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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ホモソーシャル

「差別の構造」を論じるにあたって、小田嶋師がよく使う「ホモソーシャル」という言葉の意味をウィキペディアからコピーしておく。
私自身、考え方がホモソーシャル的なところがある気がするが、同性間の友情を「ホモソーシャル」と言われると、抵抗感がある。
まあ、昔(江戸時代の「陰間」など)からホモ(男性同性愛者)は差別と笑い(嘲笑)の対象だったわけで、「ホモソーシャル」という概念自体に差別感が漂う気がするのは私の考えすぎかもしれない。(なぜホモが嘲笑されるかと言うと、その「女性的な言動」が嘲笑されるわけで、「偽女性」としてのホモへの嘲笑は、男性の『男性優越思想』『女性蔑視』の表れでもあるだろう。ホモは「女性よりも安心して嘲笑できる存在」だったのである。)
なお、腐女子がBL好きである(下手をしたら、女性の大半がそうかもしれない)というのは、ホモ差別と矛盾するようだが、その関係も考察する価値はありそうだ。(男同士の)ホモを差別するのは男であって、女ではない、とも考えられる。ホモ差別は、むしろホモソーシャルでこそ生まれる、という構造もありそうだ。「俺たちの関係は友情であってホモではない」というのがホモソーシャルに生きる「漢」の矜持なのだろうか。


ホモソーシャル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ホモソーシャル (: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。対義語であるヘテロソーシャルは異性との同様な関係を指す。2人以上の人間が結ぶ関係は、ホモソーシャル(同性と)、ヘテロソーシャル(異性と)、バイソーシャル(両性と)のいずれかでありうる。

ホモソーシャルという言葉は、イヴ・セジウィックによる「男性のホモソーシャル(同性間の結びつき)への欲望」という議論によって普及した[1]。それよりも早い1976年に、ジーン・リップマン=ブルーメン英語版が性的な意味ではなく、社会的な意味での、同性の仲間への選好をホモソーシャリティ(homosociality)と定義している[2]

概要[編集]

男性間のホモソーシャルは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニーあるいはホモフォビアが伴う。ホモソーシャルな関係によって、強制的に異性を愛すること、そして女性の家事労働に頼ることが前提として成り立っている家父長制が構成される。

ホモソーシャルの概念を提唱した、アメリカのジェンダー研究者のイヴ・セジウィックは、「二人の男が同じ一人の女を愛している時、いつもその二人の男は、自分たちの欲望の対象だと思っている当の女のことを気にかける以上に、はるかに互いが互いを気にかけている」ことを指摘した。

なお、研究者の中には、この概念を女性同士の関係にも適用し、「女性のホモソーシャル」を論じる者もいる。東園子は、やおいボーイズラブを好む女性オタク(いわゆる腐女子)や演者は女性だけで構成されている宝塚歌劇団のファンの女性の間でホモソーシャルな絆がみられると論じている[3][4]

近年、ホモソーシャルは男性と男性の繋がりだと誤認されがちだが、女性と女性の繋がりもホモソーシャルとなる。さらに言えばホモという言葉も同性という意味である。



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