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青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
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自称してる時点で「手に入らないけど渇望している」のタイプはあり得なくて、「いつでも手に入れられるけれども求めていない」なんだよな
具体的にはAセクを堂々と名乗れるのは股開けば相手が見つかる可能性に満ちた女だけなんだよね
男はいくらAセクを自称しても、客観的に見ると「女を求めたが勝ち取れなかった負け組」と区別つかなくて「すっぱい葡萄でしょ?w」で一蹴されて誰にも相手されないし、
そもそも負け組仲間(客観的に見ると同一)である中年独身男性が大量にいて、そいつらと同じ扱いを受けるだけ
実際に「独身中年男性」でしかないのに、俺は他の独身中年とは違うAセクだ!最初から要らなかったんだ!とか言われても嘲笑しか無いでしょ
結局は独身中年男性全体の命や尊厳が軽んじられてるっていう根本原因に自動的に行きつくから
否応なく連帯することになるし、そこに「Aセク」っていう属性をことさらPRする意義はねンだわ
つまりAセクなんて名乗った時点で私は女ですって言ってるようなもん
そうすると、恋愛においては弱者男性ってのは膣や子宮といった性的価値をもたずに生まれてきた貧乏人、女は生まれながらの資産家なので
金持ちが「金持ちに生まれたけど気持ちよく消費する先が無い」とか、投資家が「投資する価値のある株が無い」みたいに悩んでるようにしか見えなくて
明日の飯にも困るような貧乏人たる弱者男性とは明らかに悩みの深刻さが違うから
一切共感できないしなんなら勝手に一人で死ねとしか思えないんだよね
まず女って時点でブルジョワジーでありなかば敵なのに、更にブルジョワジーの中でも特殊な悩みを持ってるからって、プロレタリアートからすりゃだからどうしたとしかならない