忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

神とは何か

日本文化の碩学であった折口信夫ですら、日本の「神」を一神教的な神と同一視していたように思う。日本の神は簡単に争うし、勝ちも負けもする。要するに、「ちょっと変な能力や権力を持っただけの存在」でしかないと私は思っている。
もともと日本書紀では大和朝廷の氏族の先祖を「神」と言っていただけの話(これは言い過ぎだが、細かく論じるのも面倒なのでそのままにしておく。敵部族にも神はいるし、自然物も神である。まあ、「霊威」があると思われた存在が神とされたと言うべきか。)で、その言動は人間そのままであり、弱点だらけであり、人格的にも愚劣なところが多い。そこはギリシャ神話の神々と同じである。
ひと言で言えば、「神とは上(かみ)であり、状況によって仮に上座に置かれた存在である」と思えばいいのではないか。別の言い方をすれば、「他部族に対して、ア・プリオリな優位性を主張するための装置」が日本における神である。
なお、一神教の創造神など、御伽噺の最たるものだが、旧約聖書の神が「人間の道徳を無視した神」であるところは少し凄いと思う。つまり、「(人間の理解を超えた)恐怖の対象」である。だが、そうなると神と悪魔との区別など存在しないwww 

猫の泉
@nekonoizumi
法蔵館文庫5月。「敗戦という未曾有の出来事を「神やぶれたまふ」と表現した折口信夫。やがて〈神〉から〈人間〉となった天皇や、「神道指令」後の日本神道に、彼はいかなる可能性を見出そうとしたのか。…」
⇒中村生雄/三浦佑之解説
『折口信夫の戦後天皇論』













PR