有名人の「コメント」の信頼性
このふたつのツィートは「有名人の発言」について示唆的である。
上のほうの発言は「満棚通信」氏のものだが、そこで「後者」と書かれているのは萩尾望都である。つまり、萩尾氏は正直に語っているかもしれないが、それはあくまで主観が入った証言であり、当事者こそが一番事態が見えていない可能性もあるわけだ。
下のツィートは、インタビューに回答者がまともに答える(答えられる)とは限らない、という当たり前の事実を示している。当人がいくら熟慮して答えても、それは結局その時の気分による回答でしかないわけである。また、正直なことを言えば周辺の人に差しさわりがある、というのは当然なのである。
(以下引用)
前者の読者は少女マンガ史における24年組の革新性を知ります。後者を読むと、24年組そのものが幻想?であると語られる。でもねー、後者の否定があっても、1970年前後の少女マンガ作品群の革新的存在感は否定できません。このあたり、萩尾証言に引きずられちゃダメでしょ。当時はすごかったんだから。
庵野さんの特番、今回の長尺版の方が面白いね。こういう番組って構成的にここはいらないって部分が面白かったりするんですよね。前回切られて今回入った部分で良かったのは樋口さんが「質問して返ってきた答えは絶対正解じゃないよ。質問するだけ無駄」ってとこ。そこ凄い重要じゃん。なんで切ったかな
上のほうの発言は「満棚通信」氏のものだが、そこで「後者」と書かれているのは萩尾望都である。つまり、萩尾氏は正直に語っているかもしれないが、それはあくまで主観が入った証言であり、当事者こそが一番事態が見えていない可能性もあるわけだ。
下のツィートは、インタビューに回答者がまともに答える(答えられる)とは限らない、という当たり前の事実を示している。当人がいくら熟慮して答えても、それは結局その時の気分による回答でしかないわけである。また、正直なことを言えば周辺の人に差しさわりがある、というのは当然なのである。
(以下引用)
前者の読者は少女マンガ史における24年組の革新性を知ります。後者を読むと、24年組そのものが幻想?であると語られる。でもねー、後者の否定があっても、1970年前後の少女マンガ作品群の革新的存在感は否定できません。このあたり、萩尾証言に引きずられちゃダメでしょ。当時はすごかったんだから。
庵野さんの特番、今回の長尺版の方が面白いね。こういう番組って構成的にここはいらないって部分が面白かったりするんですよね。前回切られて今回入った部分で良かったのは樋口さんが「質問して返ってきた答えは絶対正解じゃないよ。質問するだけ無駄」ってとこ。そこ凄い重要じゃん。なんで切ったかな
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