人間環境と笑いのレベル
タモリも松本人志(私はこいつの下劣な人間性が大嫌いなのだが)も、「クラスのお調子者だった人間は(芸人としては)面白くない」と言っているが、「クラスのコメディアン」的ポジションというのは、クラス内でそれを許容する空気が形成されているだけのこと(当人なりの努力の結果ではあるだろうから、そういう努力もしてこなかった陰キャラよりは偉いわけだが)で、その言動自体に高いユーモアセンスがあるわけではない。周囲の人間は「付き合いで笑っている」だけで、それをその場に無関係の第三者が見たり聞いたりしたら、その冗談のつまらなさは呆れるほどなのだが、では「陰キャラ」が面白いことを言ったら周囲は笑うか、と言えば、絶対に笑わないだろう。つまり「笑うための空気」が形成されていない状態では笑えないのである。
何度も何度も「滑って」いるうちに、「ああ、こいつは『コメディアン』的な奴なのだ」と周囲が理解し、受け入れるわけである。つまり、最初から笑う準備をしてその人物の言動を見るから、笑いのハードルが低くなる。
米国人が初対面の相手に対してもジョークを言うのは、「自分には害意はない」ことを伝えることで、その後の関係が良好になるからである。そのジョークが面白いか低レベルなものかは関係がない。むしろ高度なジョークは理解力の無い人間からは「(それが理解できない)自分を馬鹿にしている」と思われる可能性すらある。周りの知能や教養のレベルに合った人間がそのコミュニティでは受け入れられる。(他人を尊敬する、ということは、「自分が劣っている」ことを認めることだから、自我の肥大した現代の人間には苦痛な行為なのである。)
何度も何度も「滑って」いるうちに、「ああ、こいつは『コメディアン』的な奴なのだ」と周囲が理解し、受け入れるわけである。つまり、最初から笑う準備をしてその人物の言動を見るから、笑いのハードルが低くなる。
米国人が初対面の相手に対してもジョークを言うのは、「自分には害意はない」ことを伝えることで、その後の関係が良好になるからである。そのジョークが面白いか低レベルなものかは関係がない。むしろ高度なジョークは理解力の無い人間からは「(それが理解できない)自分を馬鹿にしている」と思われる可能性すらある。周りの知能や教養のレベルに合った人間がそのコミュニティでは受け入れられる。(他人を尊敬する、ということは、「自分が劣っている」ことを認めることだから、自我の肥大した現代の人間には苦痛な行為なのである。)
16: 名無し 2019/07/04(木) 13:55:21.71 ID:WH7tphTXp
陽キャは周りが内輪ネタ身内ネタで笑ってくれるからハードル低いんだよな
そのノリで芸人とかになったらそら売れんよ
そのノリで芸人とかになったらそら売れんよ
19: 名無し 2019/07/04(木) 13:55:44.27 ID:xV+Hsjyra
陰陽どちらにしろ自分が面白いと勘違いしてるやつのつまらなさは異常
PR