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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「恋とは何でしょう」

徳川夢声の「問答有用」の中で、女郎買いの好きな教師の話が出て来るが、女郎を買った翌朝、顔なじみの生徒の家で着替えをして、学校に行って修身の授業をしたそうだwww
夢声がそれに対して「女郎を買った後は聖人君子みたいな心境になりますからねえ(笑)」と言うのだが、これは男における女郎買いの意味合いをよく示していると思う。つまり、ただの生理現象である。顔のいい女郎を好むにしても恋愛ではない。
逆に、女性は非常に売買春を嫌悪し非難するが、恋愛を非常に好む。絶え間なく恋愛していたい、とすら思うようだ。つまり、次から次へと新しい恋愛をするわけだ。
これは男の女郎買いと何が違うのだろうか。単に金銭が介在していないだけだ、という考えもあるが、実はプレゼントの贈答などでの金銭は介在している。これは女郎買いなどとは違う高尚なものとみなされるらしいwww
女性のホスト狂いも、あれは性欲ではなく恋愛だ、と推定できる。つまり、女性の恋愛幻想を満たすのがホストという売春夫なのだろう。上手い者は性交の相手もせず、カネだけ搾り取る。それで女性の側も満足するわけだ。
女性が売買春における金銭の介在を嫌うのは、実は単にケチだからという見方もできそうだ。「恋愛能力」が高ければ金銭不要で恋愛も性交もできるのだから、金銭を使うのは馬鹿げているというわけだ。まあ、恋愛における性交の存在価値が女性にとってどの程度のものかは男性である私には分からないが、少なくとも恋愛要素のほうが大事だ、とは言えるのではないか。
私が特殊性格なのか分からないが、私などは性交の前後に口説きや事後の愛撫などを期待されるとうんざりする。まあ、恋愛をしていれば話は別で、性交自体が二義的なものになるのだろうか。しかし、射精後の「聖人君子」の心境でいる時に、横にいる女の裸などまったく触れる気持ちにもならないのが自然なのではないかwww

で、恋愛とは何ぞや、という問題だが、次から次へと相手を代えて恋愛するというのは、それは恋愛と言えるのだろうか。年を取っても恋していたいと馬鹿な女の言うあれだ。私などの感覚では、恋愛というのは一生に一度のものであり、別の恋をするなら、前の恋も後の恋も恋愛でも何でもない、ただの恋愛ごっこか浮気か性的冒険だと思う。念のために言えば、恋愛は結婚に必須のものだとはまったく思わない。結婚は、その相手とこれから死ぬまで共同生活をするという契約だと思っている。そこには「相手が不快ではない、むしろ好ましい」という気持ちはあっても、燃えるような恋愛などむしろ「将来の崩壊要素」だと思っている。
つまり、恋愛も結婚もどちらも「once in a life」だというのが私の考えで、そのふたつが同じ相手であれば結構だが、そうでなくてもどちらも「生涯に一度だけ」であるのが理想だろう。



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