「はんなり」の新説
他府県の人が聞いたら、「はんなりは柔らかな感じ」「ほっこりはホッとした感じ」、あるいは「ほっこりは温かい焼き芋のイメージ」くらいになるのではないか。確か「美味しんぼ」で「ほっこり」をそういう感じの擬態語として使っていた記憶がある。
「はんなり」は「華なり」「花なり」から来ているという説が定説化しているが、実際に京都の人が「はんなり」を「上品ではなやかなさま」として使っているから、そういう説が有力視されているのだろう。しかし、「はな」を「はん」と訛ることや、断定や伝聞の助動詞「なり」の後にさらに「はんなりした」のように「した」を付けることは不自然ではないか。
語源面では「花なり(華なり)」説は、まだ定説にするべきではないと思う。
しかし、「はんなり」が上品ではなやかなさま、明るくはなやかで上品なさま、とされるなら、食物の味にまで「はんなり」を使うのは不自然だとは誰も思わないのだろうか。そもそも、京都の人は昔から食物の味にも「はんなり」を本当に使っていたのか、疑問である。
試みに「はん」を漢字転換してみると、良い意味の漢字はあまり無いのである。そこで、無理やりに新説をでっちあげると、「半成り」「半生り」が語源で、満開直前の花の様、その美しさを意味する、という説はどうか。咲き誇る絢爛豪華な花ではなく、その直前、というところが上品なのである。
(以下引用)
「はんなり」は「華なり」「花なり」から来ているという説が定説化しているが、実際に京都の人が「はんなり」を「上品ではなやかなさま」として使っているから、そういう説が有力視されているのだろう。しかし、「はな」を「はん」と訛ることや、断定や伝聞の助動詞「なり」の後にさらに「はんなりした」のように「した」を付けることは不自然ではないか。
語源面では「花なり(華なり)」説は、まだ定説にするべきではないと思う。
しかし、「はんなり」が上品ではなやかなさま、明るくはなやかで上品なさま、とされるなら、食物の味にまで「はんなり」を使うのは不自然だとは誰も思わないのだろうか。そもそも、京都の人は昔から食物の味にも「はんなり」を本当に使っていたのか、疑問である。
試みに「はん」を漢字転換してみると、良い意味の漢字はあまり無いのである。そこで、無理やりに新説をでっちあげると、「半成り」「半生り」が語源で、満開直前の花の様、その美しさを意味する、という説はどうか。咲き誇る絢爛豪華な花ではなく、その直前、というところが上品なのである。
(以下引用)
こんにちは。ココロ社です。
「はんなり」は柔らかな感じ、「ほっこり」はホッとする感じ...と思いがちで、通じればいいと思うのですが、たまーに「それ違うで!」って言う人がいますよね。そうつっこまれたときに「本当の意味、知ってるけど...別に今の用法でいいんじゃない?」とスマートに言い返すために、本来の用法を覚えておくとお得です。
- はんなり→上品ではなやかなさまを表す表現
- ほっこり→肯定的に疲れたようすを表す表現
もちろん憎からず思っている人に得意顔で「ほっこり、って、本当は違う意味なんだよ」と言われたら、上記の話は忘れて「そうなんだ~!本当はどういう意味なの?」と聞いてみるべきですが。
(ココロ社)
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