「高さ」(セレブリティ)の持つ危険性
前に二度ほど転載した兄のブログの一節で、記事中に「一度は自分も豪邸を作ったが」とあるのは、その後事業に失敗して今は借金生活なので、単に昔話である。
だが、豪邸についての考えは私とまったく同じで、豪邸というのはカネの無駄遣いをするための手段にすぎないと思う。税金から使用人から邸宅の清掃費から保守維持費に至るまで、毎日、無駄なカネが飛んでいくようなものだ。私など、自分の部屋さえ埃だらけにしているのだが、豪邸を使用人無しで毎日掃除していたらそれだけで一生が終わるだろう。
カネがあれば美女が向こうから寄っては来るが、カネ目当ての悪女しかその中にはいない。顔だって整形にすぎない。映画女優だろうがタレントだろうが、枕営業で使い古しのオ〇ンコでしかない。(これはディック・ミネが言っていたことだし、女優なども仲間内ではそういうことを平気で喋っているようだ。)まあ、豪邸暮らしも贅沢な生活も、そう見えるほど羨ましいものではないだろう。
私は、20代の最初のころに、有名人になること、あるいは出世することのプラスマイナスを考え、どちらもそう見えるほどのメリットはなく、デメリットは大きい、という考えに落ち着いた。
もちろん、自分にその能力が無い、という点も考慮してだが、「生活は中か中の上、そして無名人として生きる」のが理想的な人生ではないか、と結論したのである。有名人になることのデメリットは、コミュ障気味の私にはむしろ地獄だろう、と思ったわけだ。四六時中、他人の好奇の目にさらされるのが地獄でなくて何だろうか。金持ちになるのも、周囲の嫉妬を生み、詐欺師や犯罪者を呼び寄せるわけで、その中で自分の精神を守れる保証は無い。
つまり、華やかな存在はその背後に暗黒面がある、ということである。
或る意味、才能を天から与えられることすら不幸なことなのかもしれない。優れた才能の特徴は、偏執的な仕事への献身だが、それは家庭生活の犠牲の上に成り立つのである。
(以下引用)
よくテレビで、すごい豪邸を見るが、僕が思うには見る分には、”すごいなぁ、いいね”、で済むが、まず掃除が大変そうだなーが第一、で次にものを取ったり探すのが大変だろうなーで、次に食事の準備も片付けも大変だなーで、着替えや洗濯片付けも大変だなーと、もう大変だらけで、良い事は何一つないし、まずそんな家で育った子供はかわいそうだとしか思えないし、子供が巣立った後のわびしさはいかばかりかと思ってしまうのだ。
ま、何度も作り替える余裕があれば、豪邸を作ってみるのもいいけど、僕などは一度は作ったけど、どちらかと言うなら無理矢理作らされて、まず最初に300坪余りの庭の芝生が、外周の木すべてに水をやるのが毎日30分以上かかったし、後は応接間のソファーから1歩も動かず、そして1年で飽きてしまい引っ越したので、それからは豪邸にはうんざりしたもんだ。
だからたまに、ふーんと思いつつ見るが、こんなのは見栄が1番目にあるんじゃないのかな。
やはり、ほどほどの大きさが1番てことだと思うけどな。
今で言えば、住むのには1LDKで15坪から18坪で充分で、欲を言えば2階にひと部屋あれば客間にもなり、時々上がって外を眺められるし、バーベキューをするにも良いので、ま、それぐらいが理想だな。
若くて子供がいるなら、子供の分の部屋だけが必要ってことで、それ以外は何もいらないな。
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