言葉の係り受けを意識しないことから来る悪文
下に引用したのは、あるスレッドのタイトルだが、これを読んだ人の10人に9人くらいは「ゲームなんて価値がない」と言ったのは「有名ゲームクリエイター」だろうと思ってスレッドを読むのではないか。
これは文章を書く時にやりがちなミスで、「言葉の係り受け」が曖昧だと誤読の危険性があることを意識していないからこうなる。
書いている当人は「AのBに対しての言葉」と書いたのだから、「Bに対するAの言葉」と読まれるだろうと思ったのだろうが、B自体が或る発言内容なのだから、「AのB(という発言)に対する或る人の言葉」と読み手は思うわけである。
つまり、修飾語は直後の語句を修飾することが多いので、読み手は「有名ゲームクリエイターさんの」は「ゲームなんて価値がない」に係ってくると自然に判断するわけだ。それが、「有名ゲームクリエイターさんの~に対する言葉」という離れた語句への修飾関係だ、とするのは読み手の生理に反しているということである。
有名ゲームクリエイターさんの「ゲームなんて価値がない」に対しての言葉が素晴らしいと共感の声続出
これは文章を書く時にやりがちなミスで、「言葉の係り受け」が曖昧だと誤読の危険性があることを意識していないからこうなる。
書いている当人は「AのBに対しての言葉」と書いたのだから、「Bに対するAの言葉」と読まれるだろうと思ったのだろうが、B自体が或る発言内容なのだから、「AのB(という発言)に対する或る人の言葉」と読み手は思うわけである。
つまり、修飾語は直後の語句を修飾することが多いので、読み手は「有名ゲームクリエイターさんの」は「ゲームなんて価値がない」に係ってくると自然に判断するわけだ。それが、「有名ゲームクリエイターさんの~に対する言葉」という離れた語句への修飾関係だ、とするのは読み手の生理に反しているということである。
有名ゲームクリエイターさんの「ゲームなんて価値がない」に対しての言葉が素晴らしいと共感の声続出
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