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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

朝倉孝景17か条

井沢元彦によれば最初の戦国大名とされる朝倉孝景(敏景)が子孫に残した遺訓であるが、乱世の大名だけでなくいつの世の為政者や企業経営者にとっても非常に有益な教えだろう。
幾つかの条項の中に、「他国人を安易に信じるな」「外部からの侵入者に注意せよ」というニュアンスがあり、これは戦国大名だから、というだけのことではなく、多くの土地で現在でも他所から来た人間が詐欺的行為によってのし上がり、結局はその土地を衰退させることは多い。詐欺師的人間は、一所で悪事がばれると他所に行って似たようなことをするものだ。特に田舎の人間は純朴(あるいは愚鈍で無知)だから、騙しやすいのである。
これは、人間の移動が頻繁な現代でも同じだろう。弁舌の上手いよそ者は(弁舌の上手い者こそ、と言うべきか)信用するな、ということだ。たとえその人間に才能があっても、人格の信頼性の方が重要だ。




朝倉孝景十七箇条


孝景が晩年、子の氏景に遺したといわれる家訓。合理主義・孝景の考え方をよく示しており、戦国大名家法の先駆的なものである。

朝倉敏景十七箇条

一、朝倉家に於ては宿老を定めるべからず。其の身の器用忠節によりて申しつくべき之事。
一、代々持ち来たり候などとて、不器用の人に團并に奉行職を預けるまじき事。
一、天下静謐にすといえども、遠近の諸国に目付を常に置き其の風儀を窺わせるべき事。
一、名作の刀脇差など、さのみ好みなさるまじく候。其の故は、たとい萬疋の太刀刀を持たりとも、百疋、鑓百丁には勝れまじき候。然れば萬疋をもって百疋の鑓を百丁求め、百人に持たせ候はば、一方は相防ぐ可き事。
一、京都より四座の猿楽等切々呼び下し、見物好みなさるまじく候。其の價をもって国の猿楽のうち器用ならん者を上せ仕り、舞をも習はせ候はば、末々までも嘉楽すべき事。
一、城内に於いて夜能は無用とすべき事。
一、侍の役なるとて、伊達白川へ使者を立て、能く馬・鷹など求むまじく候。自然他所より到来は各別に候。それも三箇年過ぐれば、他家へ遣るべし。長く持すれば、必ず後悔出で来たり候事。
一、朝倉の名字中を初年の始めの出仕表着る布子となすべく候。并に各々、同名定紋を付けさせらるべく候。分限有りとて、衣裳を結構せられ候は、国の端々の侍色を好み、ふきつつきたる所へ此の体にては出にくきなどとて、虚病を構え、一年出でず。二年出仕致さざれば、後々は朝倉前に伺公の者少なくなり候事。
一、家中諸々奉公人の内、仮に不器量不朝榜に候とも、一心健固の輩には別して愛憐を加えなさるべく候。但し、懦弱の族たりといふとも、容儀押立出群の者は、尤も然るべき供使之用い候の条。是れ亦、空しく捨てなさるまじく候。雙方不足の輩は介抱甚だしく無益となすべき事。
一、無奉公の者と奉公の族と同?蓋はれ候ては、奉公の人いかでかいさみ有るべき事。
一、さのみ事闕候はずば、他国の浪人などに右筆させらるまじき事。
一、僧俗共に能芸一手あらん者は、他家へ越しなされまじく候。但し身の能をのみ本として、無奉公ならん輩は曲尤もに候事。
一、勝つべき合戦は取るべき城を攻める等の時、吉日を選び方角を考えて時日を移す事甚だ口惜しく候。如何に能き日なるとて、大風に船を出し、大勢に独り向かはば、其の甲斐有るべからざることに候。たとい、難所悪日たりとも、細かに虚実を察して、密々に奇正を整え臨機応変して謀を本とせば、必ずや勝利を得られるべき事。
一、年中に三箇度器用計り、正直ならん者に申し付け、国をめぐらせ、四民諸々の口謁を聞き、其の沙汰致されるべく候。少々形を引き替えて、自身巡検するも然るべき事。
一、当家壘館の外に必ず国中に城郭を構えさせらるまじく候。?て大身の輩をば、悉く一乗の谷へ引き越しめて、其の郷其の村には只代官下司のみ居り置きなさるべき事。
神社仏閣并に町屋等を通られむ時は、少々馬を留めて、奇麗なるをば聊か称美し、破損せるをば稍恵憐の詞をも加えられ候はば、到らぬ者共は、御詞を懸りたるなどとて、歎じ并に堪えずして、悪きをば早く改め、能くは彌相嗜み候べきか。然れば、造作も入らずして、見事に持ちなす事も専ら主君の一心に依るべき候事。
一、諸々の沙汰直奏の時、理非を少しも曲げなさるまじく候。若し役人等私を致すの旨聞き及びなされ候はば、堅く同罪に処すべき事。
右の条々能く能く服?し、昼夜相勤めて永く子孫に??せらるべく候。諸事内方を謹み厚く沙汰し候へば、他国の悪党は邪魔せぬものなり云々。
群書類従・巻第四百三より。(書き下しは本ページ作成者による)


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