 車両指定空気圧というものがあり、運転席のドア開口部の下や目立つところに、基準値を示したラベルが貼ってあることが多いです。

 空気圧は自分で測定器を持っていたら測ることができますが、持っていない場合は、ガソリンスタンドやタイヤ専門店で調べてもらえます。

 では、実際に空気圧をチェックする時のポイントについて都内のタイヤ専門店担当者は次のように話します。

「最低1ヶ月に1回はタイヤの空気圧をチェックすることを推奨しています。

 また、長時間運転や高速道路で運転する予定がある場合にも確認することで、大きな事故や損傷を防げる可能性が高まります。

 

 実はタイヤの空気圧は自然に抜けてしまうもので、1ヶ月に約5%ほど低下してしまうので、知らないうちに空気圧不足になっているお客さまは多いです」

 また、その他のポイントについて、前出の担当者は次のように話します。

「タイヤの空気圧を確認するときは、タイヤの温度に注意してください。

 タイヤが温まっていると膨張で空気圧が高く示されるので、できるだけ冷えている時に行うことがおすすめです」

※ ※ ※

 ガソリンスタンドで確認するときは、走行中によりタイヤが温まっていますが、膨張している分も考慮して管理してくれるようです。

 そして、空気を入れるときは、基準値から20kPaの範囲で調節したり管理したりすることで、自然と抜けてしまう分も考慮することができるそうです。

 重い荷物や大人数が乗る場合には、空気圧をやや高める人もいるようですが、高すぎるとトラブルに繋がるので、あまり入れすぎないように心がけることが大切です。

 また、タイヤの空気圧を確認するときは、それだけでなく溝が摩耗していないか、タイヤの部品の損傷や損失がないかも確認してあげることで、より安全に走行することが可能になります。

何の夢が現実になったのか

事件自体はどうでもいいが、写真の後ろに変な親父が映っているので、載せておく。ドリカムって、あんなのと関係があるんだ。あの顔を見て、ファンをやめたという人も結構いるのではないか。

(以下引用)

【炎上】ドリカム中村「俺が挨拶してるのに帰るなんて!」→炎上

1名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 13:55:37.96 ID:TF5qYQJU0 BE:595582602-2BP(3745)
no title


ドリカム中村「最後のご挨拶の途中でどんどんお帰りに...」 途中退席に苦言→投稿削除も波紋
https://www.j-cast.com/2024/12/09499287.html

中村さんは7日、ライブの終演後、「色々ご都合おありなのはお察ししますが最後のご挨拶の途中でどんどんお帰りになる多くの皆様のお姿を拝見すると『ああ、そんなにライブがお気に召されなかったのか』と深く反省する次第です」(削除済み)と投稿した。
 
DREAMS COME TRUEは7日、デビュー35周年を記念するライブツアー「DREAMS COME TRUE 35th Anniversary ウラワン 2024/2025」の愛知公演を行っていた。

SNSでは、DREAMS COME TRUEのファンに限らず、演者側が途中退席にネガティブなイメージを持っているのではと心配する声も上がっている。

「最後まで見ていたいけど、結構次の日の都合あったり、地方からなら新幹線や電車や飛行機とかの時間とかあるから仕方ないのよね 皆んな最後まで見たいんだけど、そこに住んでる人ばかりじゃないのよ。特にチケ取れないアーティストさんのは 」

「田舎住み社会人(私)はさ、ライブ当日は休み取れても次の日までは取れないから日帰りで遠征ライブ行くしかないのよ。乗り継ぎが多いと早めに帰宅しないといけない時もあるのよ。時間も金も労力も使って行った好きな人のライブなんて最後まで見たいに決まってるじゃん...途中退席したい訳ないじゃん... 」

中村さんのもとにもこうした意見が届いたのか、その後「なるほど 初めての会場なので事情がわかりました ご足労誠にありがとうございました 明日もベスト以上を尽くします」と投稿。しかし、この投稿も8日までに削除された。
no title
6名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 13:57:05.60 ID:wGRWpGiD0
知らんかったで終わる話をどうしてこうも炎上させたいのか

37名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:09:59.17 ID:FmPlenzo0
>>6
知らなくても考えればすぐ分かるだろ?
ってレベルの話だから

262名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 16:48:39.13 ID:2ZaOSRA80
>>6
かなり活動年数長そうな人達なのに、今の今まで知らなかったって事あるのかな

8名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 13:58:00.70 ID:EFA3+I+Z0
そりゃそうだろとしか

10名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 13:58:27.44 ID:1u7kyXRs0
話が長すぎたんだろう

75名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:26:34.18 ID:tS89h/pH0
>>10
さだは話がメインなのに

11名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 13:58:50.41 ID:uwHhr4oe0
この発言のどこが悪いのか分からない
俺が境界知能なのか

49名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:14:09.15 ID:0trLHZ930
>>11
本来はライブの途中で帰るのはなかなか失礼なことではあるんだけどね
開催地と時間の都合でそうしないといけない観客が出てしまうのは運営側が改善する事だし それが当たり前のようになってしまっている観客側も感覚が鈍っていると思うんだけど それには誰も突っ込まないよね

19名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:05:06.99 ID:d5qAw8y10
むしろ、そこまで居てくれたことに感謝しろよな

38名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:10:17.36 ID:TWN2FadN0
コンサート終了後のご挨拶は、ハヨカエレのサイン

39名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:10:18.51 ID:hN8WDfGe0
ライブ来てくれるだけで有り難くね?

41名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:11:42.58 ID:/uNA+DVz0
帰りたくないくらい面白い話しろや

44名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:12:47.60 ID:d3HjWPWM0
俺の話を聞けー

46名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:13:15.54 ID:/GDRzjKE0
いつの間にかドリカムのメンバー1人減ってる、、、

347名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 18:30:15.26 ID:rNkXeKV30
>>46
減ってるどころか、いなかった事にされたりしてないか……?

54名無しのアニゲーさん 2024/12/09(月) 14:15:52.58 ID:Q3cm94LT0
最後まで残ってたら渋滞するしな

「神」とは何か

単なる実験的思考だが、「実験的」と言うのは、成案が無いということだ。やってみないとどこへ到達するのか、分からないのである。まあ、それこそが「本来の、あるべき思考」ではないか、という気がする。最初から成案があっての思考とは単なる「つじつま合わせ」だからだ。創造的ではない思考である。

具体的なテーマは、「精神とは何か」「神とは何か」である。

後者は前者の問題から派生している。「精神」の「神」は何か、ということだ。

「精神」の「精」のほうは、おそらく「精霊」の「精」と同じだろう。何かが凝縮したもの、というイメージではないか。つまり、ふだんは目に見えない霊が凝縮して目に見えるようになったイメージかと思う。つまり、余計な要素を除去して、その本質部分だけが析出された「精髄」である。

つまり、「心」や「思考」という捉えがたいものの中心部分が「精神」かと思う。

そこで「神」の問題になるが、これも「中心」ではないかと思う。つまり、世界の中心であり、核となるもの、というわけだ。これはユダヤキリスト教的な「世界の創造主」ではなく、世界そのものの中にあるわけだ。あるいは至るところにあるが、目には見えないものだ。

なぜそう思うかと言えば、「申」という字が「日を貫く棒」という形象であるからだ。

ひところ売れっ子だった漢学の学者で漢字に独特な説を立てて話題になった者(今思い出したが「白川静」である。)の説では「申」というのは死刑台の上の首、あるいは棒に刺された首だ、という説だったと思うが、「日」のどこが首なのだよ。いい加減な妄想だろう。

というところまで考えたが、この件はいずれまた考察するかもしれないし、しないかもしれない。