倫理とは何か
まあ、気の向いた時に適当に書いている項目だが、今日は、「倫理とは何ぞや」という根本を考えてみる。
考えるきっかけになったのは、吉本隆明の「日本近代文学の名作」という文庫本の中の中原中也の項目に「中也は実生活に対してとても倫理的な人で、生活についての倫理観がその詩の特質になっている」と書かれていたことで、中也を倫理的と評したのを見たのは初めてだったからである。吉本隆明は「倫理的とは何か」を説明してはいないが、この言葉は意外であると同時に、何か分かるような気もした。そこを分析してみたいと思ったのである。もちろん、中也が実生活で通常の意味で倫理的であったという事実があって、私がそれを知らないだけかもしれない。言うまでもなく、通常の意味での倫理的とは道徳的である、ということだ。だが、私自身は中也の詩にそういう印象を受けたことはあまりない。かと言って不道徳という感じももちろん無い。常に、死と人生への悲哀感と抒情性が溶けあったような作風に思えるが、それは倫理という言葉とはあまり関係するようには思えないわけである。
中也のことを離れて、「倫理」とは何か、と考えてみる。私は漢字の原義を基にして物事の根本を考えることを好むが、残念ながら漢和辞典を所有していないので、「倫」の字について無根拠な考察をしてみる。左側の「にんべん」は当然、「倫」が人間にとって非常に重要なものだ、ということを示しており、また「人間的な物事」であることを示しているだろう。
問題は右側のつくりで、このつくりを持つ漢字を探してみると「輪、綸、淪、棆」などで、「輪」以外は意味を知らない漢字ばかりで、「りん」という音を示す「音符」としての機能しか無い感じだが、まったく音以外の意味が無いなら、このつくりである必然性も無いだろう。
そこで強引に考えてみると、右下の「冊」(中心を貫く横棒が左右に出ているが、それは無視する。)という漢字構成要素に意味がありそうな気がする。つまり、「冊」が古代に書記用具として使われた竹板を束ねたノート様のものとすれば、「冊」自体に、何かを「束ねる」意味があるのではないか、ということだ。「柵」も、並んだ棒を横木で束ねたものである。
要するに、私が言いたいのは、「倫理」とは、人間の心を束ねる、一本の横棒だということだ。そのままに心を放置すると放恣そのものになり、人面獣心の存在になるのが、倫理という横棒が束ねることで、人間が人間らしい存在になる、ということである。
これは、世の中の非人道的犯罪の記事などを見れば、納得されるだろう。
倫理を失った人間は、人間ではない、ということだ。
考えるきっかけになったのは、吉本隆明の「日本近代文学の名作」という文庫本の中の中原中也の項目に「中也は実生活に対してとても倫理的な人で、生活についての倫理観がその詩の特質になっている」と書かれていたことで、中也を倫理的と評したのを見たのは初めてだったからである。吉本隆明は「倫理的とは何か」を説明してはいないが、この言葉は意外であると同時に、何か分かるような気もした。そこを分析してみたいと思ったのである。もちろん、中也が実生活で通常の意味で倫理的であったという事実があって、私がそれを知らないだけかもしれない。言うまでもなく、通常の意味での倫理的とは道徳的である、ということだ。だが、私自身は中也の詩にそういう印象を受けたことはあまりない。かと言って不道徳という感じももちろん無い。常に、死と人生への悲哀感と抒情性が溶けあったような作風に思えるが、それは倫理という言葉とはあまり関係するようには思えないわけである。
中也のことを離れて、「倫理」とは何か、と考えてみる。私は漢字の原義を基にして物事の根本を考えることを好むが、残念ながら漢和辞典を所有していないので、「倫」の字について無根拠な考察をしてみる。左側の「にんべん」は当然、「倫」が人間にとって非常に重要なものだ、ということを示しており、また「人間的な物事」であることを示しているだろう。
問題は右側のつくりで、このつくりを持つ漢字を探してみると「輪、綸、淪、棆」などで、「輪」以外は意味を知らない漢字ばかりで、「りん」という音を示す「音符」としての機能しか無い感じだが、まったく音以外の意味が無いなら、このつくりである必然性も無いだろう。
そこで強引に考えてみると、右下の「冊」(中心を貫く横棒が左右に出ているが、それは無視する。)という漢字構成要素に意味がありそうな気がする。つまり、「冊」が古代に書記用具として使われた竹板を束ねたノート様のものとすれば、「冊」自体に、何かを「束ねる」意味があるのではないか、ということだ。「柵」も、並んだ棒を横木で束ねたものである。
要するに、私が言いたいのは、「倫理」とは、人間の心を束ねる、一本の横棒だということだ。そのままに心を放置すると放恣そのものになり、人面獣心の存在になるのが、倫理という横棒が束ねることで、人間が人間らしい存在になる、ということである。
これは、世の中の非人道的犯罪の記事などを見れば、納得されるだろう。
倫理を失った人間は、人間ではない、ということだ。
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