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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

戦争の娯楽性

小谷野敦の「退屈論」の中に書いてあるが、村上龍が「才能の無い人間が戦争をしたがる」ということを何かに書いているという。この発言はなかなか重要なものかもしれない。で、小谷野はこの言葉に加えて、人類の3分の2は才能が無いのだから、戦争が無くならないのは当然だ、とこの思想を敷衍するのだが、それも面白い。
で、私は前に「いじめの娯楽性というものを考えないといじめ問題は解決できない」と書いたのだが、戦争についても「戦争の娯楽性」は重要な問題ではないか。戦争、あるいは闘争が娯楽性を持つのは自明のことである。ただ、それに生死がかかるので、人々は戦争や闘争の娯楽性を無視することになる。もちろん、戦争の中の日常は娯楽とはかけ離れた苦痛に満ちたものだろう。しかし、その反面、精神の高揚やスリル、つまり「ゲーム性」は平和な日常からは得られないレベルで生まれるのではないか。これは、テレビゲームなどでは暴力の発生が不可避であり、映画やテレビのドラマでも暴力が常に興奮を生む原動力であることに通じている。
しかも、自分自身は兵士としての苦難と無縁で、安全な場所から戦争を指揮する人間(だいたいは才能の無い人間)にとっては戦争とは一番面白いゲーム以外の何物でもない。
これが、世界から戦争が無くならない一番の原因であり、戦争によって得られる経済的利益など、単なる付随物にすぎない。これが、私の「戦争論」だ。



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