武井壮の運動論
前半で語っている内容は運動論(スポーツ教育論)として、非常に的を射た思想だと思う。
(以下引用)
タレントの枠を超えた、独自のスポーツ理論で今なおさまざまなことに挑戦し続けている武井壮さんは、どのようにして現在のセオリーを作り上げていったのか。独自のスポーツ理論、トレーニング方法が誕生した秘話をはじめ、成功と挑戦し続ける武井さんの「体の使い方」とはどのようなものだろうか――。
(インタビュー=岩本義弘[『REAL SPORTS』編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真=大木雄介
頭で思ったとおり実践できる体と脳の関係をつくることから始める
――これまで陸上・十種競技やゴルフ、野球などさまざまな競技にチャレンジできたのは自分の体を思いどおりに動かすことに対する基本ができているからですか?
武井:そうですね。僕がトレーニングしてきた内容というのは、決して何かの競技のためにフィジカルを伸ばしたわけじゃなくて、頭で思ったことをそのとおり実践できる体と脳の関係をつくるというところをベースにトレーニングしていたので、だいたいの映像を見れば同じような形で動くことはできるんです。さらにその中でどの向きに力が入っているかとか、どんな種類の力をどれぐらいのスピードで、どれくらい時間をかけるかという、力の内容が必要になる。形と力の内容が一緒になった時に初めて運動は同じクオリティを持つものになるので、その2つにフォーカスすれば、僕はすべての運動ができると思っていて。とにかくその2つを小学校5年生からずっと本当に自分の体で実践して、研究して試行錯誤を繰り返して、見たものをそのままトレースできるような能力と知識を貯め込んでいたので、大学生になって十種競技をやる時も競技の複雑さが高くなればなるほど自分が有利だというのは分かっていました。みんながたくさん技術練習しなきゃいけない競技というのは僕が一番有利なんです。まねをすれば技術練習はあまりいらないから。
――武井さんはどのようにして思ったように体を動かせるようになったんですか?
武井:非常に複雑な方法なので、簡単にお伝えできるものではないのですが、形と力の2つについて少しお話しすると、まず、ルールや何かしなきゃいけないという思いが頭にない状態で、1つだけのテーマを自分の体に与えてできるのかどうかっていうのを試してみたんです。
まず最初は、皆さんもご存じかと思いますけど、目をつむって自分の腕を真横に、地面と水平にできるのかを試したら、地面と平行より少し上に上がっちゃうんです。僕はこれを見た時に、「いや、とんでもない状況になっているな」と。誰からも邪魔されず、動作も運動もせずただ腕を真横に上げる、っていう作業を僕は正確にできないんだと。自分の体を誰にも邪魔されずに、この形にしなさいということができないんだから、この状態でスポーツの練習を100万回やったって上達するわけないと感じました。
要は、「思ってないことをしちゃう体で、思ったことをやろうとしている」わけじゃないですか。これってスポーツがうまくいくわけないんです。その(自分の体を思ったとおりに動かせない)状態でスポーツをやると何が起きるかというと、すごくうまいのにミスをする。あと、上達してすごくレベルが高い選手になっているのに、第三者に指導を受けて、よし技術変えてみようって変えた途端に、素人のように上手くいかない事がある。
例えば、バットを振るとか、サッカーボールを蹴るとか、グローブでボールを取るとか、ピッチングでボールを投げられるとかという1個の技術に関しては非常に精度の高い状態になっているんだけど、それは運動能力が高いわけでも、うまく動けているわけでも何でもなくて。反復して機能が高まって、技術の幅が狭くなっているだけで、決して思ったとおりのことができているわけじゃないんです。
もしそこで、思ったとおりのことができているとすれば、リフティングをやってもすぐできるはずだし、バスケのシュートを打っても入るはず。ほかの競技にもその能力をすぐに落とし込めるはずなんですよ。でも、野球選手がサッカーをやったら素人みたいになっちゃったり、陸上をやったら足が遅かったりするのは、運動の内容が分かってない証拠です。その運動に対しては練習してないからできない、素人に戻ってしまうということなんです。
――そうですね。
武井:だから、自分の体を思ったとおりに動かせてないのにスポーツのクオリティが高いというのは非常に危険な状態。だけど日本のスポーツはそこを重要視する。逆に、自分の体だけは思ったとおりに動かせる、自分の体の形、自分が出したい力は思いどおりに操れる能力が先にあってスポーツを練習すると、言ってしまえば練習をしようがしまいがある程度はできるわけです。なので、まず技術練習にかける時間を短縮できて、体の疲労と損傷を少なくすることができる。だから、フィジカルトレーニングに時間を多く割くことができるし、技術練習に時間を取られないので体の回復も早く、筋肉を傷めても早く治るのでほかの人よりも早く強くなる。そういうベースができるので、後からスポーツを始めても追いつくだろうと思って始められるということなんです。
だから皆さんも、まずは自分の体を試してみてください。例えば、立って目をつむったまま太ももを地面と水平となるところまで上げてみて、水平の位置で止められるのか。すごく難しいですよ、みんな生きている上でそんなこと気にしたこともないから。でもスポーツの時は思いどおりプレーしたいなんて叶うわけがない。
――なるほど、確かにそうですね。
自分の体を研究して、自分よりもよく知ろうとする人はいない
武井:まずは、「自分の体のパーツを思った角度に思った場所に置く」という練習を、小学校5年生の時から、5年間ぐらいは毎日いろいろな写真とか映像をストップしたアスリートの形を見て行いました。例えば腕の場所が1個分かると、その少し上下左右も分かるようになる。ラインが分かるとエリアになるんですよ。「このエリアはコントロールできる」という能力が育つので、そのようにして自分の体でできることの基準を1個ずつ増やしていくんです。それがまず僕がスポーツにおいてアプローチをかけた「自分の体の動かし方」っていう、スポーツの前にやらなきゃいけないこと、これが僕の運動能力の原点だと思います。
――小学校5年生の武井さんが、それを誰にも教わらずに気付いたのがすごいですよね。
武井:そうですね。誰にも教わらなかったからこそ気付けたと思っています。やっぱり、コーチ、監督、指導者、学校の先生にしても、自分より勉強している人はいないと思っていたので。自分の体を自分よりも研究して、自分よりもよく知ろうと思って動かしている人はいないし、運動というものを、本気で理解するために学ぼうと思っている人、ぶっちゃけそんなにいないですよ。だから指導者や先生というような人に習うと、その人のレベルで教えられてしまう。
日本には小学校、中学校、高校、大学って何万校もあって、しかもスポーツもいっぱい競技があるから、1競技で何万人も指導者がいるんですよ。じゃあ、スポーツ選手として上から1万人目の選手のスポーツ理論なんて誰も聞こうと思わないですよね?指導者も全く同じで、1位がいれば1万位もいるわけで。すごい傲慢な言い方ですけど、そういう人に意見を聞くこと自体、僕はなるべくしないようにと当時から決めていました。もし、そのスポーツに卓越していて本当に正しい技術を持っていて、能力を育てられる理論を持っている人だったら、ここにはいないはずだと思っていたんですよね。
――確かに。そういった人が実際にいたら、学生時代を含めて、武井さんを教えるポジションにいませんよね。
武井:はい。確実にいないんですよ。本当に正しいことが分かっていて、世界のトップクラス、もしくは日本のトップクラスの技術と経験を持って、知識を言語化できる指導者なんていう人は必ずそれに見合うポジションにいます。もしくは、人にものを教えるということを必要としないぐらいのお仕事をもう手に入れているはずです。例えば、著名になって解説をやっていたり、自分が有名になって指導の仕事をしなくてもいい人が多い。本当に正しいことを教えられる人は、東京の葛飾区のしがない一つの小さい町で運動している子どもの僕へ声を掛けてくるはずがないと思っていたので。
だから、僕は人にスポーツのことは絶対聞かない。誰よりもスポーツのことを勉強して、自分で今までスポーツをやった人の誰よりも早く成長して、誰よりも幅広い能力を持って、誰よりもたくさんのスポーツを早く、人生で一番長くプレーできる個体になろうと思っていたので。当然、一つのスポーツのプロになるっていう選択肢を望んだ時期はありましたが、それよりも80年ぐらい生きる中で10何歳でそれに気付いたんだったら、あと70年間ずっと大好きなスポーツで楽しく遊んで、そこそこの成績を残して、一生勝負できて、スポーツで遊ぶこと自体を自分のビジネスにしたいと思っていました。だから、そのほとんどのタスクは今成功していると思っています。
疑問に思っていたことを全部1個ずつ潰していった
――そういった考えでスポーツへのアプローチができるようになったのは、小学生の頃に何かきっかけがあったのですか?
武井:最初のきっかけは運動会の徒競走。小学校2年生の時に初めて負けそうになって。「うわー、ヤバい、負けちゃう」と。それが嫌だったので、3年生の時には勝ちたいなと思い、走るということをちゃんと勉強しようと考えました。走り方が下手なのかもしれないから、オリンピックとかを見てみたら、10秒0とかで走る選手がいて。
そういう選手たちの走りを見ると速いしダイナミックだし、自分と全然違うから、どうやったらこういう走りができるのかなと考えた時に、体育大学に通っていたお兄さんのところに行って。「走るのが速くなりたいんだけどどうしたらいいの?」と聞きに行きました。彼も普通の大学生だから答えは知らないだろうけど、一番体育を勉強してるはずだと。すると、大学1年生の時に使った教科書を全部僕にくれて、「これを読んだらいいよ」と。
その時、僕はストップウォッチを持って学校まで走って行ってタイムを取るのを日課にしていたんですが、そのタイムがあまり変わらなくなってくるんですよ、毎日やっていると。「あそこまで走るといつも疲れて止まっちゃうんだよな」とか、そういう恐怖感が出てきて速く走るのをためらったりするので、走力は伸びてもペースをちょっと落としたりとか。ペースを上げると途中でへばって……という繰り返しをしていて、やっぱり下手だったんですよね。なので、そのお兄さんに「なんで疲れるの?」って質問をしたんですよ。疲れる理由が分からなくて。だって不思議じゃないですか、疲れるって。
――確かにそうですね。
武井:僕の家から学校まで300mか400 mぐらいあったんですが、そのぐらいの距離って、人間が無酸素運動では絶対持たない距離なので、有酸素運動のきつめのほうに入るんですけど。そこにアジャストした運動ができていなかったから、いつも途中で疲れちゃうんですね。だけど、10秒前ぐらい前まではやる気満々で、「絶対今日は速く走るんだ!」って思っていた僕が、10秒走っただけで「もう走るの嫌だ」って思うんですよ。すごく不思議じゃないですか? 「僕は速く走りたいのに、この疲れるとか、走るの嫌って、なんでそう思うの?」って聞いたら、「そんなことを考えてるの、大学生でもいないな」って言われて。「確かにそうだよね、速く走りたいけど、走り出したら嫌だって思うよね。何だろうね、その理由はたぶんこの辺に書いてあるよ」と、本の血液の機能とか心肺機能のところに付箋を貼ってくれて、それを読み出したんです。
最初に僕が運動について覚えたのは、人間の体は何をすると疲れるのかっていうところが入りだったので、「なるほど!じゃあ、疲れなきゃいいんだ!」っていうのが運動に対する最初の気付きだったんですね。だから最初から、例えば、頑張って走ってみようとか、1回バッティングしてみようとか、そういうふうに実践で適当にスポーツを始めない癖がそこでついています。どうやったら正しく有効なエネルギーの使い方をして、ほかの人ができていないことをできるようになるのか?というのが僕のスポーツへのアプローチ。子どもの頃に自分で疑問に思っていたことを全部1個ずつ潰していったことが、芸能界に入ろうが何のスポーツをやろうがいまだに僕のベースになっている。本当に少年のただの疑問と気付きがベースなんです。
日常生活の動きを変化させるとプレーも変化する
――トレーニングは特定のスポーツに限らないということでしたが、例えばサッカーの場合、思いどおりに体を動かすとしたら、どんなことをしますか?
武井:自分がもしサッカーに特化して能力を伸ばしたいのだとしたら、当然ですけど足で手と同じぐらいものを扱わなきゃいけません。むしろ手よりも強く、正確にボールを扱う必要がある。まず日常でものを触ったり拾ったりすることを、全部足でやるようにし始めると思います。僕の手はかなり器用で、ほとんどの日常の作業を思いどおりにできますが、これと同じ脳と体の感覚を足裏、足の甲、足の外側・内側にも備えて、しかもそれが脛にも胸にも頭にもあるのが理想的なサッカー選手なので、全身でサッカーボールを、ある程度思った場所に、思った速度で、思った軌道を描いて移動させる作業を1日中ずっとやると思います。そしてサッカーボールじゃないものに対してもそういうアプローチをします。
僕は子どもの頃、まず手を思いどおり動かすアプローチとして、電気のスイッチを指で押していたのを、次の日はここの骨、ここの先、と、毎日違う箇所で押すようにし始めました。それは、日常生活のようにスポーツができるようになるための一つのコツです。
スポーツの時だけスポーツのことを考えている人はうまくならないんですよ。プレー中は、頭の中で思うことを実行する作業ばかりじゃないですか。でも、日常生活って慣れた動きなら、何も考えないで、成功も失敗も気にしません。だからスポーツに役立たない。日常生活でスポーツのように『こうしたい』と体を使うことで、スポーツ以外の時間がすべて練習になるんです。
勉強は自分が幸せになるための一番の有効な手段
――いろんなことに対して疑問を持つ性格は、持って生まれたものだったんですか?
武井:それは育ちです。小学校3年生ぐらいで両親が離婚して一緒に暮らさなくなって、僕は兄と二人暮らしをしていました。部屋に一人でいることが多くて、何もやることがなくて、お金もないし、ご飯も作ってくれる人がいないからお腹を減らして、人生を毎日何のために生きてるのか分からない時もあった。親に褒められることもなければ、学校の成績で1番取っても誰も見てくれないとか、そういう時間が長かった。要は、自己承認欲求でスポーツを始めました。
運動会で1番になったり、部活でいい成績を残すと、友達の親御さんや学校の先生が「壮くんってすごいね、えらいね」って褒めてくれるのがうれしくて、何とか得意な分野で負けないようにと思うようになったんです。自分の人生をより豊かにするために、自分が幸せになるために絶対に必要で、一番の有効な手段だと感じて努力していました。鍛えたり、勉強したり。好きかどうかはまるで別にして。
だから大人になってからは、勉強やトレーニングをして努力することっていうのが苦しいと思ったことがあまりないんですよ。子どもの頃は、それがつまらなかったし、本当は学校の校庭やゲームで遊んだほうが楽しい。だけど、それをやっていたら誰にも勝てないし、みんなと同じ小学生になって、ほかのお父さんお母さんも、学校の先生も褒めてくれなくなる。自分の存在意義を失う訳ですから必死でした。でも大人になってからは自分が動けば何でも手に入る、楽なんです。
例えば、今から歩く道に10 m進んだら1万円ずつ置いてあると言ったら、みんな進むでしょう? 僕はそれと同じ感覚。そこに苦しさはないし、進めば必ず手に入る。だけど、スポーツって正しい方法を知らずに道を進むと、ずっと1万円が落ちていないどころか、どこまで進んでも1円も落ちていなかったりするんですよ。だから、正しい知識、正しい論理を手に入れなきゃいけない。ルールを理解してより効率的に勝利を収める方法を考えなきゃいけない。でないと努力しても何も手に入らない事があるから。
スポーツ以外の業界に行っても、そういう戦い方をして、ほかの同業の人たちよりも卓越したものを自分で育てて、社会的な評価を得て、自分自身の生活を豊かにするとか、豊かになったことで生きてて良かった、こんな楽しいこともできるようになった、あんなところにも行けるようになった、こんなものを買えたとか、幸せのかたちはいろいろありますけど、それを手に入れていくのがすべての目標だと思う。やっぱり自分自身をより豊かに、より幸せに、そしてより能力を高く、自分だけの評価ではなく周りの人も「あの人にだったら任せたい」って思えるような、そんな自分を育てたいですよね。学ぶことが大切なんです。
大人になって必要となった時に勉強できる時間がとれなくなってくる
武井:僕にとっては、そのすべての作業が今は楽しいです。みんなに応援してもらいながら、高いお給料をもらってその作業ができるので、もう何の苦労もないです。子どもの頃にしっかり耐え抜いてこれたことはいまだに僕の財産になっています。これからスポーツ選手を目指すみんなにも、自分自身の能力をより有効的に伸ばすための、いろんな学問の知識を手に入れる作業を厭わないでほしいなと。学生時代は「面倒くさい、こんなの必要ない」って思うかもしれないけど、大人になって時間が経てば経つほど、その時手に入れたものがどんどん役立つ社会になっていますから。一番勉強しなきゃいけない時というのは一番それを必要としない時なんですよ。
大人になって知識が必要となった時には、勉強する時間がなくなっていくんです。だからぜひ、今時間があって、ご両親のお金で学校へ行けているっていう子は、そのあり余る時間の中で将来自分が人生の勝負をする時に必要な能力を、今のうちに山ほど身に付けておくこと。それはどんなスポーツ、ビジネスをやっても、何よりも近道を見つける力になると思います。
――それは社会人、大人も同じですよね。
武井:それはもう、全く一緒だと思います。
――遅い時なんてないということですね。
武井:ないですね。今日始めればいいわけで。僕はいつもテーマで「毎日、自分至上最高」って言っているんですけど、必ず1時間フィジカルトレーニングして能力を鍛えて、技術練習して新しい技術を身に付けて、1時間勉強して新しい知識を手に入れる作業を、今も3時間毎日やっています。だから、昨日の僕より今日のほうが確実に能力は高まっているという自信がある。
皆さんもぜひ、今は1時間とか3時間はしんどいと思うので、1日10秒からでいいので全力で体を動かす時間に使ったり、10秒新しい技術を練習、例えば10秒1回だけリフティングをやってみるでもいいんです。10秒間、何かインターネットで調べものをしてみるとか。10秒のつもりでも、知らないうちに1分ぐらい経ってますから。1分できるなと思ったら、明日は2分にしてみようかなとか、そんなふうに今は0の自分を0.1にするだけでももう成長なので。0.1の成長だけではどこにもたどり着かないんですけど、0.1の成長を1日で手に入れられないと、10年経っても0のまま。ただ、0.1を積み重ねたら年間で36.5になるんですよ。10年経ったら365。だから、本当に10秒何かできたらだいぶ変わるのになって思います。 今日から変えてみませんか?
<了>