社会進化論と西洋科学への盲信
「東海アマブログ」記事で、後半は「それはどうかな」と思う内容もあるが、前半はかなり納得できる。現代の科学は昔よりも進んでいるのはもちろんだが、それは「西洋科学として」進んでいるのであって、西洋科学はこれまでいくつもの間違いをしてきたからこそ進歩も当然あるわけだ。つまり、現代の科学の中にも間違いが無数にある、と思うのが理の当然なのである。西洋科学、特に医学は治験不十分な薬品を使用している例があまりに多すぎる。中には目覚ましい効果を持つ薬品もあるが、また中には長期的な健康阻害要因を持つ薬品もたくさん使用されているはずだ。
現代の物事はすべて過去より優れている、というのが「社会進化論」の思想だが、たとえば19世紀のトルストイやドストエフスキーをしのぐ作家が現代にいるか。紀元前の釈迦や孔子やソクラテスをしのぐ哲学者や思想家が現代にいるだろうか。人文学と科学は違う、と言われそうだが、科学が達成したものの中には、あるいは「良き物」を捨てて「便利な物(実は別の欠陥がある)」に取り換えただけのことも多いかもしれないのである。
(以下引用)
昔、テレビを持っていなかったので、今、ネット上で「鬼平犯科帳」のような昔の番組が見られるのは新鮮で、暇つぶし上、とてもありがたい。
でも、歴史と民俗学を学んでいた私から見て、日本のドラマ、映画の時代考証が適当すぎて白けることが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=qaZrS7DE_m8
例えば、江戸時代の寝具は、ドラマでは大半が現代のものと寸分変わらない布団を使っているが、実は現代布団が普及したのは明治時代であり、江戸時代は、畳の上に、大きな綿入れのような外掛け衣をまとって寝ていた。
だから、明治以前の寝具描写の大半がウソである。
https://sleepedia.jp/bedding-history/
庶民は畳なんて贅沢は許されなかったから、せいぜい木の床に筵を並べて生活していた。
藁筵に寝ればムカデやダニなどの虫害が大変だっただろうと思うが、そうでもない。
昔の家では、囲炉裏やカマドで毎日煮炊きするから家中が煙りで燻されて、タール分が付着することで、意外に虫の侵入は少なかった。
もし、囲炉裏で燻さなければ藁や茅の屋根にはムカデだらけで大変なことになる。
https://izumodekurasu.com/2019/09/21/yaneura-katori-kuyosi/
平安時代に使われた貴族の十二単は、要するに布団だったと思えばいい。庶民の大部分は「藁筵」を敷き布団に、茣蓙や藁束を掛け布団に着重ねして寝ていた。
燻し煤だらけの家は、思ったより虫がいなくて快適だったかもしれない。我が家などは、梅雨時になると、ムカデが布団の中にまで入ってきて大変な大騒ぎになるのだ。
朝鮮のオンドルも、虫除けに大きな意味がありそうだ。
伝統的な知識というものは、「科学」という名の権威でくるまれた理屈よりも、はるかに合理性がある場合が多い。
とりわけ、外傷治療は、たくさんの戦闘が行われた戦国時代に発展し、現代の最先端の治療法よりも、むしろ合理的で治癒の早い方法が確立していた。
http://igs-kankan.com/article/2018/04/001101/
現代、それも20世紀末になって、やっと外傷治療はドイツ学説による消毒治療という間違った方法から抜け出して、皮膚常在菌を生かした「湿式治療法」が普及するようになったが、それまでは、自然治癒に役立つ皮膚常在菌を殺菌剤で全滅させて、何もしないより数倍の時間をかけて、おまけに傷跡を醜く残す消毒乾式治療がはびこり、今でも古い医者に浸透している。
戦国時代から江戸時代にかけては、従軍医、外傷専門の金創医という専門家がいて、相当に治療困難な複雑な創傷も治療した。たくさんの負傷から経験的に導き出された治療法は、屁理屈から導かれた療法よりも現実的で効果の高いものが多い。
https://ameblo.jp/kaiseikuturogi/entry-12242338796.html
金創医とは、「金創膏」という薬を頼りに創傷治療を行った従軍医=外傷専門医のことだが、一種の経験療法の上に築かれた創傷治療体系で、高い治療効果があった。
おそらく、交通事故などの救急医療にも優れた処方、適応が多いはずだが、医学界には「ドイツ医学の呪い」があって、なかなか顧みられない。
https://www.bs-tbs.co.jp/alpha/archive/30.html
戦場における創傷は、一番多いのが実は、切り傷ではなく打ち傷である。猛烈な打撲傷のことで、骨まで砕かれたものが多かった。これは現代での交通事故も同じ。だから、治療方針としては、負傷部の炎症をどう鎮めるかが課題だった。
外傷が大きければ「ガマの穂」を使って止血し、傷口を水で洗って金創膏を塗りたくり包帯する。打撲の場合も同じように塗りたくる。この場合、ごま油や紫雲膏も使われた。芍薬湯を鎮痛抗炎症剤として使った。
金創膏には、芍薬のような抗炎症成分が含まれているが、細胞を破壊するような殺菌成分は含まれていない。
傷口が泥土に汚染されている場合は、焼酎で洗った。後は朴葉のようなラップ剤を貼り付けて包帯で圧迫し、湿式保全を行う。
アクリノール・オキシフル・水銀剤・抗生剤のような殺菌剤を使って乾式治療を行った場合と比べて、水で洗浄してラップした湿式治療の完治に要する時間は、3~5 倍速く、しかも傷跡が残りにくいことが知られている。
つまり、現代医学より、戦国・江戸時代の戦場医学の方が優れていたのである。
もうひとつ、どうしても書いておきたいのは、我々の子供時代、農家の肥料は、基本的に人糞汚穢が多かった。江戸には江戸川区にあった葛西村(葛西臨海公園)に巨大な人糞池が設けられ、船で東京湾沿岸の屎尿が送り込まれた。
そこで発酵処理をされてから農家が最高級の「金肥」として肥料に利用した。
これを差配していたのは、浅草の未解放部落、総元締めの弾左衛門である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%B3%9E%E5%88%A9%E7%94%A8
実は、この発酵屎尿に大きな医療効果があったといわれる。現代では飲尿療法が知られているが、昔は十分に発酵した屎尿を使って創傷を治療した。
山口組の武闘派といえば、誰を置いても大山倍達の兄弟分、「殺しの柳川次郎」を挙げなければならないが、彼が出入りの前に、必ず部下に命じて付近でよく熟れた肥溜を探させた。
戦闘後、傷だらけになった組員たちが、この肥溜にドボンと浸かるのである。
すると、この発酵人糞には、放線菌という抗生物質作用をもったバクテリアが優性なので、大腸菌は調べても検出できない。
これが負傷部の鎮痛・抗炎症・殺菌に大きな効果があったというのだ。もっとも、誰も追試しないので、医学的には評価されていない。
私が、2003年に蛭川村に移住して、自家製の浄化槽でEMBCによる浄化を行っていたのだが、これは、とんでもない奇跡的な現象が起きて、悪臭を放つ屎尿が、わずか数時間で、ウソのように透明になり、飲用すら可能になる現象を何度も目撃した。これは「複合発酵」と名付けられているが、私も数回しか経験がない。安いEMに切り替えてからは一度もない。
浄化槽の排水口で金魚をたくさん飼育していたのだが、スコップを金魚に当てて、くの字に曲げて背骨を骨折させてしまったことがあった。
そのまま放置していたら、十日ほどで元の普通の金魚に戻ってしまったことがあり、本当に驚いた。
EMBC処理液には深刻な負傷を治療する効果があったのだ。上に上げた柳川次郎の「熟れた屎尿」による治療効果も、たぶんEMBCに準じる現象だったのだろう。
現代医学は、「呪われたドイツ医学思想」によって硬直し、盲目になってしまっていて、こうした事象を見ようとさえしない。
新島や八丈島では「クサヤ」生産が盛んだが、数十年、数百年と伝えられてきたクサヤ液に強い治療効果があるとして高値で取引されている。
負傷による塗り薬はもちろんだが、胃腸薬や風邪薬、果ては癌の特効薬としても使われる万能薬なのだ。
今でも、ネットで購入できるかもしれない。たぶん抗生物質のカタマリなのだろう。
https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20181108/10171/
我々は、昔の生活を「古い劣った時代」と認識させられていることが多く、現代は「進歩した快適な時代」と考えている者が多いかもしれない。
しかし、それは非常に大きな間違いだ。
現代の我々の生活は、地球自然にとって極めて非合理な矛盾を抱えている。
我々の「快適生活」はゴミ捨てによって支えられている。あらゆる文化生活はゴミ投棄によって支えられている本質があるのだ。
そのゴミは、自然循環サイクルに吸収されてゆくのだろうか?
違う!
大半の人々は知らないが、どこの自治体にも不燃物投機場と可燃物処理施設がある。
江戸時代には、ほぼ100%の廃棄物がリサイクルされ、自然の循環系によって完結していた。人間生活は「燃えるもの・腐って自然に還るもの」で占められ、後世に残す汚物・廃棄物はほとんど存在しなかった。
だが現代は違う。身の回りのゴミの多くが、自然循環処理系からはみ出して後世に不要無用の邪魔物として残されるのだ。
不燃物投棄場は、人の少ない地域に巨大な穴を掘って、ビニールシートを敷き詰めてから投棄される。上に土を被せてみても、底のビニールは劣化し、やがて危険な化学汚染を起こしている汚水が地下水に浸透してゆく。
可燃物焼却場は、今では高温クリーンセンターシステムになっているとはいえ、やはり多量のダイオキシンなど危険有害な煙を環境に放出しないわけにはいかないし、残された塵芥は不燃物投棄場に捨てられる。出てくる汚水は非常に危険で有毒なものだ。
さらに原子力発電は、使用済み核燃料という人類が処理不能の超汚いウンコを環境に捨てることになる。これは未来の人類の生存環境を危うくするものだ。
これは、資本主義という私利私欲システムの必然的な帰結である。こんなものは江戸時代にはなかった。人類は便利さと引き換えに、自分や子供たちの未来を危険極まりない汚染に塗りつぶしているのだ。
我々は、江戸時代のライフスタイル、循環系に学んで、未来の環境汚染を少なくするために、危険なゴミの出ない生活システムに切り替えてゆかねばならない。
どうしても必要なゴミは、例えば太陽光を使って4000度の超高温で分解すれば、分子レベルより細かい原子レベルに分解され、化学的な危険性は薄まる。
あらゆる生活資材は、江戸時代のように自然物、木材を多用して、焼却分解・腐食分解可能なライフスタイルに変えるべきだ。
生活ゴミは、再び、我々の命を支える資源となるように工夫しなければならない。
プラスチックや金属の利用は原則禁止するか、必要最小限にとどめるべきだ。
自動車でなく、もっと自転車などを利用できるインフラを充実させるべきだ。
現代の思い上がった便利さを前提に、江戸時代の古いライフスタイルを軽蔑するのではなく、江戸時代が今の我々の生活より優れていたことを理解する必要がある。
「ほとんどゴミの出ない生活」から学ぶ必要がある。
医学についていうなら、明治期の西洋コンプレックスから導入されたドイツ医学の「科学思想」を再検討し、江戸時代の方が優れていた療法を再び復活させるべきだと思う。
私は間質性肺炎に罹患し、5年以上も、まともに呼吸できず、何もかもやる気を失って家はゴミ屋敷になっていたが、毎日、5Kmの山道を歩くことで、「絶対に治らない死病」から復活を遂げつつある。(まだ分からない)
これも、既存の医学思想に強い不信を抱き、自分なりの「気の医療」に邁進した結果だと思っているが、いずれ、まとめて書けるときもくるだろう。
要は「江戸時代を馬鹿にするな!」だ……。
現代の物事はすべて過去より優れている、というのが「社会進化論」の思想だが、たとえば19世紀のトルストイやドストエフスキーをしのぐ作家が現代にいるか。紀元前の釈迦や孔子やソクラテスをしのぐ哲学者や思想家が現代にいるだろうか。人文学と科学は違う、と言われそうだが、科学が達成したものの中には、あるいは「良き物」を捨てて「便利な物(実は別の欠陥がある)」に取り換えただけのことも多いかもしれないのである。
(以下引用)
2021年03月25日 (木) 14:18
カテゴリ : 未分類
昔、テレビを持っていなかったので、今、ネット上で「鬼平犯科帳」のような昔の番組が見られるのは新鮮で、暇つぶし上、とてもありがたい。
でも、歴史と民俗学を学んでいた私から見て、日本のドラマ、映画の時代考証が適当すぎて白けることが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=qaZrS7DE_m8
例えば、江戸時代の寝具は、ドラマでは大半が現代のものと寸分変わらない布団を使っているが、実は現代布団が普及したのは明治時代であり、江戸時代は、畳の上に、大きな綿入れのような外掛け衣をまとって寝ていた。
だから、明治以前の寝具描写の大半がウソである。
https://sleepedia.jp/bedding-history/
庶民は畳なんて贅沢は許されなかったから、せいぜい木の床に筵を並べて生活していた。
藁筵に寝ればムカデやダニなどの虫害が大変だっただろうと思うが、そうでもない。
昔の家では、囲炉裏やカマドで毎日煮炊きするから家中が煙りで燻されて、タール分が付着することで、意外に虫の侵入は少なかった。
もし、囲炉裏で燻さなければ藁や茅の屋根にはムカデだらけで大変なことになる。
https://izumodekurasu.com/2019/09/21/yaneura-katori-kuyosi/
平安時代に使われた貴族の十二単は、要するに布団だったと思えばいい。庶民の大部分は「藁筵」を敷き布団に、茣蓙や藁束を掛け布団に着重ねして寝ていた。
燻し煤だらけの家は、思ったより虫がいなくて快適だったかもしれない。我が家などは、梅雨時になると、ムカデが布団の中にまで入ってきて大変な大騒ぎになるのだ。
朝鮮のオンドルも、虫除けに大きな意味がありそうだ。
伝統的な知識というものは、「科学」という名の権威でくるまれた理屈よりも、はるかに合理性がある場合が多い。
とりわけ、外傷治療は、たくさんの戦闘が行われた戦国時代に発展し、現代の最先端の治療法よりも、むしろ合理的で治癒の早い方法が確立していた。
http://igs-kankan.com/article/2018/04/001101/
現代、それも20世紀末になって、やっと外傷治療はドイツ学説による消毒治療という間違った方法から抜け出して、皮膚常在菌を生かした「湿式治療法」が普及するようになったが、それまでは、自然治癒に役立つ皮膚常在菌を殺菌剤で全滅させて、何もしないより数倍の時間をかけて、おまけに傷跡を醜く残す消毒乾式治療がはびこり、今でも古い医者に浸透している。
戦国時代から江戸時代にかけては、従軍医、外傷専門の金創医という専門家がいて、相当に治療困難な複雑な創傷も治療した。たくさんの負傷から経験的に導き出された治療法は、屁理屈から導かれた療法よりも現実的で効果の高いものが多い。
https://ameblo.jp/kaiseikuturogi/entry-12242338796.html
金創医とは、「金創膏」という薬を頼りに創傷治療を行った従軍医=外傷専門医のことだが、一種の経験療法の上に築かれた創傷治療体系で、高い治療効果があった。
おそらく、交通事故などの救急医療にも優れた処方、適応が多いはずだが、医学界には「ドイツ医学の呪い」があって、なかなか顧みられない。
https://www.bs-tbs.co.jp/alpha/archive/30.html
戦場における創傷は、一番多いのが実は、切り傷ではなく打ち傷である。猛烈な打撲傷のことで、骨まで砕かれたものが多かった。これは現代での交通事故も同じ。だから、治療方針としては、負傷部の炎症をどう鎮めるかが課題だった。
外傷が大きければ「ガマの穂」を使って止血し、傷口を水で洗って金創膏を塗りたくり包帯する。打撲の場合も同じように塗りたくる。この場合、ごま油や紫雲膏も使われた。芍薬湯を鎮痛抗炎症剤として使った。
金創膏には、芍薬のような抗炎症成分が含まれているが、細胞を破壊するような殺菌成分は含まれていない。
傷口が泥土に汚染されている場合は、焼酎で洗った。後は朴葉のようなラップ剤を貼り付けて包帯で圧迫し、湿式保全を行う。
アクリノール・オキシフル・水銀剤・抗生剤のような殺菌剤を使って乾式治療を行った場合と比べて、水で洗浄してラップした湿式治療の完治に要する時間は、3~5 倍速く、しかも傷跡が残りにくいことが知られている。
つまり、現代医学より、戦国・江戸時代の戦場医学の方が優れていたのである。
もうひとつ、どうしても書いておきたいのは、我々の子供時代、農家の肥料は、基本的に人糞汚穢が多かった。江戸には江戸川区にあった葛西村(葛西臨海公園)に巨大な人糞池が設けられ、船で東京湾沿岸の屎尿が送り込まれた。
そこで発酵処理をされてから農家が最高級の「金肥」として肥料に利用した。
これを差配していたのは、浅草の未解放部落、総元締めの弾左衛門である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%B3%9E%E5%88%A9%E7%94%A8
実は、この発酵屎尿に大きな医療効果があったといわれる。現代では飲尿療法が知られているが、昔は十分に発酵した屎尿を使って創傷を治療した。
山口組の武闘派といえば、誰を置いても大山倍達の兄弟分、「殺しの柳川次郎」を挙げなければならないが、彼が出入りの前に、必ず部下に命じて付近でよく熟れた肥溜を探させた。
戦闘後、傷だらけになった組員たちが、この肥溜にドボンと浸かるのである。
すると、この発酵人糞には、放線菌という抗生物質作用をもったバクテリアが優性なので、大腸菌は調べても検出できない。
これが負傷部の鎮痛・抗炎症・殺菌に大きな効果があったというのだ。もっとも、誰も追試しないので、医学的には評価されていない。
私が、2003年に蛭川村に移住して、自家製の浄化槽でEMBCによる浄化を行っていたのだが、これは、とんでもない奇跡的な現象が起きて、悪臭を放つ屎尿が、わずか数時間で、ウソのように透明になり、飲用すら可能になる現象を何度も目撃した。これは「複合発酵」と名付けられているが、私も数回しか経験がない。安いEMに切り替えてからは一度もない。
浄化槽の排水口で金魚をたくさん飼育していたのだが、スコップを金魚に当てて、くの字に曲げて背骨を骨折させてしまったことがあった。
そのまま放置していたら、十日ほどで元の普通の金魚に戻ってしまったことがあり、本当に驚いた。
EMBC処理液には深刻な負傷を治療する効果があったのだ。上に上げた柳川次郎の「熟れた屎尿」による治療効果も、たぶんEMBCに準じる現象だったのだろう。
現代医学は、「呪われたドイツ医学思想」によって硬直し、盲目になってしまっていて、こうした事象を見ようとさえしない。
新島や八丈島では「クサヤ」生産が盛んだが、数十年、数百年と伝えられてきたクサヤ液に強い治療効果があるとして高値で取引されている。
負傷による塗り薬はもちろんだが、胃腸薬や風邪薬、果ては癌の特効薬としても使われる万能薬なのだ。
今でも、ネットで購入できるかもしれない。たぶん抗生物質のカタマリなのだろう。
https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20181108/10171/
我々は、昔の生活を「古い劣った時代」と認識させられていることが多く、現代は「進歩した快適な時代」と考えている者が多いかもしれない。
しかし、それは非常に大きな間違いだ。
現代の我々の生活は、地球自然にとって極めて非合理な矛盾を抱えている。
我々の「快適生活」はゴミ捨てによって支えられている。あらゆる文化生活はゴミ投棄によって支えられている本質があるのだ。
そのゴミは、自然循環サイクルに吸収されてゆくのだろうか?
違う!
大半の人々は知らないが、どこの自治体にも不燃物投機場と可燃物処理施設がある。
江戸時代には、ほぼ100%の廃棄物がリサイクルされ、自然の循環系によって完結していた。人間生活は「燃えるもの・腐って自然に還るもの」で占められ、後世に残す汚物・廃棄物はほとんど存在しなかった。
だが現代は違う。身の回りのゴミの多くが、自然循環処理系からはみ出して後世に不要無用の邪魔物として残されるのだ。
不燃物投棄場は、人の少ない地域に巨大な穴を掘って、ビニールシートを敷き詰めてから投棄される。上に土を被せてみても、底のビニールは劣化し、やがて危険な化学汚染を起こしている汚水が地下水に浸透してゆく。
可燃物焼却場は、今では高温クリーンセンターシステムになっているとはいえ、やはり多量のダイオキシンなど危険有害な煙を環境に放出しないわけにはいかないし、残された塵芥は不燃物投棄場に捨てられる。出てくる汚水は非常に危険で有毒なものだ。
さらに原子力発電は、使用済み核燃料という人類が処理不能の超汚いウンコを環境に捨てることになる。これは未来の人類の生存環境を危うくするものだ。
これは、資本主義という私利私欲システムの必然的な帰結である。こんなものは江戸時代にはなかった。人類は便利さと引き換えに、自分や子供たちの未来を危険極まりない汚染に塗りつぶしているのだ。
我々は、江戸時代のライフスタイル、循環系に学んで、未来の環境汚染を少なくするために、危険なゴミの出ない生活システムに切り替えてゆかねばならない。
どうしても必要なゴミは、例えば太陽光を使って4000度の超高温で分解すれば、分子レベルより細かい原子レベルに分解され、化学的な危険性は薄まる。
あらゆる生活資材は、江戸時代のように自然物、木材を多用して、焼却分解・腐食分解可能なライフスタイルに変えるべきだ。
生活ゴミは、再び、我々の命を支える資源となるように工夫しなければならない。
プラスチックや金属の利用は原則禁止するか、必要最小限にとどめるべきだ。
自動車でなく、もっと自転車などを利用できるインフラを充実させるべきだ。
現代の思い上がった便利さを前提に、江戸時代の古いライフスタイルを軽蔑するのではなく、江戸時代が今の我々の生活より優れていたことを理解する必要がある。
「ほとんどゴミの出ない生活」から学ぶ必要がある。
医学についていうなら、明治期の西洋コンプレックスから導入されたドイツ医学の「科学思想」を再検討し、江戸時代の方が優れていた療法を再び復活させるべきだと思う。
私は間質性肺炎に罹患し、5年以上も、まともに呼吸できず、何もかもやる気を失って家はゴミ屋敷になっていたが、毎日、5Kmの山道を歩くことで、「絶対に治らない死病」から復活を遂げつつある。(まだ分からない)
これも、既存の医学思想に強い不信を抱き、自分なりの「気の医療」に邁進した結果だと思っているが、いずれ、まとめて書けるときもくるだろう。
要は「江戸時代を馬鹿にするな!」だ……。
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