買弁が「買弁」と言われるようになった理由
ちなみに、弁当を買う行為を「買弁」とは言わないww
しかし、誰かに頼まれて弁当を買うなら、本来の語源から見たら、代理購買だからまさに「買弁」なのである。
(以下引用)
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買弁(買辦)とは、
- 中国において、清朝時代から1940年代ごろまでにおいて、外国の資本が中国内に設立した商館・商社などに協力していた中国人商人。
- 植民地などにおいて、支配国の資本のビジネスに協力する現地の商人を、支配体制に協力しているとして非難する言葉。上記1.からの派生。さらにここから派生して、自国の利益を軽視して外国に協力する様相を「買弁的」と表現する場合がある。
概要
元々「買辦」とは、上記の1.の意味すらなく、中国の明朝において宮廷や地方官庁のために日用品を代理購入して用立てることを担当していた商人を指す言葉であった。使用されている漢字を見てもそれがわかり、「買」は「買う」「購入する」ことを指し、「辦」は「処理する」「務める」「扱う」ことを指す。つまり「購入係を務める者」と言った程度の意味でしかなかった。この職掌は明から清へと王朝が移っても存続した。
清朝は1757年から、広東のみを欧米諸国との通商を行う港湾都市とする制度を設けた。これを「一口通商」と言い、この時代の広東は、鎖国時代の日本における長崎にも例えられる。だが、アヘン戦争を経て南京条約を締結することになり、広州・福州・厦門・寧波・上海の5つの港湾都市が対外貿易のために開かれるようになった。これを「五口通商」という。
その後、この五都市に商社や銀行など多数の外国資本が進出した。これら外国資本に雇用されていた、あるいはビジネスの相手となった中国人商人たちは、上記の「宮廷・官公庁の求めに応じる商人」になぞらえて「買辦」と呼ばれるようになった。
「買辦」らの中には、外国資本の元でのビジネスでノウハウを身に着けて、外国資本から独立し自らが主体となって貿易などを行う企業を立ち上げた者などもおり、成功して巨万の富を築き上げた例もある。
一方、これら「買辦」らの商行為について、自らの利益を追い求めるあまり(あるいは、自国の利益を鑑みることを放棄したために)、外国諸国が中国を半植民地化していく過程に協力するものであった、として非難する視点もある。ここから、次節で触れるように、「批判する言葉」としての「買辦」が派生した。
現在の日本では「買辦」ではなく、簡略化した新字体で「買弁」と記されることが多い。ちなみに「弁論」や「弁別」「花弁」の「弁」は新字体では「買弁」の弁と全く同じ文字だが、それぞれは元々「辯論」「辨別」「花瓣」であり、「買辦」の「辦」とは異なる文字である。
批判する言葉としての「買弁」
「買弁」とは、「外国の利益となるが自国の国益を損なう行為」を批判する時に用いられる言葉である。
ニュアンスとしては一部の右派が好んで使う「売国」と大差ない。だが左派は「売国」という表現を嫌う傾向があるが、この「買弁」については一部の左派なども使用している。一種の言い換え語であるとも言える。
例えば、「安倍晋三総理の採決した平和安全法制は、米国への買弁行為だ」という批難は左派から出ている。他にも「安倍政権の日韓合意での10億円バラマキも米国の顔色を窺った買弁行為だ」という批難がリベラルと右派からも出ている。
このように右派左派関連無く使用される傾向のある言葉が「買弁」という単語である。ただし、「売国」に比べて知名度・認知度は低い。