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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

どこで生まれるかという幸福と不幸の分かれ目

記事を読む限りでは、真面目な子のように思える。不幸な境遇の中で生きるために苦闘してきた結果としての少年院入りだったのだろう。

戦慄そうそう。少年院生活は辛かった一方で、どこか温かさも感じていました。「一生ここにいろ」と言われたらそれはそれでいいなって……。私に限らず、少年院に来るのって、社会や家庭の中で身の危険を感じて育ってきた子が多いから、ちゃんとご飯があって、先生が優しくて、勉強させてもらえて、本が読めてという当たり前のことが、なんだかすごく幸せに感じられたんです。

という言葉は、なかなか賢い子だな、と感じる。



エンタメ

少年院上がりのアイドル・戦慄かなの「少年院は幸せでした」

 昨年10月、あるアイドルオーディションで衝撃の告白があった。「私、少年院出身です」――。そうカミングアウトしたのは戦慄かなの氏。件のオーディション「ミスiD」では、「サバイバル賞」を受賞。壮絶な幼少期、非行、少年院を経て、現在は大学に通いながら、アイドルとして活動している。さらに虐待を受けている子どもたちに向けた支援事業も開始。道なき道を切り開く19歳にこれまでの軌跡と自身の将来を聞いた。

戦慄かなの/アイドル

戦慄かなの/アイドル

――「少年院出身アイドル」として最近ではさまざまなメディアで取り上げられていますね。

戦慄かなの(以下、戦慄):ありがとうございます(笑)。でも……本当は、「少年院出身」っていうのとアイドル活動は切り離したいと思っているんですよ。どうしてもセンセーショナルだから、その部分を切り取った紹介のされ方になっちゃうのもよくわかるんですけどね。

――「そういう個性のアイドルとしてやっていこう」と思ってのカミングアウトではなかったんですね。

戦慄:そうなんです。アイドルのほかに、育児放棄や児童虐待への支援も行っていきたいと思っていたので、その活動のために少年院出身だと明かしました。もちろん「ミスiD」の最終面接では「少しでも爪痕を残したい」と思っていた部分はあるのですが、決して売名のためだったわけじゃないんです。それ以前は「のーぷらん。」というアイドルグループで活動していたのですが、少年院の話は隠していました。だって単純に全然かわいくないですよね、「少年院出身」って(笑)。私自身がもともとアイドルが好きなのもあって、やっぱりファンの方たちはそんなの求めてないだろうなって思うんです。

――AKBやハロプロのような、いわゆる正統派のアイドルに憧れて?

戦慄:そうです。それに「虐待」や「少年院」「児童支援」といったキーワードがアイドルの活動と結びつくと、偽善とか売名っぽくてうさんくさくないですか? テレビの「アウトローな人特集」とかに呼ばれるのもありがたい半面、複雑です。私としては、切り離して両方とも真剣にやっているので、片手間にやっているようなものだと誤解されないようにしないとなって思っています。

――こうやってお話を伺っていると、少年院にいたという過去がなかなか想像できないです。

戦慄:いやー、少年院に入ったばかりの頃はめちゃくちゃ反抗していましたよ! おかげでたいていの人が10か月くらいで出られるところを、私は2年近くかかりました(笑)。私がいたのは中等少年院なのですが、2年って中等少年院に入っている期間としてはほぼマックスなんです。

――そもそも何をして少年院に?

戦慄:14歳の頃からだんだんと家に帰らないことが多くなり、歌舞伎町や秋葉原などをウロウロしていたら、次第によくない人とも交流が増え、犯罪が身近になっていました。いろいろあったんですが、お金を稼ぐ手段としていわゆるJKビジネスを個人で仕切るようなことをしていたこともありました。

――それは誰かに教えられて?

戦慄:いえ、自分で考えました。

――商才が……と言っていいのかわからないですが、すごいですね。

戦慄:あの頃はとにかくお金への執着が強かったんです。母と妹と3人暮らしだったのですが、何日もご飯をもらえないまま妹と放置されて。誰も頼る人がいなかったから、「このままお母さんが帰ってこなかったらどうしよう」ってうなされていました。そんな毎日だったから、お金さえあれば自立できると思い、次第にブラックなビジネスに手を出すようになってしまいました。


少年院で知った「居場所がある幸せ」


――少年院ではどのような生活を?

戦慄:作文を書いたり、先生なりの何かメッセージのこもった映画のDVDを見せられたり。最初は嫌すぎて、課題をビリビリに破いてトイレに流して詰まらせたり、監視カメラに向かってサンダル投げて中指立てたり、ひどかったです(笑)。でも今思えば私、甘えたかっただけなんですよね。先生にかまってもらいたくてやっていたところがあります。

――ご家庭で甘えさせてもらえなかった分?

戦慄:そうそう。少年院生活は辛かった一方で、どこか温かさも感じていました。「一生ここにいろ」と言われたらそれはそれでいいなって……。私に限らず、少年院に来るのって、社会や家庭の中で身の危険を感じて育ってきた子が多いから、ちゃんとご飯があって、先生が優しくて、勉強させてもらえて、本が読めてという当たり前のことが、なんだかすごく幸せに感じられたんです。

※7/31発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【戦慄かなの】
’98年、大阪府生まれ。「ミスiD2018」でサバイバル賞を受賞。現在は大学に通う傍らアイドルとしても活動。また、育児放棄・児童虐待への支援を行う「bae」を立ち上げるなど、自身の経験を生かして精力的に発信している

取材・文/朝井麻由美 撮影/尾藤能暢


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