私は、宗教に立脚しない倫理をどう打ち立てるか、という考えで倫理の考察をしているので倫理の根幹が功利主義であるとされても何も痛痒は感じない。むしろ私の思想に近いし、また倫理は「社会秩序の維持」のために作られた、というのも同感だ。それを「奴隷の思想」などと卑しむ必要は無い。強者が倫理を守らないのは自明の事実であり、しかし彼らがある程度以上の暴虐をしない、あるいは悪行をしばしば慎むのは倫理への世間の感情のためであり、それが世間の弱者を利してもいるわけだ。つまり、倫理は社会秩序維持の上で大いに役立つ虚構であって、その有益性を知らない中二病の馬鹿たちがニーチェの「超人思想」などに憧れるのである。
『たまたま「これがニーチェだ(永井均)」を読んでいたら「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いにニーチェがどう答えたかという話があったので一部引用してみます。』
という小野ほりでいさんのツイートに対し、「ニーチェの答えがすごい」というコメントがいくつも寄せられています。
その小野ほりでいさんのツイートで引用されたのは永井均『これがニーチェだ』の以下の部分です:
もちろん、これは「永井均先生の理解するところのニーチェの答え」です。
僕自身は哲学研究者ではないし、ドイツ語も読めず、ニーチェの原著の日本語訳を数冊読んだ程度ですから、「ぼくの理解するところのニーチェの答え」など書いてもしょうがないです。
そこで、この記事では、あくまで「永井均先生の理解するところのニーチェの答え」について書きます。
(永井均先生は哲学研究者かつ哲学者です)
小野ほりでいさんが「一部引用してみます」と言っているように、これは、(永井先生の理解するところの)ニーチェの答えの「一部」でしかありません。
残りはどうなっているのでしょうか?
少し長くなりますが、(永井先生の理解するところの)ニーチェの答えに相当する部分を『これがニーチェだ』P.28-30より引用します。
このニーチェの考えは不道徳だと思いましたか?
しかし、「この考え方を不道徳だとすること」が不道徳であることを明らかにしたのが、ニーチェのやった仕事なのです。