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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ロリ・ペドについての定義

私はロリコンとペドフィリアは区別していたが、ペドフィリアは「実行に及んだ犯罪者」だと思っていた。「チャイルドマレスター」は初耳(「マレスター」の英語の綴りが分からない)だが、下の「定義」は信用できるのだろうか。特に「13歳以下」という数字は確かなのか。
ついでに言えば、「ロリコン」の元になった「ロリータ」を読んだ印象だと、ロリータという少女は日本だと中学生から高校生という感じを受けた。世間の「ロリコン」は小学生まで入る印象なので、ペドフィリアと重なるのではないか。つまり、こうした「数字」にはさほど意味は無く、「法的に性交が許されない年齢の女性に性的欲望を抱くこと」という定義が「ロリコン」「ペドフィリア」両者に共通するかと思う。つまり、区別する意味はあまりないと思う。まあ、議論好きな連中が勝手に定義しているだけだろう。

(追記)molesterという綴りを「マレスター」とカタカナ表記しているのでは、カタカナから原語を想像するのは難しい。これは英語の綴り自体の問題(G・B・ショーが痛烈に批判していた)だが、日本語(外来語)のカタカナ表記の問題でもある。

チャイルド・マレスター (child molester) は、子供にみだらなことをする人間のことを指す用語。日本語では児童性虐待者または小児性犯罪者などと訳される。ペドフィリアが医学的用語として多く用いられるのに対し、こちらは犯罪分析によく用いられる用語である。チャイルド・マレスターが複数の子どもを性的に虐待している状況をセックス・リングsex ring)と呼ぶ。


(以下引用)

ロリコンは定義不明の俗語。 ペドフィリアは通常13歳以下の幼児や小児を対象とした性愛・性的嗜好のことです。 それ自体は別に犯罪ではありません。 小児性犯罪者はチャイルドマレスターと呼ばれペドフィリアとは全く別の概念です。 そこを取り違えるのはとても差別的です。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81
引用ツイート
Yuki Matsuzaki 松崎悠希
@Yuki_Mats
·
返信先: @nutty_6さん, @hitoshinkaさん
ロリコンとペドフィリアは同じ意味です。そしてそのような犯罪行為とマイノリティを同一視するのはあまりにも差別的です。マイノリティであることは犯罪行為ではなく、「フツー」です。だから「フツー」に作品に登場すべきだ、とずっと主張しています。一度スレッドを読まれた宜しいかと。
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男の「恋愛」と女の恋愛

町山智弘のツィートだが、私は昔のフランス映画を見て、ラブシーンの長さ(セックスシーンが公認されていない時代だったから、愛の告白(口説き)シーンが延々と続くのである。)に実に辟易したのだが、それと対照的事象として思い出したのが、昔の確か少年チャンピオンに一時期連載され、二作目以降は聞いたことがない、「消えた漫画家」による「ふられ竜之介」という漫画で、その主人公は「美しき生徒会長」に恋しているのだが、オナニーした後でその生徒会長を見ると、電波障害のテレビ画面のような容貌にしか見えない、というシーンがあり、これは「男の恋愛」の深層を突いているなあ、と思ったものである。つまり、「射精したら終わり」が男の「恋愛」の常態、あるいは本質だろう。ちなみに、この漫画には「美しき不良少女」というセリフも出てきて、少年漫画の「パターン」をパターンとして認識できる鋭い頭脳の作者だったと思う。そのまま続けていたら、ゆうきまさみレベルの地位に達したのではないか。

なお、私には、女性の恋愛の本質が分からない。「女性は自分を愛してくれる(言い寄る)男性を好きになる」というのが本質ではないか、と思う。まあ、それ以前にビジュアルの問題はあるだろう。そして、「暴力的な(強引な)男を好きになる」というパターンもかなり多いと思う。
いずれにしても、恋愛の本質はかなりいい加減なもので、従って「つらい結果を迎える」のは当たり前なのではないか。逆に言えば「遊びとしての恋愛」が一番安全だろうが、それは「恋愛教信者」には汚らしい感じも伴うだろう。当然、性病と二人三脚だ。



(以下引用)

kei-zuさんのレビュー「つらい結果を迎えることがあっても、人はなぜ恋をするのだろう。本書のあとがきに掲載された著書の所感がすばらしい。 私は、紹介された映画のほとんどをみていませんが、著書の映画語りをたっぷり楽しむことができました(・∀・)」

女系天皇の問題点とは何か

右翼作家の門田隆将の書いた記事だが、「女系天皇の何が問題なのか」という疑問に明確に説明している。まあ、天皇家の「万世一系」も神武天皇の実在も怪しいものだが、その両者が事実であると仮定するなら、なるほど「女系天皇」だと「皇統」は絶えることになる可能性が高い。
ちなみに、私は「尊皇主義」だが、万世一系も神武天皇の実在もどうでもいいと思っている。「日本には天皇が存在する」ということだけで、日本の政治は「民主主義の危険性」、つまり「民意に基づく独裁者の出現」という危険性を回避できる、と考えるからである。まあ、一種の「天皇機関説」である。「天皇機関説」は昭和天皇も「それでいいではないか」と言っていたという。天皇のほうが右翼より思想のバランスが良かったということだろう。

(以下引用)

なぜ「女系天皇」は皇室を潰すのか 「皇室そのものの正当性の根拠は消え…内側から解体されていく」との見方も 門田隆将氏特別寄稿

産経新聞
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門田隆将氏1/1枚 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまのご婚約をめぐる最近のメディア報道の過熱ぶりを見ると、改めて、「日本国民の誰にとっても皇室は、敬愛すべき存在であってほしいと願う気高きものなのだ」と気付かされる。これまで「男系」だけで世界に類を見ない長い歴史を紡いできた中で、「女系天皇」を認めてしまえば皇室はどうなるのか。人気作家でジャーナリストの門田隆将氏が、女系天皇の危うさについて緊急寄稿、警鐘を鳴らした。

<< 下に続く >>

 4月8日、安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の第2回会合が官邸で開かれた。

 ここでは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や八木秀次麗澤大教授をはじめ、皇室や男系継承の意味を深く理解している方々が意見を陳述したので、まずは安堵(あんど)した。

 だが、私はそもそも「安定的な皇位継承の在り方を検討する」との会議の趣旨に首を傾(かし)げている。男系の正統な継承者・悠仁さまがいらっしゃるのに、なぜそんな会議が必要なのか疑問だからだ。

 悠仁さまご誕生前に議論されていた「安定的な皇位継承」そして「女系天皇」が、親王ご誕生で消えたはずなのに、なぜ令和の御代(みよ)が来ても必要なのか、ということだ。

 男系は皇統唯一のルールである。代々の天皇は父方を遡(さかのぼ)っていくと神武天皇に辿(たど)り着く。これが皇統だ。歴史上、8人10代の女性の天皇も、いずれも父方に天皇、もしくは皇太子らを持つ男系天皇だ。つまり、父方を遡っても神武天皇に辿り着かない「女系天皇」は1人も存在しない。

 このたった1つのルールによって日本は「世界最古の国」となった。エジプトも、中国も、国家の興亡がくり返され、その度に新しい独裁者が生まれた。だが、日本は違う。昔も今も日本であり、いつの間にか世界最古の国となった。天皇は令和の今も脈々と続いている。

 その理由こそ男系にある。父系を辿れば神武天皇に辿り着く皇統は時の独裁者にも覆せない。平家や源氏、あるいは足利、織田、豊臣、徳川…どの時代の権力者も天皇になり代わることはできず、せいぜい娘を天皇に嫁がせ、外戚として振る舞うことしかできなかった。

 これは「権威」と「権力」を分離した先人の智慧(ちえ)による。6世紀に武烈天皇が後嗣(こうし)を残さず崩御した際、5代上の応神天皇まで遡り、越(こし)の国から5代孫の継体天皇を即位させた。

 江戸時代には、3宮家では皇位が危ないと感じた新井白石が東山天皇の6男の直仁親王に閑院宮家を創設させた。懸念は現実となり、白石の死後70年を経て、後桃園天皇が後嗣を残さず崩御。その際、閑院宮家から光格天皇が即位し、皇統が維持されたのである。

 どの国でも、権力と権威は一致している。独裁者は常に両方を持っており、国が滅ぼされれば新たな独裁者が生まれる。だが、日本は天皇の存在によって「国が変わること」は1度もなかった。

 悠仁さまご誕生によって、男系は維持されることになった。しかし、「安定的な継承」のために女系天皇を認めようという不遜(ふそん)な動きが起こった。悠仁さま廃嫡論だ。

 共産党の理論的支柱・奥平康弘東大教授が雑誌『世界』の2004(平成16)年8月号に寄稿した論文にヒントがある。

 女系天皇は〈天皇制のそもそもの正当性根拠であるところの『萬世一系』イデオロギーを内において浸蝕(しんしょく)する〉と記したのだ。正統性が消えた天皇はやがて滅ぶとの見解である。

 なぜ女系天皇になれば皇室は滅ぶのか。女性天皇が結婚され、生まれたお子さまが即位すれば女系天皇だ。どこの血筋の人かわからないが、いずれにしても父方を遡っても神武天皇に辿り着かない。つまり正統性なき天皇である。萬世(ばんせい)一系の皇統が途絶すれば、皇室そのものの正当性の根拠は消え、内側から解体されていくと奥平氏は分析している。

 仮に国際結婚で父親が中国人なら中国系になり、韓国人なら韓国系になる。それが女系天皇だ。皇統と関係のない天皇が続いた場合、やがて皇室は消え去るという見方だ。

 確かに、長く天皇制打倒を掲げてきた共産党は19(令和元)年6月、志位和夫委員長が「赤旗」で女系天皇容認を打ち出し、立憲民主党も追随。朝日新聞や毎日新聞がこれを評価した。面子を見れば「何のために?」ということが分かる。

 男系では、母親が昭和天皇の長女、祖母は明治天皇の第9皇女という東久邇家には、今も男系継承者が何人もいる。皇室典範を改正し、皇族が養子を迎えることができるようになれば皇統は何の心配もないのである。

 有識者会議の人々がどういう国家観を持ち、知識と常識を備えているのか。私はそのことに限りない関心を抱くのである。

 ■門田隆将(かどた・りゅうしょう) 作家・ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。元「週刊新潮」デスク。歴史、司法、事件、スポーツなど、幅広いジャンルで活躍する。『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)、『疫病2020』(産経新聞出版)など、ベストセラー多数。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で山本七平賞受賞。最新刊は『新・階級闘争論』(ワックBUNKO)。

天皇の存在意義

カマヤンがリツィートしたものの転載なので、カマヤンもこのツィートに同意見だということだろう。ただ、自分の意見を書かないでリツィートだけするというのは危険な態度で、そのコメントのどこに同意しているのか、それとも全体に同意しているのかが分からない。
議論をするなら、それぞれの意見の細部をすべてきちんと検討するのが当然で、このあたりのいい加減さがツィッターというSNSの粗雑さ、あるいは使い方の難しさだ。
ここでは使われていないが、「天皇制」という言葉もかなりいい加減に使われている。「天皇が国家主権者である」政治制度を天皇制とするなら、現在の日本は明らかに天皇制ではない。
では、「天皇の存在を肯定すること」は「天皇制」なのか。下のツィートのように「天皇、あるいは皇族を一般人とする」ことが天皇制の廃止なのか。天皇や皇族を現状のままで存在させることの何が問題なのか。
2000年近い天皇の歴史を我々の(一時の)世代で廃止することに何の意義やメリットがあるのだろうか。単に、「あいつらは働きもしないで暮らしている」という批判なら、「生活保護受給者嫌悪」と同列ではないか。もちろん、その嫌悪は天皇や皇族の「国事行為」は「働く」範疇に入らない、といういい加減な判断によるものだ。海外からの賓客を迎える我が国の代表として、歴史ある天皇家が立つことに、私は大きな意義があると思っている。つまり、天皇は存在すること自体に存在意義がある、というのが私の考えだ。天皇の存在しない我が国はただの衰退が確定した資本主義国家のひとつにすぎない。文化と自然以外には誇れるものなど無いのだ。その文化とは伝統とほぼイコールである。過去の文化からまったく独立した文化など存在しない。
まあ、「天皇とは礼服のようなものだ」と思えばいい。普段着としては着ないが、それが無いといざという時に恥をかくという、そういう飾りである。そういう伝統があってもいいではないか。
先の戦争での天皇の戦争責任は当然あるが、そのころの天皇制、つまり「国家主権者として天皇が存在する」という国家制度は消えている。では、現在の象徴天皇制を否定する根拠は何なのだろうか。

(以下引用)

Shin Hori
@ShinHori1
「天皇は最高の神主であり祭祀が仕事」とか「神武天皇や神話を科学で論じるのは、キリスト教やムスリムの信仰を科学で論じるのと同じで無意味」という人もいますが、本気で信仰論や宗教論に持ち込むなら、皇室は神道の宗教法人にして国家から完全分離し、法的には皇族は一般人とするしかないでしょう

「書」の上手下手

書道(書)における「下手」の定義にもよるが、私のように一本の線を歪まずに書くことも不可能なレベルの悪筆には、「よくこんなに真っ直ぐな線が書けるなあ」と感心するところもある。
だが、字の連携や全体のバランスなど、粗が目立つし、「味わいが無い」という点では、筆で書く意味も無いレベルではあると思う。
活字を拡大コピーしたもので板に「下書き」をして字の枠を作って、その枠を墨で埋めたのかもしれない。

(以下引用)ツィートしているのは漫画家のとり・みきである。「書く(描く)」ことのプロだけに書にも厳しい目があるのだろう。平田弘史が書の達人だったのは有名。

誰が書いたのか知らないがこれは下手だ。賛成反対関係なく下手だ。
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