責任能力の有無という厄介な法律問題
こんな無茶な主張が認められるはずがない、というコメントばかりであり、私も認められるべきではない、と思うが、精神病者や白痴などの犯罪ではしばしば「責任能力がない」とされて無罪を獲得している。とすれば、飲酒の上での犯罪でもその理屈が成り立つ、と言えないこともないのではないか。言うまでもなく私の意見は、精神病者や白痴の場合も「責任能力がない」というのを法的根拠として無罪にするべきではない、というものだ。幼児の犯罪はボーダーラインであり、ケースバイケースだろう。
- 去年12月、札幌市で飲酒運転し道路を逆走、工事現場の作業員をはねてけがをさせた男の裁判があった。
- 鹿内秀剛被告の弁護士は「当時、大量の酒を飲んでいて事故の状況を全く覚えておらず、被告は心神喪失状態で責任能力がない」として無罪を主張。
- 鹿内被告は「事故を起こした認識がなかった」として起訴内容を否認した。
掲示板での反応
出典:【裁判】酔って心神喪失の状態で責任能力がないから、と無罪主張 飲酒運転、逆走、車と衝突、人はね男・札幌地裁
(追記)
(追記)
刑法における責任能力とは、刑法上の責任を負う能力のことであり、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力のことである。責任能力のない者に対してはその行為を非難することができず(非難することに意味がなく)、刑罰を科す意味に欠けるとされている。
責任無能力と限定責任能力
責任能力が存在しない状態を責任無能力(状態)と呼び、責任能力が著しく減退している場合を限定責任能力(状態)と呼ぶ。責任無能力としては心神喪失や14歳未満の者が、限定責任能力としては心神耗弱(こうじゃく)が挙げられる。刑法は39条第1項において心神喪失者の不処罰を、41条において14歳未満の者の不処罰を、39条2項において心神耗弱者の刑の減軽を定めている。
心神喪失と心神耗弱
- 心神喪失
- 心神喪失とは、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が失われた状態をいう。心神喪失状態においては、刑法上その責任を追及することができないために、刑事裁判で心神喪失が認定されると無罪の判決が下ることになる。もっとも、心神喪失と認定されるのは極めて稀であり、裁判で心神喪失とされた者の数は平成16年度以前10年間の平均で2.1名である。同期間における全事件裁判確定人員の平均が99万6456.4人なので、約50万分の1の割合となる(平成17年版 犯罪白書 第2編/第6章/第6節/1)。
- 無罪判決が出た場合は、検察官が地方裁判所に審判の申し立てをし、処遇(入院、通院、治療不要)を決める鑑定が行われるとともに、社会復帰調整官による生活環境の調査が行われる。(医療観察制度のしおりより)
- 入院決定の場合は6ヶ月ごとに入院継続確認決定が必要とされ、通院決定、あるいは退院許可決定を受けた場合は原則として3年間、指定通院医療機関による治療を受ける。
- 心神耗弱
- 心神耗弱とは、精神の障害等の事由により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又はそれに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態をいう。心神耗弱状態においては、刑法上の責任が軽減されるために、刑事裁判で心神耗弱が認定されると刑が減軽されることになる(必要的減軽)。心神耗弱とされるの者の数は心神喪失よりも多く、裁判で心神耗弱とされた者の数は10年間の平均で80.4名である(犯罪白書同上)。
心神喪失および心神耗弱の例と問題
心神喪失および心神耗弱の例としては、精神障害や知的障害・発達障害などの病的疾患、覚せい剤の使用によるもの、飲酒による酩酊などが挙げられる。ここにいう心神喪失・心神耗弱は、医学上および心理学上の判断を元に、最終的には「そのものを罰するだけの責任を認め得るか」という裁判官による規範的評価によって判断される。特に覚せい剤の使用に伴う犯罪などに関してはこの点が問題となることが多いが、判例ではアルコールの大量摂取や薬物(麻薬、覚せい剤など)などで故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合、刑法第39条第1項・第2項は適用されないとしている[4]。
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