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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

見ない権利、聞かない権利

「ゾーニング」の定義は知らないが、「棲み分け」の意味だとしたら、私はゾーニング肯定論者である。いや、肯定というか、棲み分けを重視すべきだ、という意見だ。つまり、一般共有空間にエロやグロの「表現」は基本的に置くべきではない、ということである。表現そのものを禁じたりするのには大反対だが、「見ない権利」というものもある、という意見であり、それに対して「自分だけ目をつぶればいいだけだ」というのは暴論だ、と思う。目をつぶって繁華な道路を歩けるか。
これは街中の騒音についても言える。自分の嫌いな音楽を聴かされる苦痛というものもある。私は、待ち合わせの喫茶店で大嫌いな演歌が流れていたので、そこに入るのをやめ、デートをすっぽかしたこともある。携帯電話の無い時代だったので、もちろん、その女の子との間はそれで終わりである。



漫研OBとして?  僕が「ゾーニングは必要だ」と言ったのは「見たくない」人の権利を守り、トラブルを避けるためです。宇崎ちゃん、彼女自身はボーイッシュで、恋愛や色気と無縁なのに、ただ胸が大きいだけで周囲はやたら性的な目で見て勝手に困るというギャグ漫画で、いろいろ象徴的だと思います。

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