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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

価値観の相違がもたらす悲劇

物や物事の価値の問題というのは私の考察テーマのひとつだが、価値というのは人によって、また状況によってまったく変わるということを理解していない人は多いと思う。
Aという人間にとっては自分の命に等しい価値のある物でも、Bという人間にとってはゴミだというのはよくある話で、特に家庭の母親などが子供の「宝物」をゴミとして捨てて、それが一生の恨みになることもある。大人でも、夫の所有物(趣味のコレクションなど)を奥さんが勝手に処分して、離婚騒動になることもある。これは個人個人の価値観の相違の問題だが、時代による価値の相違というのもある。
少し大げさに言えば、所有物というのは、その人間の一部だと思っておいたほうがいい。あなたは、自分の夫(奥さん)の頭部を切り取ってゴミ箱に捨てるだろうか。


(以下引用)


戦後経験者のツイートを見掛けて思い出したけど、子供の頃「農家に足下を見られて少しの米と交換に晴れ着をぶんどられた」という体験記をいくつも読んだけど、最近「着られもしない晴れ着を押しつけられて米を取られた」という声も知った。
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