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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

思考の物置としてのブログ

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」から抜粋転載。
下で小田嶋師(私は彼を師のひとりと勝手に決めている。もちろんネットや本でしか知らない。)が言っているのは、まさしく私が文章を書く理由である。文章にするまでは、自分の考えも気持ちも私には明確にならないのである。いろいろなモヤモヤしたものが、文章化されると明確になり、そのほとんどは「解決済みの問題」としてどこかに仕舞われる。それでいいのである。いわば、精神衛生のために書いているから、読者はいなくてもいいわけだ。
ただ、ブログにしておけば、後で自分で再考察できるから、いわばブログは「自分の思想や感想の物置」なのだ。

(以下引用)

 文章を書くことの効用のひとつは、自分が何を考えているのかを知るところにある。
 特に今回のテーマのような錯綜した話題は、普通に自分のアタマの中で考えているだけでは、いつまでも行ったり来たりするばかりで焦点を結ばない。

 その、自分のアタマの中に浮かんだり消えたりしている未整理な断片を、順次根気よく書き起こして行けば、自分の考えていることの全体像をある程度把握できる。このことは、逆に言えば、文章として整形して吐き出す以前のナマの思考は、実は自分にとっても意味不明であるケースが多いということでもある。

 そんなわけなので、私自身は、普段から、まずなによりも自分が何を考えているのかを知りたくて文章を書き始めている。






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