これは愚問か良問か
唐沢よしこのツィートだが、この算数の問題は非常にいい問題だと思う。(作った人間がただの馬鹿だった可能性は非常に高いとは思うがwww)
第一に、「教科書やテストに書かれたことはすべて正しいと思うな」ということを教える。そして、テストがそういうものである以上、テストの成績や学校の成績だけで人間の価値を測ってはならないことを教える。
第二に、「答えの出せない問題がある」ことを教える。
第三に、「統計的数字(あるいは情報における数字。この場合は35人とか17人という数字。)は、前提が不明確だと意味がない」ことを教える。
たとえば、この問題を「このクラスの生徒にはカレーの好きな生徒と揚げパンの好きな生徒がいます。カレーを好きな生徒は17人です。では、揚げパンの好きな生徒は何人ですか」とすると、騙されて18人と答える生徒が続出するだろう。実際はカレーも揚げパンも好きな生徒はいるはずだが、問題が真面目そうな聞き方をすると、「ああ、両方好きな生徒はいないとして考えるんだな」と生徒は勝手に自分で補足するのである。
こうした「補足機能」は人間の脳の特徴であり、場合によっては「合理性の呪い」と言えるだろう。
早い段階で以上のような事実に気が付くのは大きな「人生のガイド」になると思う。
(以下引用)
さんすうの文章題で 「このクラスは35人います。給食のカレーライスが好きな生徒は17人でした。あげパンが好きな生徒は何人でしょう」 ってのもあって、これは答えがわかんなすぎると思いました
第一に、「教科書やテストに書かれたことはすべて正しいと思うな」ということを教える。そして、テストがそういうものである以上、テストの成績や学校の成績だけで人間の価値を測ってはならないことを教える。
第二に、「答えの出せない問題がある」ことを教える。
第三に、「統計的数字(あるいは情報における数字。この場合は35人とか17人という数字。)は、前提が不明確だと意味がない」ことを教える。
たとえば、この問題を「このクラスの生徒にはカレーの好きな生徒と揚げパンの好きな生徒がいます。カレーを好きな生徒は17人です。では、揚げパンの好きな生徒は何人ですか」とすると、騙されて18人と答える生徒が続出するだろう。実際はカレーも揚げパンも好きな生徒はいるはずだが、問題が真面目そうな聞き方をすると、「ああ、両方好きな生徒はいないとして考えるんだな」と生徒は勝手に自分で補足するのである。
こうした「補足機能」は人間の脳の特徴であり、場合によっては「合理性の呪い」と言えるだろう。
早い段階で以上のような事実に気が付くのは大きな「人生のガイド」になると思う。
(以下引用)
さんすうの文章題で 「このクラスは35人います。給食のカレーライスが好きな生徒は17人でした。あげパンが好きな生徒は何人でしょう」 ってのもあって、これは答えがわかんなすぎると思いました
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