抗癌剤とPCR検査
実は私も、昔の職場の同僚が咽頭がんにかかって、癌治療を始めてひと月足らずで死んだのを目撃している。治療を始めて何日後だろうか、何かの用で職場に顔を出したのだが、髪の毛は抜け落ち、ほとんど足腰が立たない感じで、歩くのに長い棒きれにつかまってやっと歩くような状態だった。職場まで電車で来たと言うが、どれほど苦労してたどりついたのか。
その人は、それからすぐに死んだので、私は癌よりも癌治療ははるかに恐ろしいことを目撃させられたわけである。
ただし、私の親族には胃癌の切除手術で現在まで数十年も生存している人もいるので、切除手術は成功可能性も高いのではないかと思う。しかし、抗癌剤と放射線治療は私は信じていない。(皮肉な見方をしたら、手術した「にもかかわらず」生存した、という可能性もあるだろうが、胃癌の兆候ははっきりあったのだろうから、やはり手術の効果はあったと思う。)
なお、PCR検査についても私はその「生みの親」のマリス博士の考えを支持する。つまり、疫病の検査にPCR手法を使うべきではない、という考えだ。
(以下引用)
親しい方の逝去の後に
どのような関係の方かは控えますが、かなり親しい身内の方が最近、肺ガンで亡くなりました。
高齢ではありましたけれど、まだ七十代で、何の持病も基礎疾患もありませんでした。
抗ガン剤治療を受ける前までは非常に元気で、毎日散歩や軽い運動をしたりする、いわゆる普通の高齢者の生活をしていたのですけれど、抗ガン剤治療を始めて…そうですね… 1ヵ月どころか 1週間目くらいに重篤な状態に陥り、病院に搬送され、意識がない状態がしばらく続いた後に亡くなりました。
そのあまりにも急な容態の悪化ぶりを振り返って、以前、ジャーナリストの立花隆さんが、医師の近藤誠さんと対談した時のフレーズを思い出していました。
以下のようなやりとりです。
立花隆さんと近藤誠さんの対談より
立花 たしかに抗がん剤の延命効果は、あっとしても微々たるものという状況はありますね。また、延命効果というよりも縮命効果というか、抗がん剤を使ったために命を縮めた人っていうのが少なからずいるはずですよね。
近藤 そうです。
立花 そのことは、やっぱり相当の数のお医者さんが知っていて、内心忸怩たるものがあるにもかかわらず、やっぱり口に出しては言わない。
つい最近の事例では、梨元勝さんという芸能レポーターが昨年(2010年)八月に肺がんで亡くなりました。僕は、ジャーナリズムの世界に入ったその日から彼を知っていて、ものすごく長いつきあいなんです。
彼がテレビ出演してがんにかかったとカミングアウトしたので、携帯に電話をかけたら、「いやあ、ほんとにがんにかかっちゃったんですよ」とか、すごい元気いっぱいな感じでした。ところが、彼が死んだのは、わずか二ヵ月後でした。
近藤 あまりに早かった。
立花 彼がどれほど悪い状態で発見されて、どういう進行だったのか、正直言って、僕が正確につかんでいるわけではありません。
ただ、携帯で言葉を交わした時の状況と、それからの死に至る過程のあまりの早さ。あれはどう考えても、抗がん剤で命を縮めたとしか思えない。
また、筑紫哲也さんも、抗がん剤で命を縮めたんじゃないか、と思えてならないんです。白血球、血小板が急降下して肺炎を起こしかかり、「抗がん剤ってやつは、がんをやっつけるつもりで、健康な細胞もじゅうたん爆撃で全部叩いてしまうんです。こんなバカげた薬ありませんよ」と激しい不満を持っていました。
がんと闘う選択をした人が、却って命を縮めているケースが、けっこう世の中にあるような気がするんですね。
近藤 本を書くために調べたんですが、梨本さんは抗がん剤治療の数回目で突然、亡くなっています。
立花 そうなんですか。
(近藤誠『抗がん剤だけはやめなさい』)
最初に書きました親しい方は、まさに、ここにある梨元勝さんのように、
> 抗がん剤治療の数回目で突然
という感じでした。
いや、それこそ二回目くらいの後ではなかったかという気もします。
もちろん、その方の場合は、抗ガン剤治療を受けるかどうかをその方の家族みんなで話して決めたものですので、それが良かったとか悪かったと言っているわけでないです。
この対談に出てきた例とあまりにも似ていましたので、書かせていただきました。
ちなみに、この『抗がん剤だけはやめなさい』という本は、もともと私のではなく、以前、子どもと古本屋に行った際に「 100円のなら何冊買ってもいいよ」とか言って(ああセコい)、彼が何冊も抱えてきた中にこの本がありました。
私 「きみはまだガンになる年じゃないだろ」
子 「いや、自分のためじゃなくて、一般的な話として興味があって」
その時はそんなことを言っていましたけれど、先ほどの亡くなった方は、うちの子どもともとても親しくしていた方ですので、治療開始から重篤になるまでの期間の早さを見て、うちの子どももいろいろと思っただろうなあと思います。
さて。
そんなことが最近あったのですけれど、それとは全然関係ない部分で、ごく最近買った本に、このことについて、わかりやすく書かれている文章を目にしたのでした。
抗ガン剤のことというより、
「こういうタイプの薬の特性」
についてです。
先日、書籍を購入した際に、それが医学関係のものでしたので、ページ下段に医学関係の書籍がズラリと並ぶ中に「サーフィンボードを抱えてニコニコしている中年男性の表紙」の本があったのです。
「なんで医学関連にこんなのが?」
と見てみますと、それは『マリス博士の奇想天外な人生』と書かれた本でした。
「あ、これ、PCR を発見したキャリー・マリスさんの本?」
と思わず注文していました。
キャリー・マリスさんは、ポリメラーゼ連鎖反応いわゆる PCR 法を開発した方で、その功績により 1993年にノーベル化学賞を受賞しています。
その PCR の発見者でありながら、昨年亡くなるまで、「 PCR をウイルス検査に用いてはいけない」と訴え続けていました。これに関しては、先日の記事でも、ブルガリア病理学会の医師たちが、このマリスさんの主張を取り上げて、PCR 検査を批判したことを取り上げています。
(中略)
マリス博士の奇想天外な人生 - 12章「マリス博士の講演を阻止せよ」より
グラクソ社のエイズ治療薬 AZT は、ちょうどガンの化学療法薬(抗ガン剤)と同じで、両刀の剣として細胞に働く。 DNA の複製を阻害することによって HIV を殺すが、同時に身体の細胞も殺す。
私個人としては、ガンであろうとなかろうと、抗ガン剤を飲む気にはなれないが、しかし、ふつうは、ガンの場合抗ガン剤を使う合理性はそれなりにあるので、多少の副作用は仕方ないと説明されて、これらの薬が使用されている。
この話を聞くと、私は、昔行われていた梅毒の治療法のことを思い出す。ヒ素による治療法である。梅毒は人を死に至らしめる。ヒ素もまた人を死に至らしめる。
しかし、ヒ素を服用すれば、うまくするとヒ素はまず梅毒を殺し、人はなんとか生きながらえることができるかもしれない。そういう治療法だ。
細胞に対する毒素を使ってガンを治療しようとする化学療法はまったくこれと同じ原理である。ガンは人を死に至らしめる。抗ガン剤も人を死に至らしめる。しかしひょっとすると抗ガン剤は人が死ぬ前にガンを殺し、人は、からくも生きながらえるかもしれない。
まったくのギャンブルである。
ガンを殺すために投与される抗ガン剤の量は、十分、人を死に至らしめるに足る量である。それくらい投与しないとガン細胞は死なない。だから、私はこんな治療は受けたくはない。
だいたい、飲んだら毛が抜けるような薬など、絶対にいやである。
しかし、世の中では、このギャンブルの論理がまかり通って、抗ガン剤に賭ける人々がいることも事実なのだ。恐ろしいことである。生死を賭けたギャンブルなのだ。
まだ幼い子どもがいるような患者にとっては、このギャンブルに賭けざるを得ないこともあるだろう。そして化学療法に耐えて、生存するガン患者がいることも確かなことである。
エイズの場合、このギャンブルはさらに恐ろしい様相を呈する。エイズは人を死に至らしめる。治療薬AZTもまた人を死に至らしめる。AZTには激しい副作用がある。
AZTは、身体の中で盛んに成長している細胞の増殖を止める。たとえば、CD4 免疫細胞である。CD4 免疫細胞は、エイズ患者にとってもっとも必要な細胞なのだ。
CD4 免疫細胞には、HIV を殺す能力がある。実験では証明されているが、実際の働きはわかっていない。そもそもエイズは CD4 免疫細胞にもっともダメージを与える病気なのだ。
たとえ HIV が完全に身体から除去できたとしても、エイズが治るかどうかは分からない。 HIV の感染量を低下させることができた患者はいても、ひとりとしてエイズが治った患者はいないのだ。
ガンに対する化学療法の場合、同じギャンブルをするにせよ、できるだけガンだけに作用して、身体への副作用を抑えるために、抗ガン剤の量がコントロールされる。
エイズの場合それはない。
AZT はギャンブルですらないのだ。誰ひとりエイズから生還できた患者はいない。だから AZT がエイズだけに作用して、患者が生きのびる可能性を期待すること自体が無理なのである。
現在行われているのは、患者が死ぬまで、この毒物を投与しつづけているということなのだ。
ここまでです。
このようなことを、このエイズ治療薬 AZT を主力商品としている会社の講演会で述べようとしていたということで、断られるのも無理はないですが、この中にある、抗ガン剤は、
> まったくのギャンブルである。
であるという状況は今でも基本的には同じだと思われます。
仮にどなたかが、人生で抗ガン剤治療を受けるようなことになった場合、このことを念頭において覚悟しなければならないのだと思われます。
つまり、「ガンという毒素と、抗ガン剤という毒素が同時に体内に存在する」ことになるわけで、どちらが勝つかはわからないけれども、あるいは、自分の身体が勝つかもしれない。