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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

絵の描き手にとっての抽象絵画の魅力

昨年の9月ころから今年の2月くらいまで、絵を描くことをわりと楽しんでいたのだが、一度中断するとなかなか再開する気になれなくて、そのままにしている。しかし、描きたいものはだいたい描いたと思うので満足している。
描いたのはほとんどが抽象画で、殴り描きに近い。絵筆ではなく、掃除用のブラシなどを使ったりした。具象画は、人物画を少し描いただけで、風景画は、真似事程度である。私には「具象物を細密に正確に描く能力」がほとんど無いので、描いても満足感が無い。で、言い訳になるが、実在する物を細密に正確に描くなら、写真で十分じゃないか、と思うのである。腕前は見事だと思っても、その手の作品が美しいとか魅力があると思ったことはほとんど無い。しかし、世間で「絵が上手い」と思われているのは、そういう「スーパーリアリズム」の絵なのである。
抽象画となると、「意味不明」「作者の自己満足」「インチキ絵画」という評価になると思う。口に出さなくてもそう思っている人は多いはずだ。なぜなら私もそう思っていたからだ。
だが、自分で描いてみると、ある色を使ったその横にどういう色を置くかで「色の魅力」が変わるし、ある図形の横にどういう図形を置くかで「形の魅力」が変わるのである。これは、描いた本人だけが感じていて、他人には伝わらないかもしれないが、絵を描く動機としては十分だ。
つまり抽象絵画とは何よりも「色の魅力」「図形の魅力」だということだ。
もちろん、キリコなどのように神秘的な絵も魅力的だし、絵にはいろいろな魅力があるだろうが、抽象図形や色を並べただけの絵も魅力があるのである。
念のために言うが、「きれいな色」だけが絵の色の魅力ではない。たとえば、私は暗い緑色と灰色と茶色だけで墓場らしき場所の絵を描いたのだが、これは私のお気に入りのひとつである。最初から墓場を描くつもりだったのではなく、描いているうちに、それっぽくなったのだが、墓石ごとの微妙な色合いの違いと、同じような墓石が並ぶことの調和、リズムが気に入ったわけだ。ついでに言えば、子供のころから私は「第三の男」のラストシーンの構図が大好きで、この墓石群の並び方も、あの遠近法構図になっている。
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