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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

仏教の宗派の違い

説明(省略)を読んでも私には各宗派の違いがよく分からないのだが、それぞれの宗派の人は違いがよく分かっていて、他宗派を親の仇のように憎むのだろうかwwwwi
私自身の考えとして、「どのような手段であっても悟ればいいのだ」という禅宗に一番共感するが、各宗派が重んじる経の違いなど、まったく理解できない。本尊を何にするかも、愚衆を騙すための手段としか思えない。つまり、ほとんどの宗派は細部に無意味にこだわる学生運動の分派と似たような発生をしたか、金儲けのための新興宗教として既成仏教に反逆したのではないか。

(以下引用)

仏教の宗派の違い(教え)

仏教の宗派の違い(教え)

仏教には、色々な宗派がありますが、どんな違いがあるのでしょうか。
まず、現在も残っている主要な7つの宗派を人数順に表にしてみました。

宗派本尊経典本山人数
浄土真宗 阿弥陀如来 浄土三部経 本願寺 1174万人
浄土宗 阿弥陀如来 浄土三部経 知恩院 630万人
真言宗 大日如来 大日経 高野山 906万人
禅宗 釈迦仏 不立文字 永平寺等 484万人
天台宗 釈迦仏 法華経 比叡山 304万人
法相宗 弥勒菩薩 解深密経 薬師寺 52万人
華厳宗 毘盧遮那仏 華厳経 東大寺 4万人

人数のデータは、文化庁の平成26年12月31日の
「宗教統計調査結果」によります。

仏教の宗派がたくさんある理由

仏教とは、約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまが、
35歳で仏のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりなるまでの
45年間説かれた教えを、
今日、仏教といいます。

その教えのすべては、
たくさんのお経として書き残されています。
これを一切経といわれ、七千余巻にのぼる
たくさんのお経があります。

そのお経をどのように理解するかによって
たくさんの宗派が別れています。

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親の医療費は子供の地獄

まあ、私自身の希望としては、認知症になったり寝たきりが確実な状態になった場合は「さっさと殺してくれ」と思っているのだが、現在の法制度ではそうはいかない。親の医療費だけで子供は破産するだろう。

(以下引用)

「田舎の実家」で倒れた“父の介護”で、まさか「家計破綻」しかけた50代サラリーマンの悲劇
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86098
2021.09.08 太田 差惠子 介護・暮らしジャーナリスト マネー現代

田舎の親が突然倒れて、いきなり介護が必要になる――そんなケースに直面する人が少なくない。たとえ運よく老人ホームなどに入れられたとしても、じつは安心できない。

前編(『田舎で倒れた父親を「特養老人ホーム」に入れた50代サラリーマン男性の悲劇』)で紹介したシンゴさん(仮名、50代サラリーマン)の場合は田舎の父親がいきなり倒れて、介護をすることに。特別養護老人ホームに入れることができたものの、最初に運び込まれた病院への支払いについて父親の口座からおカネをおろすことができずに“自腹”で支払うはめに。しかも、入院費だけではなく、それ以外の出費もかさんでいって……そして「本当の悲劇」はそこから幕を開けたのです。




半年で「130万円」が消えた…

「入院費用は月5万円ほどで済むと思っていた」と言うシンゴさんですが、実際、75歳以上で一般的な所得だと自己負担額の上限は1ヵ月で5万7600円(長期療養の場合、4万4400円になることも)です。

しかし、入院にかかる費用はそれだけではありません。たとえば、食事代は月4万1400円ほど。それだけで入院費と合わせて約10万円になり、そのほかにもリネン代など保険のきかない自己負担もかかってくるのです。

しかも、今回シンゴさんの父親はリハビリ病院に転院したので、入院期間は合計して6ヵ月という長期入院となりました。そのため、シンゴさんは病院に最終的に70万円以上支払うこととなり、さらに、今住んでいる東京と実家の九州の往復やその他もろもろで、最初の半年で130万円ほどを使ったといいます。

とてつもない額に膨れ上がってしまったわけです。

不審な領収書が…

シンゴさんを悩ませたのは、「おカネをおろせない問題」だけではありませんでした。

通帳を見ると、父親は月18万円ほどの年金をもらっていることがわかりましたが、1年ほどの間に1000万円近くがおろされており、倒れる直前の残額は300万円少々でした。

さらに、シンゴさんが実家の”家探し”をした際、不審な領収書が複数枚出てきました。



そこには「耐震工事」だの、「シロアリ駆除」だのと書かれています。

あまりに金額が大きいので、領収書に記されている電話番号に電話してみましたが、つながりませんでした。

それだけではありません。台所には、手つかずの段ボールが12箱。なんと、健康飲料らしきものが入っていました。どうやら、ほんとうは必要ではない商品やサービスを購入してしまっているようだということがわかってきました。

「近所の親戚に聞くと、いつからか父親の行動が変で認知症を疑っていたそうです。知らせてくれればいいのに、と思いましたが、連絡を取っていなかった僕が悪いのですよね」とシンゴさんはため息まじりに話します。

自責の念…そして、藁にもすがる思い

「半年で、九州に10回は行きました。父のおカネはおろせないし、経済的にも体力的にも辛くて、病床の父に対して『死んでくれたほうが…』と思ったこともあります。弟に連絡してもなしのつぶてで」

誰でも、負担が増すとそのように考えてしまうこともあるのではないでしょうか。なかには、そう考える自分自身に耐えきれず、自責の念からみずからが鬱状態になる人もいます。

そんなシンゴさんは経済的な負担を何とかして軽減したいと考えました。

「ダメもとで日本年金機構に電話をして、父親の年金を僕の口座に入金してもらえないかと問い合わせましたが、できないと言われました」



年金の支給は、年金受給権者の名義以外の口座には振り込みができない仕組みになっているのです。

特別養護老人ホームに入所が決まったとき、シンゴさんは門前払いになった銀行の窓口に再度赴きました。窓口の人に事情を話すと、副支店長が出てきて、話を聞いてくれました。

副支店長からは、「成年後見制度」の利用を提案されました。

特別養護老人ホームの「費用」

家庭裁判所に申し立てをして、「代理人」と定められれば、本人の意思が確認できない場合も預貯金を引き出すことができます。厚生労働省によると、成年後見を申し立てるのは「子」がもっとも多く、申し立ての動機は「預貯金などの管理・解約」がトップです。

副支店長から言われるまでもなく、シンゴさんは、「成年後見制度」のことは調べていました。けれども、それほど財産があるわけでもないのに、家庭裁判所に申し立てることは気持ち的にハードルが高かったといいます。

折り合いの悪い弟がいるので、おそらく後見人にはシンゴさんではなく、弁護士や司法書士ら専門家が選任されることになるでしょう。そうなると、数万円の報酬が発生します。

副支店長にも年老いた親がいるらしく、親身になってシンゴさんの話を聞いてくれました。地域密着の銀行で、副支店長はシンゴさんの父親のことを知っていました。父親はシンゴさんのこともよく話していたようです。

最終的に、親子関係を証明する戸籍抄本、医師の診断書、施設費用書面などを提出することで、特養の支払いを自動振替する手続きを行えるよう取り計らってくれました。

「九州往復の交通費などはかかりますが、とりあえず特養の費用は、父の年金で払えることになりやれやれです」

「215兆円」問題

シンゴさんの事例は珍しい話ではありません。

第一生命経済研究所の試算では、認知症の人が保有する金融資産額は2030年頃には215兆円に達する見通しです。

全国各地で「おカネがおろせない問題」が勃発しており、それぞれの金融機関が対応に苦慮しています。そうした背景から、2020年3月、全国銀行協会は各銀行に対して認知症の人の預金を家族が引き出しやすくするための通達を出しています。

シンゴさんが提出したような書類を用意することで、金融機関の窓口は名義人の医療費や介護費の出金について相談に乗るように求めた内容です。

しかし、あくまで使用使途は限定的であり、金融機関によって対応は異なります。原則は、引き出しには名義人の意思確認が必須であり、それが難しい場合には後見人の申し立てが必要なのです。

シンゴさんはこう言います。

「僕のようにならないために、親が元気なうちにお金のことを話し合っておくほうがいいですよ」

だれも「他人事」ではない

金融機関によっては、2枚目のキャッシュカードである「代理人カード」を作れたり、「代理人指定」をしておけたりします。

「家族信託」や「任意後見制度」を利用する方法も考えられます。

親に判断力があるなら、地元の社会福祉協議会が通帳を預かったり入出金をサポートしたりする「日常生活自立支援事業」の利用も選択肢となるでしょう。

悪徳業者に標的にされることを防ぐ効果も期待できます。

ただし、家族間でお金のことを本音で話し合うためにはコミュニケーションがあってこそ。

しっかり親子で向き合うことが第一歩だといえるでしょう。

江戸の病気番付

感染症は不衛生さから来たものが多いと思うが、脳卒中などは食生活でのタンパク質不足が原因なのではないか。

(以下引用)

江戸の病気ランキング 
(2012.07.06 稲垣裕美)
コレクションノート 日本人を苦しめた病気、そして医家


「病薬道戯競」初編


「病薬道戯競」二編
 江戸時代になると、庶民でも薬を購入したり、医師に診察してもらうことが一般的となった。医療の普及にともない、病気に関する知識も広まっていった。当時の川柳には、「はやり風十七屋から引き初め(飛脚問屋から流行性感冒が感染が始まるの意味)」や、「温石で腹の燗する疝気痛み(疝気のために痛む腹を、温石<おんじゃく>という石で温めるの意味)」などと詠まれているが、人々はどのような病気かを理解できたのである。
 写真の資料は、江戸時代の病気と薬を相撲の番付風にランキングしたものである。病名は向かって左側に記載されている。例えば、初編の病気の筆頭には、「大関 疱瘡(ほうそう)之宮守人神王」、二編の筆頭には「大関 胎毒(たいどく)天皇」というように、「疱瘡」や「胎毒」などの病名が人名風に記されている。リストに挙げられている病名を見ると、並び順の根拠は不明であるが、流行が拡大しやすく、重症になりがちだったり、長引くと困るような病気で、人々の関心が高かったものがランクの上位に来ているようである。
 病名の中には、「黄疸(おうだん)」や「脚気(かっけ)」などのように、中国医学の病名、つまり当時の学名がそのまま日本でも使われているものもあれば、婦人病を俗に「血の道」と呼ぶなど、日本独自に命名された病名もある。
 「癪(しゃく)」や「疝気(せんき)」のように、現在の医学に照らし合わせると、いくつかの病気を総称して付けられた病名もある。「癪」は胸から腹のあたりに激痛が走る症状で、胃痙攣(けいれん)、胃痛、胆石症、急性膵炎をはじめ、心筋梗塞や滲出性肋膜炎(しんしゅつせいろくまくえん)も含まれたと考えられている。「疝気」は男性特有の下半身が痛む症状を指し、神経性腸炎、寄生虫症、筋肉痛、睾丸炎、脱腸(ヘルニア)が含まれたとされる。
 よく知られた病名で、病名ランキングの中に見当たらない病名には、「麻疹(ましん、はしか)」と「ガン」がある。「麻疹」は、江戸時代に猛威をふるった感染症であるが、この刷り物が製作された当時に流行していなかったか、リストの下方にある「あかがさ」を麻疹の別称とする説がある。
 「ガン(悪性新生物)」は、エックス線写真などの技術がなかった当時には、体内の様子がよくわからず、診断がつかなかった。例えば胃がんは胸・腹の痛む「癪」、食道がんは、リストにはないがむせんで胸がつかえる症状の「かくの病(膈噎;かくえつ)」、舌がんは舌のできものである「舌疽(ぜっそ)」の中に含まれていたのではないかと思われる。当時はがんで死亡する前に、感染症などで命を落とす方が多く、よく知られた病気ではなかったようである。なお、体外に症状が出やすい乳がんは、貞享3年(1686)刊行の『病名彙解(いかい)』(蘆川桂洲著)にも「癌」として記載があるが、このリストには記載はない。
 病名は、中国から伝わった医学書ごとに、また日本における漢方医学の流派によっても異なるものがある。さらに幕末から明治にかけては、ポルトガルやオランダ医学を翻訳したり、原音に当て字をして「コレラ」を「虎列剌」と書くようになった。このリストには「コレラ」やそのほか西洋医学的な病名がないところから、江戸時代でも幕末以前に製作されたと思われるが、製作年や製作者は判明していない。
 医療技術の不十分な江戸時代にあっては、病気にかかるということが現代よりもはるかに生死に直結する問題であったはずである。しかしリストを見ると、「眩暈之四郎倉々(めまいのしろうくらくら)」、「痢病苦労紙巻(りびょうくろうかみまき)」などと面白く命名されている病気も多い。生老病死に関しての一種のブラックユーモアは、川柳も含めて江戸時代の文化の特徴ともいえるが、このような病気のランキングが当時の人々にどのように受け取られていたのか、知りたいところである。

◇病薬道戯競 初編
  記載 病名 読み方 解説
1 大関  疱瘡之宮守人神王 疱瘡 ほうそう 疱瘡は現在の天然痘。
2 関脇  五疳之太夫灸敦雁 五疳 ごかん 疳の治療で灸をすえたら熱かった。
3 小結  悪疾兵衛壁湿 悪疾 あくしつ 悪疾は治りにくい病気のこと。
4 前頭  中風之進床二水 中風 ちゅうぶう 脳卒中は風邪(ふうじゃ)が侵入して起こると考えられた。
5 前頭  源太差込 しゃく 癪は胸に差し込むような痛みが起こる。
6 前頭  逆上之太郎血道 逆上 のぼせ のぼせは血の道(婦人病)の際起こると考えられた。
7 前頭  黄疸四郎蜆呑汁 黄疸 おうだん 黄疸にはシジミ汁がよいとされた。
8 前頭  之太郎痛胸  せき 咳がひどく、胸が痛む。
9 狂気治郎乱心 狂気 きょうき 精神疾患。
10 よう騒之守時政 よう ようちょう よう疔は、腫れ物のこと。
11 病目之判官切赤 病目 やむめ 病む目で目が赤い。
12 便毒之八郎踏出 便毒 べんどく 横根ともいい、性病等でそけい部のリンパ腺が腫れた症状のこと。
13 酒腹平生呑過 酒腹 さけはら 普段から酒の飲みすぎである。
14 鼻風引王丸 鼻風 はなかぜ 鼻風邪をひく。
15 天窓泥鰌白雲 白雲 しらくも しらくもは白癬(はくせん)と呼ばれる皮膚病のこと。
16 吐逆左衛門食傷 吐逆 とぎゃく 食あたりで吐き戻す。
17 雁瘡脛右衛門足病 雁瘡 がんそう、がんがさ 雁瘡は雁の来る時期に起きやすい慢性湿疹のこと。
18 五痔之十郎髪抜 五痔 ごじ 5種類の痔のこと。
19 溜飲隼人水吐 溜飲 りゅういん 溜飲は胸の辺りがつまるような症状のこと。
20 伊丹尻之允根布 根布 ねぶと 膿をもったできもので尻が痛む。
21 痢病苦労紙巻 痢病 りびょう 下痢でトイレの紙を巻くのに苦労する。
22 脹満太郎腹張 脹満 ちょうまん (ちょうまん=腹膜炎などで腹が膨張する症状)
23 小便近之助消渇 消渇 しょうかち 消渇は糖尿病のことで、トイレが近い。
24 慢驚風急変 慢驚風 まんきょうふう 脳膜炎のような症状の驚風が慢性化した。
25 早打片岡八郎 早打片 はやうちかた 早打片は肩の痛みを指すが、心臓病も含む。
26 之世伊之助壁土 むし 壁土を食べるのは寄生虫による異食症か。
27 小児陀々丸夏星 陀々 だだ こどもがだだをこねること。
28 渋利腹右衛門度々 渋利腹 しぶりはら しぶり腹は便意はあるが出にくい下痢で、たびたびトイレに行かなくてはならない。
29 火◆ほでりつ助火肥 - - <不明>
30 毛きハ関の太郎あやまち - - <不明>
31 なきづの三郎白◆ - - <不明>
32 あがきれいたミ口明 あがきれ あかぎれ アカギレが痛み、ぱっくりと口をあけた。
33 ひびの判官しミ升 ひび ひび ひびがしみる。
34 とり目なんしう夕くれ とり目 とりめ 鳥目で夕暮れは物がよく見えず、難渋する。
35 人面瘡治ひさめし 人面瘡 じんめんそう 人面瘡は人の顔に似た形のできもの。
36 うるしかぶれの介◆日 うるしかぶれ うるしかぶれ うるしにかぶれること。
37 物もらいのをみそこし 物もらい ものもらい ものもらいは麦粒腫のことで、まぶたにできる化膿性のできものである。
38 しやくり度々ニ右衛門 しやくり しゃっくり しゃっくりがたびたび出る。
39 はれ病の正水さし はれ病 はれびょう はれものに小便をかけたという意味か。
40 くさむらあかがさ あかがさ あかがさ 陰部の皮膚病か、麻疹か。

◇病薬道戯競 二編
  記載 病名 読み方 解説
1 大関  胎毒天皇 胎毒 たいどく 胎毒は乳児の湿疹で、江戸時代は疱瘡・麻疹の原因とも考えられていた。
2 関脇  卒中之前司胸閉 卒中 そっちゅう 脳卒中のこと。
3 小結  風邪之守平乗移 風邪 ふうじゃ、かぜ 風邪が人から人へうつること。
4 前頭  心痛納言虫歯転雁 虫歯 むしば 虫歯で七転八倒する。
5 前頭  癲癇六郎泡吹 癲癇 てんかん 癲癇の発作が起こる。
6 前頭  起利判官寒雁 起利=瘧 おこり 起利は瘧(おこり=マラリア)のことで、高熱のため寒気を感じる。
7 前頭  眩暈之四郎倉々 眩暈 めまい、げんうん 目が回ってクラクラする。
8 前頭  難儀六郎骨瘡 骨瘡 ほねがさ 性感染症の梅毒が骨にまわり、重症となる。
9 腹痛江直呑 腹痛 ふくつう、はらいた 腹痛のこと。
10 大便津貝浦長 大便津貝 だいべんつかえ 大便がつかえて出にくい。
11 下里腹之助浦行 下里腹 げりはら 下痢腹でトイレに通う。
12 嘔吐関之介灰吹 嘔吐 おうと 嘔吐すること。
13 大食茂無之輔 大食 たいしょく 大食いのこと。
14 盗汗柿五衛門 盗汗 ねあせ 盗汗=寝汗をかくこと。
15 麻痺治郎右衛門 麻痺 まひ 麻痺のこと。
16 十郎左衛門 たん 痰のこと。
17 頭痛之助鉢巻 頭痛 ずつう 頭痛時に痛みを和らげるために鉢巻をする。
18 癇症太郎腹立 癇症 かんしょう 癇症は神経過敏で怒りやすいこと。
19 水腫之太夫腹直 水腫 すいしゅ、みずばれ 水腫はむくみのこと。
20 血之道寒計之介 血之道 ちのみち 血の道は冷えや逆上せなどの婦人病を指す。
21 ◆湿十郎冷成 ◆湿 しつ しつ(梅毒)の症状か。
22 寝冷左衛門胸治 寝冷 ねびえ 寝冷えのこと。
23 食傷二郎吐直 食傷 しょくしょう、しょくあたり 食あたりで吐く。
24 霍乱太郎夏病 霍乱 かくらん 霍乱は日射病や急性腸カタルなど、夏季に起こりやすい病気。
25 踵之庄司魚之目 魚之目 うおのめ ウオノメ
26 曲足引右衛門風疾 風疾 ふうしつ 風疾は、風(ふう)という邪気が体内に入ることで、中風を指す。
27 落馬之助腰打 落馬 らくば 落馬して腰を打つ。
28 山江忘之助健忘 健忘 けんぼう 健忘症か。
29 吹◆◆◆◆◆◆◆◆ -   <不明>
30 はす次郎助穴直 -   <不明>
31 けぎれしたのを けぎれ けぎれ 陰部の毛が切れることで、江戸時代はこれを防ぐために軽石で処理をした。
32 がんがさぼり之介 がんがさ がんがさ 雁瘡をボリボリかく。
33 阿せものぜんしゆを治 阿せも あせも あせものこと。
34 わきがくさミの介 わきが わきが わきがは腋がくさい症状のこと。
35 釜元三介水虫 水虫 みずむし 水虫のこと。
36 しもやけの間かゆがり しもやけ しもやけ しもやけにかかってかゆい。
37 すはりたこ右衛門黒◆ すはりたこ すわりだこ 仕事などで座ったままのことが多いと、でん部などにたこができる。
38 そこしなのてとけ とけ とげ とげのこと。
39 そら手ぶら右衛門 手ぶら てぶら 手ぶらは脱臼のことか。
40 踏みぬきただきりし升 踏みぬき ふみぬき 釘などの踏み抜いて怪我をすること。

 Web企画展「病まざるものなし~日本人を苦しめた感染症・病気 そして医家~」

茹で卵の作り方

卵をゆでるだけの「ゆで卵」はとってもシンプルな基本の料理。人によっていろんな作り方があるけれど、結局どれが正しい作り方なのかは、意外に知りません。やっぱり失敗せずに、美味しく作りたい!

そこで、今さら聞けないゆで卵の作り方について、疑問に思っていたあれこれを、伊勢丹新宿店の料理のプロ・鈴木理繒シェフに教えてもらいました。記事の最後にゆで卵を使ったおかず「鶏肉とねぎのうま煮、半熟卵入り」のレシピもご紹介するので、お見逃しなく!

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Q:とろとろ卵、半熟卵、固ゆで卵を作る、時間の目安は?

「とろとろ卵」「半熟卵」「かたゆで卵」のゆで卵

右から時計回りに、「とろとろ卵」「半熟卵」「かたゆで卵」

A:卵は水からゆではじめ、鍋から火がはみ出さない程度の強火にし、プクプクと気泡が立って沸騰したら、中火にして時間を計ります。

◆水からゆでて沸騰後からのゆで時間
「とろとろ卵」……約5 分
「半熟卵」……7~8分
「かたゆで卵」……約9分

ただし、どんな鍋でゆでるか、メーカーごとの火力の違い、ガスかIHなど、家庭の環境によって微妙に変わるので、時間はあくまで目安です。

 

Q:卵は冷蔵庫から出して、すぐにゆでる?

ボウルに水と卵を入れて、たまごを常温にもどす

A:卵は常温に戻してからゆでるのがおすすめ。常温に戻すことで、卵の温度が水の温度と近くなり、ゆでる時間が短縮できるというわけです。

冷蔵庫から出したばかりなら、ボウルに水をはって卵を入れ、10分くらいおくといいでしょう。

 

Q:卵は水からゆでる? お湯からゆでる?

フライパンに卵を入れて水を注ぐ

A:卵は水からゆでるのがおすすめ。お湯に入れてゆでるよりも、水に卵を入れたほうが温度差があまりないので、ひび割れる心配が少なく、ゆでる時間が少し短くなります。

ゆでる水の量は卵の半分の高さくらいでもOKです。ただし水が少ないので、必ずふたをしてゆでてください。

 

Q:黄身を真ん中にするコツは?

沸騰するまで箸で卵を転がすと黄身が真ん中にくる。沸騰したらふたをする

A:水が沸騰するまで箸で卵を静かに転がすと、黄身が真ん中にきます。

卵の半量ほどの水でゆでる場合、沸騰したらふたをしてゆでましょう。

 

Q:卵の殻をツルンとむく方法は?

ボウルに氷をたくさん入れ、ゆで卵を冷やす

A:ゆで卵を急冷するのがコツ。ボウルに氷水を用意し、ゆであがった卵をすぐに取り出して、氷水につけてしっかり冷まします。

このとき、卵の殻にヒビを入れるとよりむきやすくなります。ゆでたては殻の中身が膨張しているので、急に冷水に入れるとキュッと締まり、殻との間に隙間ができてむきやすくなるのです。

ちなみに、新鮮な卵ほど殻がむきにくいです。

 

Q:ゆでている途中で、白身がはみ出さないようにするには?

酢を加えると白身がはみ出さない

A:ゆでる水に酢大さじ1くらいを入れてから、ゆでるといいでしょう。

お湯の中で卵がぶつかって卵の殻が割れることがありますが、酢はタンパク質を凝固させる力があるので、殻が割れても白身を湯に出さずに固めてくれます。

 

「教育勅語」の本文と意味





本文[編集]

(原文は「―顕彰スルニ足ラン」までと日付と署名捺印のみが分けられ全てつながっている)

惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩アレハ義勇ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶

明治二十三年十月三十日
御名御璽

現代語訳[編集]

多くの訳があるが、公的な根拠を持つ訳としては昭和15年(1940年)文部省内に設置された「聖訓ノ述義ニ関スル協議会」の報告で文部省図書局がした「教育に関する勅語の全文通釈」がある。研究者の間では「全文通釈」と呼ばれる[要出典]。(仮名遣い,ルビ,段落など原文のまま。)

 教育に関する勅語の全文通釈

朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をおはじめになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互にむつび合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘きずいきままの振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚あまつひつぎの御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

解説[編集]

難解であるため、解釈する人によって、複数の解釈が存在する。公式解釈としては、明治天皇の上覧を得た「官定解釈」と研究者に呼ばれる井上哲次郎の『勅語衍義(えんぎ)』(1891年)のほか、戦前の文部省が折々の時局に合わせて布告したもの、特に明治末期以降、戦前の全ての小学生が学んだ国定修身書の解釈が相当するとされるが、それらにおいてすら解釈に若干のぶれが存在する。

例えば、文部省発行の修身の国定教科書における「教育勅語」の解釈は、「第二期修身書」(1910年-)から「第五期修身書」(-1945年)においてはどの年度でもだいたい同じだが、「第四期修身書」では「一身をさゝげて」と解釈されている「一旦緩アレハ義勇ニ奉シ」の部分が、「第五期修身書」(『初等科修身』)では「命をささげて」と解釈されているなど、時局によっては小学生を相手にダイレクトな表現を使ったりするような細かい違いがある。なお、この部分は『勅語衍義』においては「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」とさらにダイレクトに解釈されている。

『尋常小学修身書 巻六』による解説[編集]

国定教科書による解釈を示すため、1939年に発行された『尋常小学修身書 巻六』の内容を以下に引用する[17]。本書では、「臣民」の一人である教科書の執筆者が、同じく「臣民」の一人である小学校6年生の読者に語り掛ける形式をとり、かつて勅語の発布時点では「皇祖皇宗」(皇室の祖先)の「子孫」であるところの「天皇」であったが、本書の発行時点では既に崩御して「皇祖皇宗」の一柱となっている「朕」こと明治天皇の言葉を逐語的に解説している。

教育に関する勅語は、明治二十三年十月三十日、明治天皇が我等臣民のしたがい守るべき道徳の大綱をお示しになるために下し賜わったものであります。

勅語を三段に分けてうかがい奉りますと、その第一段には、

惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

と仰せられてあります。

この一段には、まず皇室の御祖先が我が国をおはじめになるにあたって、その規模がまことに広大で、かついつまでも動かないようになされたこと、御祖先はまた御身をお修めになり、臣民をおいつくしみになって、万世に渡って御手本をおのこしになったことを仰せられ、次に、臣民は君に忠を尽くし親に孝を尽すことを心掛け、臣民すべてが皆心を一つにして、代々忠孝の美風を全うして来たことを仰せられてあります。終に以上のことが我が国体の純美なところであり、我が国の教育の基づく所もまたここにあることを仰せられてあります。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十五
勅語の第二段には、

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩アレハ義勇ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

と仰せられてあります。

この一段には、始に天皇が我等臣民に対して爾臣民と親しくお呼びかけになり、我等が常に守るべき道をおさとしになって居ります。

その御趣旨によると、我等臣民たるものは父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に分を守ってむつまじくし、朋友には信義をもって交わらなければならなりません。誰に対しても身を慎んで無礼の挙動なく、常に自分を引きしめて気ままにせず、しかも博く世間の人に仁愛を及ぼすことが大切であります。また学問を修め業務を習って、知識才能を進め、徳ある有為の人となり、進んでこの智徳を活用して、公共の利益を増進し、世間に有用な業務を興すことが大切であります。また常に皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ、その他の法令を守り、もし国に事変が起こったら、勇気を奮い一身をささげて、君国のために尽くさなければならなりません。かようにして天地と共に窮りない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等臣民の務であります。

なお以上の道をよく実行する者は、陛下の忠良な臣民であるばかりでなく、我等の祖先がのこした美風を表す者であることをおさとしになって居ります。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十六
勅語の第三段には、

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶

と仰せられてあります。

この一段には、前の第二段におさとしになった道は、明治天皇が新たにおきめになったものではなく、実に皇祖皇宗がおのこしになった御教訓であって、皇祖皇宗の御子孫も一般の臣民も共に守るべきものであること、またこの道はいにしえも今も変りがなく、かつ国の内外を問わずどこでも行われ得るものであることを仰せられてあります。最後に、かしこくも天皇は御みづから我等臣民と共にこの御遺訓をお守りになり、それを御実行になって、皆徳を同じくしようと仰せられてあります。

以上は明治天皇のお下しになった教育に関する勅語の大意であります。この勅語にお示しになっている道は、我等臣民の永遠に守るべきものであります。我等は至誠を以て、日夜この勅語の御趣意を奉体しなければなりません。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十七